2025年の瀬戸際、世界の宇宙開発史において特筆すべき巨大な動きが水面下で進行していた。中国が国際電気通信連合(ITU)に対し、合計で20万機以上に及ぶ人工衛星の打ち上げ計画を一挙に申請したのである。
この数字は、現在地球周回軌道上に存在する全衛星数の10倍以上であり、Elon Musk氏率いるSpaceXが構築した「Starlink(スターリンク)」の既存ネットワークすらも遥かに凌駕する。中国側は、Starlinkによる軌道の混雑と衝突リスクへの懸念を公然と表明する一方で、自らも史上最大規模のメガコンステレーション(巨大衛星網)構築へと舵を切った。
本稿では、この前例のない申請の全貌と、背後にある「無線周波数・軌道イノベーション院」という謎めいた新組織の正体、そして物理的限界を迎えつつある地球低軌道(LEO)を巡る熾烈な「陣取り合戦」を見ていきたい。
20万機という衝撃:史上最大の申請ファイル
2025年12月、中国からITUへ提出された書類は、宇宙産業の関係者に衝撃を与えた。その申請総数は20万機を超え、単なる通信網の整備を超えた国家レベルの戦略的意志リソースの確保を意図していることは明白である。
謎の新組織「無線周ベーション院」の登場
この巨大申請の中核を担うのが、「無線周波数・軌道イノベーション院(Radio Innovation Institute)」という、これまで聞き慣れない組織だ。上海証券報や各国の報道によれば、この組織は2025年12月30日、中国の雄安新区に正式登録されたばかりの新しい国家級研究機関である。
特筆すべきは、同院が単独で「CTC-1」「CTC-2」という2つの巨大コンステレーションを申請している点だ。それぞれが96,714機の衛星で構成されており、この2つの計画だけで約19万3千機に達する。
「国家代表チーム」の結成
この新組織の設立メンバーには、中国の宇宙・通信分野における「国家代表チーム」とも呼ぶべき組織が名を連ねている。
- 国家無線監視センター(State Radio Monitoring Center)
- 中国衛星ネットワークグループ(China Satellite Network Group Co., Ltd.): 通称「China SatNet」。中国版スターリンク「GuoWang(国網)」を主導する国営企業。
- 中国電子科技集団(CETC): 防衛エレクトロニクスの巨人。
- その他、南京航空航天大学などの主要研究機関。
これに加え、China Mobile(中国移動)が2,520機、Shanghai Spacecom Satellite Technology(上海垣信衛星)が1,296機など、既存のプレイヤーも呼応するように申請を行っている。これは、単なる民間企業の競争ではなく、中国が国を挙げて「軌道資源」の確保に動き出したことを意味する。
「早い者勝ち」の宇宙不動産:なぜ今、大量申請なのか?
なぜ中国は、実現可能性が危ぶまれるほどの膨大な数を一度に申請したのか。その背景には、宇宙空間における「資源」の特殊な性質と、ITUのルールがある。
有限な「周波数」と「軌道スロット」
宇宙は無限に広がっているように見えるが、通信衛星が運用できる地球低軌道(LEO)と、そこで使用できる電波の周波数帯は、極めて限られた「有限の不動産」である。
特定の周波数と軌道の使用権は、ITUに対して調整を申請した順、すなわち「早い者勝ち」で優先権が与えられる。SpaceXがStarlinkで圧倒的な先行者利益を得ている現在、中国には「空いている土地」が埋め尽くされる前に、将来の分まで「予約」を入れておかなければならないという強烈な危機感がある。
7年間のタイムリミット
ITUの規定では、申請から7年以内に最初の衛星を打ち上げて運用を開始しなければならない。その後、2年以内に計画の10%、5年以内に50%、7年以内に全数を配備するという「マイルストーン」が設定されている。
つまり、今回の20万機の申請は、現時点ですべての衛星を製造・打ち上げできる能力があることを意味しない。むしろ、「将来のために場所を確保(スクワッティング)し、技術開発が追いつくまでの時間を稼ぐ」という戦略的な側面が強い。これを国際的な規制の枠組みの中で正当に行うための、一種の法的防衛戦術とも言えるだろう。
