中国の公共空間で何百万台ものカメラが稼働していることは広く知られているが、そのカメラに何ができて何ができないかは、思われているより単純ではない。長年にわたって構築された監視網は実のところ「反応型」のシステムだった。すでにウォッチリストに載っている人物が画角に入れば警報を鳴らせるが、それ以外の人物の行動を事前に解析する能力は乏しかった。その前提が今、変わろうとしている。HikvisionHuaweiのAIカメラ・ソフトウェアによって、中国各地の地方政府は既存の監視インフラを刷新しており、テキストを打ち込むだけで映像を横断検索できる新世代のシステムが現実の運用に入りつつある。

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テキストを入力するだけで映像が出てくる——AcuSeekが実現した検索の仕組み

Hikvisionが2025年6月に発表したAI映像検索プラットフォーム「AcuSeek NVR」は、LLM(大規模言語モデル)を監視映像の検索エンジンとして機能させる製品だ。オペレーターがテキストボックスに「赤い帽子をかぶった女性」「黒いジャケットの男性」と入力すると、録画済みの映像から対象を即時に抽出できる。30言語以上の自然言語クエリに対応しており、音声入力での検索も可能だとされている。

従来の映像検索はタイムスタンプを手動で送りながら目視確認するか、あらかじめ登録した顔・ナンバープレートとのマッチングに頼っていた。この方法は検索対象が明確な場合には有効だが、「事件発生直後に関係者を絞り込む」「特徴の曖昧な人物を複数カメラをまたいで追う」といった用途には時間がかかりすぎる。AcuSeekはこの制約を、映像内の物体・属性・文脈を意味として埋め込むマルチモーダルAIモデルで突破する構造になっている。検索クエリも映像フレームも同じ意味空間にベクトル変換することで、テキストと映像のセマンティックマッチングを実現している。

Hikvisionは同時期に大規模AIモデル「Guanlan(観澜)」を搭載したDeepinViewX-Series Bullet Camerasも投入している。カメラ本体がエッジでAI推論を実行し、服装・姿勢・性別といった属性情報をクラウドに送信する前にローカルで構造化する。録画された生映像ではなく「属性タグ付きのメタデータ」をバックエンドに送ることで、ネットワーク負荷を抑えながら高度な検索を可能にする設計だ。大同市の調達テンダーで性別・姿勢・服装識別対応カメラが仕様要件に明示されたのは、こうした製品群の普及が前提にあるからだ。

「反応型」から「予測型」へ:監視哲学の転換

Claremont McKenna CollegeのMinxin Pei氏は旧来の監視システムの限界を端的に指摘する。旧システムは「反応型」であり、ウォッチリスト外の人物の意図を事前に読み取ることができない、と述べている。新AIシステムはこの欠点を解消しようとしている。

新AIシステムが検知対象とする行動は、特定の人物の追跡にとどまらない。群衆の形成、乱暴な運転、不法侵入、橋上での徘徊——これらは「ウォッチリストにある人物かどうか」に関係なく、行動パターンとして検知対象になる。ウォッチリストは事後的に作られるものだが、行動パターンの検知は事前に発動する。この差異が「反応型」と「予測型」の分岐点だ。

杭州(Hangzhou)では、アップグレードされたシステムがすでに運用されていると報告されている。既存の監視インフラに新しい分析レイヤーを載せることで、物理的なカメラを増設しなくても解析能力が段階的に強化される構造になっている。「7億台の目」が「7億台の考える目」に変わるプロセスは、カメラの設置ではなくソフトウェアの更新で進行する。

Human Rights WatchのMaya Wang氏(副アジア担当ディレクター)はこの変化を「AIとコンピュータービジョンにより、当局は行動を大規模に監視する前例のない能力を持つ」と表現している。個人の特定ではなく、行動の類型化と大規模な統計的分析が可能になる点が、従来の監視とは質的に異なる。

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なぜ今、なぜこの規模で:2024年指令と社会的背景

2024年、中国国内で相次いで発生した街頭暴力事件を受け、公安部長のWang Xiaohong氏はAI監視強化の指令を発令した。これが今回の全国規模の刷新作業を加速させた直接の契機とされている。

