テキサス州のKen Paxton司法長官は2026年2月18日、家庭用Wi-Fiルーター市場で圧倒的なシェアを持つTP-Link Systems Inc.(以下、TP-Link)に対し、消費者保護法違反および国家安全保障への脅威を理由に訴訟を提起した。

この訴訟は、単なる企業の不正表示を問うものではない。米中技術覇権争いの最前線において、一般家庭の「デジタル・玄関」であるルーターが、いかにして地政学的なリスクの結節点となり得るかを鋭く問いかける事案である。Paxton長官が「中国共産党(CCP)と連携した企業に対する一連の訴訟の第一弾」と位置づける本件は、テキサス州が連邦政府の動きに先んじて、独自に「チャイナ・テック」排除へ動く明確なシグナルだ。

訴状の中でPaxton氏は、TP-Linkが製品を「ベトナム製」と偽りながら、実際には中国国内で製造・管理を行い、中国共産党の支配下にあると主張している。さらに、同社製品が既知のセキュリティ脆弱性を放置することで、中国の国家支援ハッカーによるサイバー攻撃の「踏み台」になっていると糾弾した。

これに対しTP-Link側は、「米国を拠点とする独立企業であり、中国政府の支配は受けていない」と全面的に反論している。しかし、今回の提訴が投げかける波紋は、単なる一企業の法的紛争にとどまらない。それは、グローバルサプライチェーンの不透明さと、私たちの生活空間に浸透した「安価で便利なテクノロジー」の代償を、改めて浮き彫りにするものである。

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「ベトナム製」という名の隠れ蓑:サプライチェーンの深層

訴訟の核心の一つは、TP-Linkが展開する「脱中国」のナラティブ(物語)そのものが、欺瞞に満ちているという点にある。

近年、米中対立の激化に伴い、多くのテクノロジー企業が生産拠点を中国からベトナムやインドへ移転させ、「チャイナ・プラス・ワン」戦略をアピールしてきた。TP-Linkもまた、2024年に組織再編を行い、米国法人のTP-Link Systems Inc.を設立。「ベトナム製(Made in Vietnam)」のステッカーを製品に貼付し、中国との切り離しを強調してきた。

しかし、テキサス州司法長官事務所の調査によれば、この「ベトナム製」は実態を伴わない見せかけに過ぎないという。訴状は、ベトナムの施設は単なる「最終組み立て工場」に過ぎず、製品を構成する部品のほぼすべてが依然として中国国内で製造・調達されていると指摘する。

偽装された原産地

具体的には、ベトナムで調達された部品は製品全体の1%未満に過ぎず、残りの99%以上は中国のサプライチェーンに依存している状況が描かれている。つまり、心臓部であるチップセットやファームウェアの開発、主要コンポーネントの製造は依然として中国の支配下にありながら、最後のネジ締めだけをベトナムで行うことで、米国の消費者の目を欺こうとしているという論理だ。

これは、米国の関税回避やセキュリティ懸念の払拭を狙う中国系企業が常套手段とする「迂回輸出」の手法と重なる。Paxton氏はこれを「欺瞞のWeb」と表現し、消費者が「中国製品ではない」と信じて購入する動機を意図的に操作したと断じた。

「開かれた窓」:放置された脆弱性と国家支援ハッカー

もう一つの、そしてより深刻な争点はサイバーセキュリティである。Paxton氏は、TP-Linkのルーターが、中国の国家支援ハッカーにとって米国の家庭やネットワークへ侵入するための「開かれた窓」になっていると警告する。

TP-Link製品には長年にわたり、数多くのファームウェア脆弱性が報告されてきた。セキュリティ研究者や専門家はこれらの危険性を繰り返し指摘してきたが、訴状によれば、TP-Link側はこれらに対処することなく、「プライバシーとセキュリティを完全に保護する」という宣伝を続けてきたとされる。

Volt Typhoonの影

ここで想起されるのが、中国の国家支援ハッキンググループ「Volt Typhoon」の存在だ。彼らは米国の重要インフラ――通信、電力、交通システムなど――に潜伏し、有事の際に混乱を引き起こすための準備を進めているとされる。彼らが侵入の手口として多用するのが、SOHO(Small Office/Home Office)向けのルーター、すなわちTP-Linkのような一般消費者向け製品の脆弱性である。

訴状は、TP-Link製品がこれらのハッカーによって踏み台(ボットネットの一部)として利用され、米国の国家安全保障を脅かすサイバー攻撃の起点になっていると主張する。家庭内のルーターが乗っ取られれば、そこを通過する通信内容が傍受されるだけでなく、そのルーター自体が他者への攻撃インフラとして悪用される。