Starlinkとの衝突:物理的リスクと政治的駆け引き
今回の大量申請の動機として、中国側報道では「Starlinkによる衝突リスク」が強調されている。
混雑する空とケスラーシンドローム
SpaceXは現在、約7,500機のStarlink衛星を追加配備する承認を米連邦通信委員会(FCC)から得たばかりであり、最終的には42,000機の体制を目指している。これに対し中国が20万機を追加すれば、LEOの人口密度は爆発的に上昇する。
科学的な懸念点は、ケスラーシンドローム(連鎖的な衝突によるデブリの自己増殖)のリスク増大だ。特に、地球観測や通信に有利な「太陽同期軌道(SSO)」や高度500km〜1000kmの帯域は、すでに混雑が激しい。中国の申請した軌道の一部(高度510km付近など)は、既存の衛星やデブリが集中する領域と重なる可能性があるとの指摘もあり、国際的な波紋を呼ぶことは必至だ。
「防御」としてのメガコンステレーション
中国の主張は、「Starlinkが軌道を独占し、他国の宇宙利用を阻害するリスクがある」というものだ。実際、Starlink衛星は自律的な回避機動能力を持つが、その挙動が予測不能で、中国宇宙ステーションへの接近など過去にトラブルも報告されている。
中国にとって、自前の大規模衛星網を持つことは、通信インフラの確保だけでなく、「低軌道における物理的なプレゼンス(存在感)を維持し、米国の独占を防ぐ」という安全保障上の意味合いを帯びている。
2026年問題:中国の打ち上げ能力は追いつくか?
申請はあくまで「紙の上」の話である。最大の問題は、これほど膨大な数の衛星を誰が、どうやって宇宙へ運ぶのかという「輸送能力」のボトルネックだ。
SpaceXとの圧倒的な差
現在、SpaceXは「Falcon 9」の再使用により、数日に1回という驚異的な頻度で衛星を打ち上げている。一方、中国の主力ロケットである「長征」シリーズは使い捨てが中心であり、コストと頻度の両面でSpaceXに大きく水をあけられている。
20万機の衛星を規定期間内に配備するには、単純計算で年間数千機〜数万機を打ち上げる必要がある。現状の中国の能力では、これは不可能に近い数字だ。
次世代ロケットへの期待
しかし、中国も手をこまねいているわけではない。2025年後半から、中国の民間宇宙企業や国有企業による「再使用型ロケット」の開発が急ピッチで進んでいる。「朱雀(Zhuque)」や「長征」の次世代機など、SpaceXのStarshipやFalcon 9を意識した大型かつ再使用可能なロケットの初飛行や実用化が、2026年に相次いで計画されている。
証券アナリストらは、「2026年こそが、中国の衛星インターネット構築が実験段階から大量打ち上げフェーズへ移行する転換点になる」と予測している。今回の大量申請は、この次世代ロケット群の完成を見越した先行投資である可能性が高い。
新たな「冷戦」は成層圏の上で
中国による20万機の衛星申請は、単なる通信インフラの整備計画ではない。それは、21世紀の地政学的な戦場が、地表や海洋から「地球低軌道」へと完全に拡張されたことを告げる狼煙である。
米国(Starlink/Kuiper)と中国(GuoWang/CTC)がそれぞれ数万〜数十万機の衛星を配備すれば、夜空の星の数よりも人工衛星の数が多くなる未来はすぐそこにある。それは、世界中の人々に高速インターネットを届けるという恩恵をもたらす一方で、軌道環境の持続可能性や、衝突事故による宇宙利用の断絶という深刻なリスクも孕んでいる。
我々は今、人類が宇宙を「共有地(コモンズ)」として管理できるか、それとも「分割された領土」として争奪し合うか、その分岐点に立っているのかもしれない。
Sources
- South China Morning Post: China applies to put 200,000 satellites in space after calling Starlink a crash risk