中国の監視インフラは2005年の天網(Skynet)プロジェクト創設から段階的に拡大し、2016年の雪亮工程(Sharp Eyes)で「公共空間100%監視」を国家目標に掲げた経緯がある。2023年時点の推計では設置台数は7億台を超えており、人口約14.5億人に対して「2人に1台」という密度に達している。それだけの規模のインフラが存在しながら、その分析能力は長年にわたって映像の記録と事後的な人物照合に限られていた。

各地方政府の調達予算は規模によってばらつきがあり、地区レベルでは15万ドルから150万ドル程度の範囲で進められているという報告がある。四川省崖都(Yaodu)では175台のHDカメラを調達した事例が確認されている。フィナンシャル・タイムズの報道では旧ネットワークの建設費は約440億ドルと伝えられているが、この数字は期間や計算方法により解釈が異なる可能性がある。

国内市場ではHikvision・Dahua・Univiewの3社が市場の約59%を占有しており(2025年時点)、今回の刷新でもHikvisionとHuaweiがシステムの中核を担う構造は変わらない。米国ではHikvisionが国防総省のEntity Listに登録されており、輸出規制の対象になっている事実とは対照的に、国内では引き続き政府調達の主力サプライヤーとして機能している。

全カメラ入れ替えなしの低コスト戦略:エッジAIの実態

7億台超のカメラを全て新しいAI対応モデルに置き換えれば、インフラ刷新のコストは天文学的な数字になる。実際のアップグレード戦略はより巧妙だ。一部の地方政府は既設カメラをそのまま残し、映像処理を担っていた中間サーバーのみをAI PCに置き換えるアーキテクチャを採用している。

この方式では、カメラが撮影した映像をAI PCがエッジでリアルタイム解析し、構造化されたメタデータをクラウドやバックエンドに送信する。クラウド上での大規模な映像処理が不要になるため、帯域幅コストとクラウド運用費を削減できる。既存の通信インフラをそのまま活用しながらAI解析能力を後付けできる点も、地方政府にとって採用の障壁を下げる要因だ。

エッジAIの採用はコスト最適化だけでなく、レイテンシーの削減にも寄与する。群衆形成の検知や橋上での徘徊の警告のように、リアルタイム性が求められるユースケースでは、映像をクラウドに送って返答を待つ往復時間は許容されない。カメラ直近での推論によって、アラートの遅延を秒以下に抑えられる。このアーキテクチャが普及すれば、高性能なバックエンドシステムへのアクセスがなくても、各地の監視ポイントが自律的に動作できるようになる。

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監視の包括化:人権専門家と国際社会の見方

Anthropicは2026年5月14日に公表した政策ペーパーの中で、中国がAIを活用して検閲・監視・サイバー攻撃能力を強化するリスクを警告した。同ペーパーは米中AI競争の文脈で書かれており、AIが権威主義的な統治能力の強化に転用されるシナリオを複数挙げている。映像監視への特化した記述ではないが、今回の刷新が示す方向性はそのリスク評価と重なる。

国際的な文脈で見ると、今回の動きが中国固有の出来事でない点も見逃せない。テキストベースの映像検索やエッジAIによるリアルタイム行動検知は、技術的にはどの国でも導入可能な汎用ソリューションだ。Hikvisionが米国で販売制限を受ける一方で、その技術は中東・アフリカ・東南アジアの多くの国でインフラ整備に使われている。「大規模な行動監視を可能にするツールキット」の普及という現象は、中国の国内問題としてではなく、権威主義的統治のためのインフラ輸出として捉える視点も存在する。

監視技術の評価は「何ができるか」だけでなく「誰が何のために使うか」という問いと不可分だ。Maya Wang氏が指摘した「行動を大規模に監視する前例のない能力」は、犯罪捜査と政治的抑圧のどちらにも等しく機能する。中国の監視網が「特定個人の事後追跡」から「不特定多数の行動リアルタイム予測」へとシフトするとき、その技術的な達成が何を意味するかは、技術の外側にある問いへと続いていく。