Paxton氏の主張が正しいとすれば、我々が「安くて高性能」だとして購入したルーターは、知らぬ間に中国のサイバー部隊が米国のインフラを攻撃するための「武器」として機能していることになる。これは、個人のプライバシー侵害というレベルを超えた、国家防衛上の重大なリスク要因である。

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否定される「独立性」と中国国家情報法の呪縛

TP-Link側は、「創業者兼CEOのジェフリー・チャオ(趙佳興)氏はカリフォルニア州アーバイン在住であり、中国共産党員ではない」とし、同社が米国企業であることを強調する。また、米国のユーザーデータはAmazon Web Services(AWS)のサーバーに安全に保管されていると主張し、中国政府へのデータ流出を否定した。

しかし、テキサス州側の懸念を払拭するには至っていない。その根拠となるのが、悪名高い中国の「国家情報法」である。

法的義務としてのスパイ行為

2017年に施行された中国の国家情報法は、いかなる組織や市民も、国の情報活動に協力・支援・協力することを義務付けている。つまり、企業が表向きは民間企業であり、経営者が米国に住んでいたとしても、中国国内に資産や人員、親会社、あるいは強固なサプライチェーンの基盤を持つ限り、中国当局からのデータ提出要求を拒否することは法的に不可能に近い。

Paxton氏は、TP-Linkのモバイルアプリがユーザーの同意なしに個人データを収集し、それが中国側の関連会社を通じて中国政府の手に渡る可能性があると指摘する。TP-Linkの「独立性」は、中国の法体系と政治体制の前では無力であるというのが、米国側の強硬派に共通する認識だ。

さらに訴状では、中国政府がTP-Linkに対して補助金を提供している点や、中国の軍事関連企業がTP-Linkのベトナム施設拡張に関与している点にも言及されている。これらが事実であれば、TP-Linkは単なる民間企業ではなく、中国の国家戦略の一翼を担う存在として位置づけられることになる。

テキサス州の強硬姿勢とホワイトハウスの躊躇

今回の提訴は、テキサス州独自の動きであるが、その背景にはより複雑な米国内の政治力学が見え隠れする。

興味深いことに、テキサス州が提訴に踏み切った数日前、Reutersなどは「ホワイトハウス(Trump政権)がTP-Link製品の販売禁止措置を一時的に棚上げした」と報じていた。これは、今後予定されている米中通商協議を見据え、中国側を過度に刺激することを避けるための外交的配慮と見られている。

連邦政府が外交カードとしてTP-Linkへの制裁を「保留」する一方で、テキサス州は「待ったなし」で法的措置に打って出た。ここには、連邦政府の及び腰な対応に対する共和党保守派の苛立ちと、州レベル権限を行使してでも中国排除を進めるという強烈な意思表示が読み取れる。

実際、Avot州知事はすでに州職員や州のデバイスにおけるTP-Link製品の使用を禁止する措置を講じている。今回の訴訟は、その行政措置をさらに一歩進め、民間の市場からも同社製品を排除しようとする動きと解釈できる。TP-Linkは米国市場で60%以上(同社主張では36.6%)のシェアを持つとされる「巨人」であり、仮にテキサス州での販売や活動が制限されれば、その影響は全米に波及する可能性がある。

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デモクラシーとテクノロジーの分断

我々は今、かつてないほど「信頼」がコストになる時代に生きている。

TP-Linkの製品が市場で支持されてきた最大の理由は、圧倒的なコストパフォーマンスだ。安価で、設定が簡単で、そこそこに高性能。多くの消費者は、その裏側にある地政学的な意味合いや、セキュリティリスクまで考慮して製品を選んではいない。しかし、テキサス州の提訴は、その「無関心」がもはや許されない段階に来ていることを警告している。

もしPaxton氏の主張が事実と認定されれば、TP-Link製品に対する「Made in China」への表示変更命令や、巨額の制裁金、あるいは事実上の市場からの排除命令が下される可能性がある。それは、米国市場における中国製コンシューマーエレクトロニクスの終わりの始まりを意味するかもしれない。

一方で、TP-Linkが主張するように、これらが「根拠のない言いがかり」であり、不当な市場介入であるならば、米国は自由市場の原則を歪めてまで特定企業を攻撃したという汚名を着ることになる。

いずれにせよ確かなことは、私たちの家のリビングルームにある小さな箱が、米中対立という巨大な嵐の真ん中に置かれているという事実だ。次にルーターを買い替えるとき、私たちは単に通信速度や価格だけでなく、「その製品が誰によって、どこで作られ、誰とつながっているのか」を問うことを迫られるだろう。技術的利便性と国家安全保障の天秤は、今激しく揺れ動いている。


Sources