1801年、英国の物理学者Thomas Youngは、約1mm間隔の2つの隙間に光を通し、その先に明暗のしま模様が現れることを示した。光が波であることの決定的な証拠だった。この「二重スリット実験」はその後、電子、中性子、原子、さらにはフラーレンのような巨大分子にまで拡張され、量子力学の波動性を裏付ける定番の実験として教科書に載り続けてきた。1989年には日立製作所の外村彰博士らが、電子を一つずつ飛ばして干渉じまが徐々に浮かび上がる過程を撮影し、量子力学の奇妙さを視覚的に突きつけた。

しかし、これらの実験には共通の前提がある。スリットは人工的に作られた構造であり、その間隔はナノメートルからマイクロメートルのオーダーにとどまっていた。干渉計測、すなわち干渉じまの変化から対象の物理量を精密に読み取る技術としては、すでに重力波検出器LIGOや原子時計に応用されている。では、スリットそのものを物質内部の原子に置き換えたらどうなるか。原子の並びや動きを、単一の原子結合レベルで直接調べられるのではないか。この発想は以前からあったが、実現した者はいなかった。

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結晶を「天然の二重スリット」にするという逆転

問題は本質的だった。結晶中の原子は規則正しく並んでいるから、格子点に固定された原子を「間隔の定まった二重スリット」として使えるはずだ。だが、局所的な情報を取り出すには、原子スケールの微小な領域だけに相互作用を閉じ込めなければならない。通常の電子回折では、電子線が多数の原子列に同時に当たるため、特定の原子対だけの干渉を取り出すことができない。

この壁を崩したのが、走査透過電子顕微鏡(STEM)の近年の進歩だった。収差補正技術により、電子プローブを半値全幅(FWHM)1.1Åまで絞れるようになった。さらに、照射位置ごとに2次元の回折パターンを高速記録するピクセル型検出器が実用化され、走査位置2次元と回折パターン2次元を合わせた4次元データ(4D-STEM)を取得できるようになった。柴田教授らは、この2つの技術を組み合わせることで、結晶を原子スケールの干渉計として使う道を開いた。

チャネリング効果が作り出す「2つの波源」

実験の手順はこうだ。まず、シリコン結晶を[110]方向から観察すると、2本の原子列が136pm(1.36Å)の間隔で対を成して並ぶ「ダンベル構造」が見える。研究グループは、STEMの電子プローブをこの原子対の中間に正確に位置づけて入射した。

電子が結晶中を進むとき、原子核の引力ポテンシャルが導波路のように働き、電子線は2本の原子列に沿って閉じ込められる。これはチャネリング効果と呼ばれる現象だ。その結果、試料の出口面には136pm離れた2つの微小な波源が形成される。この2つの波源が互いに干渉し、検出器上にしま模様を作り出す。

記録した膨大な4D-STEMデータの中から、電子線が原子対の中間に入射した条件の回折パターンだけを選び出し、結晶学的に等価な356個の原子対のパターンを平均した。すると、原子列を結ぶ方向と垂直に、3次の明線まで明瞭な干渉じまが現れた。しまの周期は0.736Åであり、スリット間隔136pmから期待される値と一致する。一方、プローブを1本の原子列の真上に置くと干渉じまは完全に消失した。隣接原子対の「中間」という特別な位置でのみ、二重スリット干渉が成立する。

ヤングの実験のスリット間隔が約1mmであるのに対し、本研究のスリット間隔は136pm。スケール比は約7桁、すなわち1000万分の1である。

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「協調振動」が干渉じまのコヒーレンスを守る

ここからが本研究の核心だ。結晶中の原子は常温でも熱振動している。もし隣り合う2つの原子が互いに無関係にばらばらに揺れていれば、スリット間隔がランダムに揺らぎ、高次の干渉じまは消えるはずだ。実際に、独立等方的な振動を仮定するアインシュタインモデルで計算すると、1次より高次の干渉じまはすべて消失し、実験結果と大きく食い違った。

ところが、シリコンのフォノン(格子振動)理論から導いた「協調した変位」をモデルに取り入れると、3次の明線まで含めて実験を精度よく再現できた。隣り合う原子同士が同じ向きに揺れる傾向、すなわち協調熱振動こそが、原子スケールの干渉を保つ物理的な理由だった。

この干渉じまは高温でも頑健だった。900K(約627℃)まで加熱しても、2次の明線が明確に観測される。アインシュタインモデルでは900Kで干渉じまは完全に消えるから、この高温での存続も協調振動の効果にほかならない。

条件 干渉じまの存続 実験との一致
アインシュタインモデル(独立振動、300K) 1次のみ。2次以上は消失 不一致
協調フォノンモデル(300K) 3次まで存続 一致
アインシュタインモデル(900K) 完全に消失 不一致
協調フォノンモデル(900K) 2次まで存続 一致
実験(300K) 3次まで観測 基準
実験(900K) 2次まで観測 基準

