スマートフォンのタッチスクリーンを指先でなぞるとき、その透明な板の表面には酸化インジウムスズ(ITO)やフッ素ドープ酸化スズ(FTO)と呼ばれる導電膜が塗られている。太陽電池も同じ構造のガラスを使う。光を電気に変える半導体薄膜をこのガラスの上に載せ、性能を引き出すには、結晶の質を高める高温処理が避けて通れない。
ここに長年の矛盾があった。半導体薄膜の結晶性を十分に高めるには800℃以上が必要だが、FTOガラスとその導電層は500〜600℃を超えると劣化する。炉に入れれば、薄膜が目的の温度に達する前に基盤が先に壊れる。逆に基盤が耐えられる温度で止めれば、薄膜は結晶欠陥だらけのままで、光から電気を効率よく取り出せない。
この制約は、材料科学の教科書的な概念である結晶多形(polymorph)の問題と重なると、さらに深刻になる。同じ化学組成でも原子の並び方が違えば性質がまったく変わる。炭素におけるダイヤモンドと黒鉛がその典型だ。半導体材料では、望ましい性質を持つ相が高温でしか安定に存在せず、ゆっくり冷やすとありふれた相に戻ってしまう。酸化ビスマス()もその一つで、室温で安定な単斜晶のα相(バンドギャップ約2.8 eV)に対し、正方晶のβ相(バンドギャップ約2.5 eV)は可視光をより広く吸収し、光触媒活性が高いことが2010年以降の複数の研究で示されていた。しかしβ相は亜安定であり、導電ガラス上で作って保つ手段がなかった。
「エネルギー量」ではなく「届ける速さ」が相を決める
ヘブライ大学化学研究所のShahar Artzi氏とRonen Gottesman博士のチームは、この二重の壁をミリ秒単位のパルス光で突破した。2026年7月28日にSmall Structures誌に掲載された論文で、チームはフラッシュフォトニック加熱(flash photonic heating, FPH)と呼ぶ手法を用い、FTOガラス上の薄膜に白色光の強力パルスを照射した。パルス幅は約0.1ミリ秒から数ミリ秒。薄膜が光を直接吸収して瞬間的に昇温し、ガラス基板が熱を追いかける暇がないうちに冷却が終わる。
結果は鮮やかだった。薄膜の温度は約2000℃に達したが、その下のFTOガラスは100℃以下にとどまった。従来の炉では原理的に実現できない温度差である。加熱速度は最大で毎秒1000万℃。炉の典型的な昇温速度が毎分10℃程度であることを考えると、桁違いの速さだ。
さらに注目すべき発見がある。パルスの総エネルギー量が同じでも、届ける速さ(パルス幅と強度の組み合わせ)を変えるだけで、生成する相が切り替わったのだ。長めのパルスは安定なα相を与え、短く強力なパルスは亜安定なβ相を室温に固定した。これは熱力学的な平衡ではなく、動力学的な制御、すなわち原子が「元に戻りたい」と思う前に冷却を完了させることで、通常は消えてしまう構造を捕まえていることを意味する。
Gottesman博士はプレスリリースの中で次のように述べている。「素材を非常に速く加熱し、非常に速く冷却することで、通常なら消えてしまう結晶構造に閉じ込めることができる。従来の加熱法では容易に保てない有用な性質にアクセスできるのだ」("The idea is to heat and cool the material so quickly that we can trap it in a crystal structure that would normally disappear.")
