クラウド事業者にとって、データセンター内部のネットワークは増設のたびにスイッチと光ケーブルが膨れ上がる重荷だった。サーバーを増やせば、それを束ねる中継機器とその間を結ぶ配線が雪だるま式に増える。AIワークロードの急増で電力もコストも逼迫するなか、AWSはこの常識そのものを疑った。階層構造を捨て、グラフ理論の「疑似ランダム」な配線に切り替えることで、ルーターを最大69%減らしながら通信速度を上げたのだ。新設計「Resilient Network Graphs(RNG)」は、すでに大半のAWSワークロードで動いている。
RNGとは何か、なぜルーターを減らしても速くなるのか
データセンター内のネットワークは、長らく「fat-tree(Folded Clos)」と呼ばれる階層型トポロジーが業界標準だった。サーバー群(leaf)を多段のスイッチ(spine)でツリー状に束ねる構造で、どのサーバー同士でも一定の帯域を保証できる利点を持つ。Googleをはじめ大手も採用してきた、いわば確立された設計である。
問題は、段数が増えるほど中継機器が指数的に膨らむ点にあった。サーバーの台数に対してスイッチ・光トランシーバ・ケーブルの数が急増し、コストと消費電力が膨張する。ツリーの根に近い層ほど大量の機器を積み増す必要があり、規模の拡大がそのまま設備の肥大化に直結していた。
AWSが採った発想の転換が、グラフ理論の「エクスパンダーグラフ(expander graph)」だ。これは少ない辺(接続)で高い連結性を保つ疑似ランダムなグラフ構造を指す。階層を作らず、ルーター同士をランダムに近いパターンで直接つなぐと、どの2点間も少ないホップ数で到達できる。多段のスイッチで束ねる中間層が不要になるため、機器の総数を大幅に削れる。これがルーターを減らしながら通信効率を保てる理屈である。
ただし、配線が完全にランダムだと物理的な敷設が悪夢になる。ここでAWSは「ShuffleBox(シャッフルボックス)」という受動光デバイスを投入した。内部でケーブルを特殊なパターンでシャッフル(並べ替え)する装置で、電力を一切消費しない。これによって、本来なら配線地獄になりかねないフラット構造の敷設を、従来のfat-tree並みの複雑さに抑え込んでいる。論文によれば、ルーターがトラフィックを隣接ルーターへ撒くように分散させる独自の経路制御プロトコル「Spraypoint(スプレーポイント)」も併用される。
69%削減・33%向上という数値は何を基準にしているのか
AWSの発表によれば、RNGは従来のfat-tree(Folded Clos)型ネットワークと比べてルーター(ネットワーク機器)を最大69%削減し、スループットを最大33%向上させる。いずれも階層型を基準にした相対的な改善であり、単体の絶対性能を示す値ではない。比較の土台が「従来トポロジー」である以上、削減率はネットワークの規模や構成によって変動しうる幅を持つ。
数値の出典も区別しておく価値がある。arXivに掲載された論文のアブストラクトが直接主張しているのは「fat-tree同等以上の性能を、最大45%安いコストで実現する」という点だ。一方で「ルーター69%削減」「スループット33%向上」は、Amazon Scienceの公式ブログが示した数値である。さらに同社はネットワーク機器の電力消費を約40%削減すると見込んでいる。報道では機器削減を「約半分」と丸める例もあるが、本稿は公式ブログと論文に準拠して69%を採る。
これらの数値は単独で評価すべきではない。機器が減ればその分の電力とコストが下がり、配線量も減る。一方でスループットは上がる。設備を圧縮しながら性能を引き上げるという、従来はトレードオフだった2つの軸を同時に動かせた点に、この設計の核心がある。
「Resilient」が意味する大規模運用での耐障害性
名称に含まれる「Resilient(耐障害性)」は、単なる飾りではない。疑似ランダムグラフ構造には、経路の冗長性という性質が備わっている。任意の2点を結ぶ経路が多数存在するため、ルーターやリンクの一部が故障しても、トラフィックは別の経路へ迂回できる。階層型では上位スイッチの障害が広範囲に波及しやすいのに対し、フラットな網目構造は局所的な故障を吸収しやすい。
この性質は、数十万台規模のサーバーを抱えるハイパースケーラーにとって決定的な意味を持つ。機器が大量にあれば、どこかが壊れている状態が常態になる。設計段階で故障を前提とし、性能を落とさず運用を続けられることが、可用性を支える条件になる。RNGは少ない機器で高い連結性と冗長性を両立させており、削減と堅牢性が矛盾しない。
AWSのグローバルネットワークエンジニアリング担当VPであるMatt Rehderは、SiliconANGLEに対し、ネットワーク設計の長年の目標は「ネットワークを邪魔にならないようにすること(get the network out of the way)」だと説明したという。性能上の制約としてネットワークが意識される状態をなくす、という思想だ。RNGはその思想を具体化した設計と位置づけられる。
AWSがこれを既定にした戦略的意味と業界への影響
論文の記述によれば、RNGはすでにAmazonの大半のワークロードでデフォルトのデータセンターネットワークになっている。最初の疑似ランダムネットワークは2024年末にアイルランド・ダブリン近郊で稼働を始め、現在はアイルランド・ドイツ・スペインへ展開している。2026年4月までには、世界中の大半の新規AWSデータセンターで疑似ランダム配線が標準構成となり、論文は同月arXivに公開された。
この展開規模が示す意味は小さくない。論文はRNGを「エクスパンダーグラフベースのネットワークファブリックの初の大規模本番展開」と位置づけている。グラフ理論を応用したネットワーク自体は研究領域で議論されてきたが、ハイパースケール環境で本番投入された事例として、実証性を伴う点が際立つ。AWSは過去にもSRD(Scalable Reliable Datagram)など独自のネットワーク技術を投入してきた系譜にあり、RNGはその延長線上にある。
背景にあるのはAI時代の電力逼迫だ。生成AIの学習・推論需要でデータセンターの電力消費が急拡大するなか、ハードウェア・電力・コストを同時に圧縮できる設計は、事業の持続性に直結する。GoogleはJupiterと呼ぶ独自のfat-tree系ファブリックに長年投資してきたし、Microsoftの大規模ネットワークも階層型を基盤としてきた。エクスパンダーグラフの本番展開が一社の実運用で成立した以上、競合各社が同じ設計思想を検証対象に加えない理由は乏しい。読者がいま利用しているAWS上のサービスの多くは、すでにグラフ理論に基づく配線の上で動いている。