干渉じまから「結合の硬さ」を読み取る

研究グループはさらに、干渉じまの方向依存性を解析した。原子列を結ぶ方向(x方向)に2つの原子が同じ向きに動けば、スリット間隔136pmが保たれて高次の干渉じまが生き残る。逆向きに動くと間隔が揺らいで高次のしまが失われる。一方、垂直方向(y方向)に同じ向きに動けば二重スリットの軸の向きが保たれ、逆向きに動くと軸が傾いて干渉じまが角度方向にぼやける。効果の現れる領域が2方向で異なるため、1枚の干渉パターンから2方向の協調振動の度合いを独立に読み取れる。

この解析から得られた相関係数は、x方向(結合と平行)が、y方向(結合と垂直)がだった。x方向の方が振動がそろいやすいという結果は、結合を伸び縮みさせる方向の剛性が、横にずらす方向の剛性より大きいことを反映している。相関係数は温度を900Kまで上げてもほとんど変わらなかった。原子振動のそろい方が、温度によらない原子結合そのものの性質を映していることを意味する。

この相関係数は、原子結合の「硬さ」を表す力定数と直接的に対応する。隣接原子が硬いバネで結ばれていれば、一方が動いたときもう一方も引きずられて動き、相関係数は大きくなる。逆に結合が軟らかければ、動きはばらばらになる。干渉じまから相関係数を読み取ることは、その原子結合がどれだけ硬いかを実空間で評価することに直結する。

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CAVIARというもう一つのアプローチ

原子の協調振動を電子顕微鏡で捉えようという試みは、本研究だけが孤立的に進めていたわけではない。2026年6月、Humboldt大学のAnton Gladyshev、Christoph T. Kochらは、電子Ptychography(位相回復成像法)に基づくCAVIAR(Correlated Atomic Vibration Imaging with sub-Angstrom Resolution)フレームワークをNature Communicationsに発表している。CAVIARは4D-STEMデータから試料の透過関数を再構成し、その中の原子位置の揺らぎの空間相関を抽出する手法で、六方晶窒化ホウ素(hBN)の双結晶で10〜20pmの変位相関を観測した。

両者の違いは、干渉の物理をどう利用するかにある。柴田らの手法は、結晶自体を干渉計として使い、干渉じまの可視度という直接観測量から相関係数を読み取る。CAVIARは計算的な位相回復を経て原子位置を再構成し、その統計的揺らぎから相関を推定する。前者は単一原子結合に焦点を絞った局所計測に、後者は数nmの体積内のフォノン分散の抽出に強みを持つ。相補的な2つのアプローチが同じ年に登場したことは、この分野が臨界点に達していることを示唆している。

項目 本研究(柴田ら) CAVIAR(Gladyshev, Kochら)
掲載誌 Nature(2026年8月) Nature Communications(2026年6月)
原理 原子対を二重スリットとして利用した干渉計測 電子Ptychographyによる位相回復と変位相関抽出
観測量 干渉じまの可視度と方向依存性 再構成された原子位置の空間相関
空間分解能 単一原子結合レベル 数nm体積内の原子分解能
実証試料 Si単結晶([110]方向) hBN双結晶
温度依存性 300K〜900Kで測定 室温
得られる物理量 相関係数(, )、力定数比 フォノン周波数、変位相関の方向性

半導体の放熱設計にどこまで迫れるか

半導体デバイスの高性能化と小型化に伴い、発熱の制御は差し迫った工学的課題になっている。熱の伝わり方はフォノン、すなわち格子振動によって決まるが、ナノスケールでは従来の拡散モデル(フーリエの法則)が破綻し、弾道的な輸送や流体的な振る舞いが現れることが知られている。特に界面や欠陥の近傍では、フォノンの散乱が熱伝導を著しく妨げるが、その微視的なメカニズムを単一結合レベルで直接調べた実験はこれまでなかった。

本研究が示したのは、干渉じまの解析を通じて、特定の原子結合の硬さと振動の協調性を定量的に評価できるという原理である。この手法を半導体デバイスの界面や欠陥近傍に適用すれば、熱がどこを通りやすく、どこで滞るのかを原子レベルで可視化できる可能性がある。

ただし、現時点での検証は高純度シリコン単結晶の均一な領域に限られている。界面や欠陥のように結晶の周期性が乱れた場所で、チャネリング効果が十分に維持されるか、干渉じまが解釈可能な形で現れるかは未検証だ。また、シリコン以外の材料系、特に化合物半導体や酸化物への展開も今後の課題である。356個の等価な原子対の平均によって信号を確保したという実験条件は、局所的な不均一性を調べる際には別の戦略を必要とするだろう。

200年前に光の波動性を証明するために考案された実験が、原子の「協調」を読み取る計測器に姿を変えた。干渉じまに刻まれた情報は、半導体の熱設計という工学的な課題と、フォノン物理という基礎科学の双方に向けて開かれている。