| 項目 | 従来(炉加熱) | 本研究(FPH) |
|---|---|---|
| 薄膜到達温度 | 最大500〜600℃(FTO基板の限界) | 約2000℃ |
| 基板温度 | 薄膜とほぼ同一 | 100℃以下 |
| 加熱速度 | 約10℃/分 | 最大10⁷ ℃/秒 |
| 冷却速度 | 遅い(原子が平衡相に戻る) | 極めて速い(亜安定相を固定) |
| 相の選択性 | 熱力学的に安定な相のみ | パルス条件でα相とβ相を選択可能 |
| 可逆切り替え | 不可(基板が耐えられない) | FTOガラス上で繰り返し実証 |
色が変わり、電流が50倍になる
相の変化は肉眼でも確認できた。α相の薄膜は淡い灰色だが、β相に転移すると鮮やかな黄色に変わる。β相はバンドギャップが約2.5 eVとα相の約2.8 eVより狭く、可視光のより広い波長域を吸収する。α相が素通しにする波長の光まで捕まえるため、光電流(光によって生じる電流)が10倍から50倍に増えた。なお、比較元・比較先の光電流の絶対値は現時点の公表資料では示されていない。倍率は薄膜の作製条件によって幅があるが、いずれの場合もα相を大幅に上回った。
Gottesman博士は「化学組成は変えていない。原子の並び方を制御しているだけで、光への応答が大きく変わる」と説明する。最も身近な類比は鍛冶屋の焼き入れだ。鋼を十分に速く冷やせば、原子が本来好む配列に戻る時間がない。チームは同じことを光で、ミリ秒の時間スケールで、しかもタッチスクリーンの裏側にあるのと同じ透明導電ガラスの上で行っている。
この手法が初めてではない点にも触れておく必要がある。Gottesman博士はベルリンのHelmholtz-Zentrum Berlin(HZB)に在籍中、Roel van de Krol教授のグループで急速熱処理(RTP)を酸化物薄膜光電極に応用する研究を進めていた。2022年にACS Energy Letters誌に発表した論文では、、、の薄膜をFTO基板上で850℃までフラッシュ加熱し、基板を損傷せずに結晶性を高めることに成功している。また-ではRTPにより光電流密度1 mA/cm²という当時の最高記録を達成した。今回の研究はその延長線上にあり、RTPの応用範囲を「結晶性の向上」から「結晶多形の可逆制御」へと拡張したものだ。
可逆切り替えという未踏の領域
今回の成果で特に新しいのは、FTOガラス上でα相とβ相の往復切り替えを繰り返し実証した点である。研究チームによれば、実デバイスに使われる導電ガラス上でこうした可逆的な相転移を示した例はこれまでなかった。パルス条件を変えるだけで同じ薄膜を灰色から黄色へ、黄色から灰色へと何度も戻せる。材料を交換せずに光学的な性質をその場で書き換えられる可能性が開かれたことになる。
フラッシュランプアニール(FLA)自体は半導体製造の分野では1970年代からイオン注入後のドーパント活性化に使われてきた技術であり、近年はペロブスカイト太陽電池やフレキシブルエレクトロニクスへの応用も進んでいる。ただし、既存の多くは結晶化や焼結を目的とし、結晶多形の選択的な制御、しかも可逆的な切り替えを導電基板上で実証した例は本研究が初めてだとチームは主張している。
次の課題
以外の材料系への展開は、チーム自身が次の課題として挙げている。太陽光水分解用の光電極材料や光触媒、高エントロピー酸化物などへの適用可能性を探る段階にある。Gottesman博士は2026年の学会発表で、高エントロピー希土類酸化物(HEREO)へのFPH応用にも言及しており、研究の射程は酸化ビスマスを超えて広がっている。
ただし、いくつかの未検証事項が残る。第一に、β相の長期安定性である。亜安定相は熱力学的にはα相に戻りたい状態にあり、実デバイスの動作環境(温度変動、湿度、長時間の光照射)でどの程度もつのかは今回の論文では十分に検証されていない。第二に、プラスチックやフレキシブル基板への適用だ。FTOガラスよりさらに耐熱性が低い基板で同じ手法が機能するかどうか、チームは現在検討中としている。第三に、光電流の10〜50倍という向上幅が実際の太陽電池素子の効率にどの程度反映されるかは、デバイスレベルの検証を待たなければならない。
炉の温度計が示す数字ではなく、光が届く速さで材料の運命が決まる。この単純な事実が、半導体薄膜の製造工程に新しい自由度を持ち込んだ。
