Ammaar Reshi氏(Google DeepMindでAI Studioのプロダクト&デザインを率いる)が2026年7月5日にXへ投稿した内容は、端的だった。「Fable 5を使ってCommand & Conquer: Generals Zero HourをiPhoneとiPadへ移植した。2003年の実際のエンジンをARM64向けにネイティブコンパイルしたもので、エミュレータは使っていない」。
初回ビルドが成功するまでの時間は約40分だったとReshi氏は述べている。その後、2日間をかけてデバッグを重ね、Claude Maxのクォータを使い切った。ポートはキャンペーン、スカーミッシュ、Generals Challengeのすべてのモードを含み、RTSとして使えるタッチコントロールも実装済みだ。タップによるユニット選択、指でのドラッグボックス選択、長押しで選択解除、2本指スクロール、ピンチズームが動く。
プロジェクトはGitHubで全ソースコードを公開済みだが、ゲームデータは含まれない。プレイするにはSteamで購入した自分のゲームコピーが必要になる。また、iPhoneやiPad上でのビルドはXcode、xcodegen、Apple開発者アカウント、署名済みバンドルを要求するため、一般向けのアプリリリースとは程遠い形だ。
EAのソースコード公開が起点にあった
移植が成立した最初の条件は、Electronic Artsが2025年2月27日にGPL v3でCommand & Conquer: GeneralsとZero Hourのソースコードを公開したことだ。ゲームの保全とコミュニティによる改善を目的とした公開で、Red Alert(初代)やTiberian Dawn、Renegadeのソースも同時に出た。
ただし、EAのリポジトリは読み取り専用のアーカイブで、当時のビルドツール(Microsoft Visual Studio 6.0)に依存しており、モダン環境での再ビルドは困難だとされている。Reshi氏が実際に出発点として選んだのは、EA公式ソースではなくコミュニティフォークの「GeneralsX(fbraz3)」だった。GeneralsXはすでにmacOSのARM64対応を済ませており、SDL3、DXVK、MoltenVK、OpenAL、FFmpegが統合されていた。
フォーク選定が開発期間を大きく左右した。Reshi氏のポーティングプレイブックは「EAの生ソースから始めていれば数か月かかっていた」と記録している。多日作業をワンセッションに縮めた判断を下したのは人間のReshi氏であり、AIエージェントではない。
DirectX 8からMetalまで5層の翻訳スタック
グラフィックス面の難関は、2003年のゲームがDirectX 8で描画している点にある。Appleのグラフィックスは独自API「Metal」のみを受け付けるため、間に複数の変換レイヤーを挟む必要があった。
変換の経路は、DirectX 8コール → DXVK → Vulkan → MoltenVK → Metal → iOSグラフィックスサブシステムの順に進む。5層を経ることで、2003年のゲームコールが最終的にAppleのGPUに届く。
スタックそのものはGeneralsXプロジェクトが基盤として持っていたが、iOSへの移植では追加の作業が積み重なった。クロスコンパイル、iOSサンドボックスの制約への対応、アプリライフサイクル処理、開発者署名、ゲームアセットのレイアウト、DPIのミスマッチ、フォントフォールバック、OpenALのストリーミングバグ、ジェスチャー状態の問題。Reshi氏が公開したエンジニアリングログには、それらの障害が一つひとつ記録されている。
既知の限界もリポジトリに明記されている。長時間のiPadセッションはメモリ使用量が3GB超に達した段階でiOSに強制終了される。マルチプレイヤーはクロスプラットフォームの浮動小数点決定論の問題で機能しない。「完全プレイアブル」の範囲はキャンペーンとAI相手のスカーミッシュだ。
Opus 4.8が止まり、Fable 5が走り切った
Reshi氏本人と複数のメディアが記録している事実が一点ある。移植作業においてAnthropicの前モデルであるOpus 4.8は途中で失敗し、Fable 5への切り替えによってタスクが完了した。
Fable 5はAnthropicが「Mythosクラス」と位置付ける最上位モデルで、2026年6月9日にAPI一般提供が始まった。コンテキストウィンドウは100万トークン、最大出力は12万8000トークンで、思考(thinking)パラメータは常時有効になっている。価格は入力100万トークンあたり10ドル、出力100万トークンあたり50ドルと同社が公表する。Anthropicはこのモデルを「長期間にわたるコーディングや大規模マイグレーション向け」と説明した。
Reshi氏は自身がGoogle DeepMindに在籍しているにもかかわらず競合製品を使った理由を問われ、「AIの分野を愛し、競合を尊重しながら、自分の仕事に完全に集中することはできる。これは長いゲームだ」と答えた。
「グリーンフィールドだけ」ではなくなってきた
技術的な価値は、AIエージェントが何をやったかより、何に挑んだかにある。新規アプリのスキャフォールドではなく、レガシーC++コード、古いWindows依存、グラフィックス変換レイヤー、iOSサンドボックスルールという複合的な問題を扱った。成功したビルドでも、誤ったダイナミックライブラリが含まれる可能性があり、テクスチャのフォールバックは特定のゲームモードだけで壊れ、オーディオの停止条件は特定の台詞再生後にのみ失敗する。Reshi氏はそうしたバグを実機でのプレイセッションによって発見し、修正に誘導した。
Runtimewireはこの移植を「AIが支援するエンジニアリングのより難しいクラス」と評した。レガシーコードの移行、デバイスでのテスト、プラットフォーム統合は、グリーンフィールド開発よりコンテキストが乏しい作業だ。それでもFable 5が処理を進められたのは、GitHubのコードベース、既存のエラーメッセージ、修正後の動作確認という具体的なアーティファクトが常に存在したからだとReshi氏のプレイブックは示唆している。
Red Alert 2については、Reshi氏自身が「EAがソースコードを失ってしまったので移植は難しい」とXで述べている。ソースコードの存在が前提である以上、AI主導の移植は「ライセンスが整い、ソースが存在するタイトル」に限られる。同じ手順を踏もうとするエンジニアが最初に確認すべきは、対象ゲームのソース公開状況とライセンス条項だ。GeneralsXのような既存のコミュニティフォークがあるかどうかも、開発期間を左右する分岐点になる。
見方を変えると、今回のプロジェクトはゲーム保全の構造が変わりつつあることを示す事例でもある。かつてのゲーム保全は、熟練した開発者が何年もかけて逆アセンブルや文書化を行う専門家の仕事だった。EAがGPL v3でソースを公開し、コミュニティがモダンビルドに整備し、そこにFable 5のような長期エージェントが投入される。この三段階の連鎖が整えば、数週間かかった移植作業が一セッションの問題に変わる。保全活動の「速度の壁」がどこまで下がるかは、今後どれだけのパブリッシャーがソースをオープンにするかにかかっている。