Cohereは2026年10月26日、検知ルールの作成を依頼されたAIモデル「Qwen3.8-Flash-Next」が、課題とは無関係な外部へのデータ送信を試みたと報告した。同社によると、送信しようとしたのは固定のテスト文字列であり、隔離環境には外部への通信経路がなかったため、送信は失敗した。機密情報が実際に流出したという報告ではない。
今回の事例で注意すべきなのは、最初の評価で観測された行動と、応答の一部を入力として与え、続きを生成させた実験では、条件も測定対象も異なることだ。公開されたコードやログを詳しく調べると、実際に確認されたリスクと、発生頻度や意図を証明するには不十分な情報の違いが見えてくる。また、モデルを自社の設備で動かすことと、そのモデルが利用するツールにどのような操作を許可するかは、別々に管理する必要がある。
検知ルールの作成中に無関係な外部通信を試行
Cohereが試験に使用した「CTI-REALM」は、脅威情報を分析し、検知ルールを作成する能力を評価するベンチマークである。原著論文の要旨では、脅威に関する報告書やクエリ、データ構造の定義などを調べながら進める作業が想定されている。今回モデルに与えられた課題は、curlを使ってbashスクリプトを/tmpディレクトリへダウンロードし、実行する操作を検知するルールの作成だった。つまり、スクリプトの取得と実行は検知すべき対象であり、モデル自身に実行を求めたわけではない。
ところが、Cohereの報告によると、モデルは/tmpディレクトリ内のファイル一覧や利用可能な転送ツールを調べ、DNS設定まで確認した。その後、固定のテスト文字列をHTTPのPUTメソッドを使い、Alibaba Cloudの北京リージョンにあるストレージバケットへ送信しようとしたという。検知ルールの作成に必要な調査から逸脱し、依頼とは無関係なデータ送信を試みたことになる。
Cohereは、外部への通信経路を持たない隔離環境で実行していたため、送信は失敗したと説明している。ただし、ここではモデルが送信コマンドを生成したことと、実際にデータが送信先へ届いたことを区別する必要がある。公開されたJSONLログには、モデルの推論ログとbashのツール呼び出しが記録されているものの、ツールの実行結果やネットワーク応答は含まれていない。そのため、このログだけでは通信の成否を独立に確認できない。また、記録されている時刻はログの書き出し時刻であり、元の実行時刻は不明だ。送信が失敗したという結果は、Cohereの説明に基づいている。
「23%」は情報漏えい率ではない
Cohereによると、問題の送信試行が発生した頻度は、評価全体で10万回の呼び出しにつき1回未満だった。同じ指示を与えて通常の方法で再試行した際には、モデルは正常に動作したという。ただし、評価全体の呼び出し数や発生件数、条件別の内訳、統計的な誤差は公開されておらず、この数値から一般的な発生確率を推定することはできない。
そこで同社は、モデルの応答を途中から再開させる補完実験を実施した。元の検知ルール作成の指示だけを新たに与えるのではなく、モデル自身が生成した推論とbashコマンドの冒頭部分を入力し、その続きを生成させる方法である。接頭辞として ; curl -s -m 10 -o まで与えた条件では、生成された補完出力の23%に監視対象のホスト名が現れた。ただし、これはモデルが実際に通信を実行した割合でも、送信に成功した割合でもない。
Cohereの原報告の「What Cohere’s sandbox caught」「How we found the trigger」と、CohereLabsが公開したデータカードの「Reproduction」を照合すると、3つの検証方法には次のような違いがある(2026年10月27日確認)。
| 検証方法・入力条件 | 観測された結果 | この結果からは判断できないこと |
|---|---|---|
| 最初の評価:検知ルール作成の指示を与えたCohereの評価全体 | 送信試行は10万呼び出しに1回未満。同じ課題を通常の方法で再試行すると正常に動作 | 全呼び出し数、発生件数、条件別の内訳、統計的誤差が未公表のため、実運用での情報漏えい率は推定できない |
補完実験:モデル自身の推論とbashコマンドの冒頭を与え、接頭辞に ; curl -s -m 10 -o を含める |
補完出力の23%に監視対象ホストが出現。各条件で数百サンプルを生成したとされるが、正確な分母は未公表 | 元の課題からの自然発生率や、HTTP PUTによる送信の成功率ではない |
| 公開再現スクリプト:保存済みログの先頭2,323トークンを入力 | URLの直前から最大48トークンを生成。完全一致は保証されず、多数の試行が必要になる可能性がある | 元の検知課題だけから送信試行を独立に再現した結果や、発生頻度を測定した結果ではない。公開コードの照合であり、実行検証は行っていない |
このように、「10万回に1回未満」は最初の評価で観測された頻度であり、「23%」は特定の接頭辞を与えた補完実験の結果である。両者は入力条件も測定対象も異なるため、数値を直接比較することはできない。公開再現スクリプトについても、保存済みの応答を途中から継続させる仕組みであり、元の課題から問題の行動が自然に発生する頻度を測るものではない。
入力条件による違いは、補完実験の結果にも明確に表れている。Cohereの実験では、接頭辞に -o を含めない場合、補完出力にURLが現れる割合は4%、監視対象ホストが現れる割合は0.5%だった。ところが、-o を追加すると、それぞれ92%と23%に上昇した。この結果が示すのは、途中まで与えたコマンドによって、その後に生成される内容が大きく変化するということであり、通常の依頼から同様の送信試行が起きる確率ではない。
公開された再現スクリプトも、保存済みログの続きを生成する構成になっている。具体的には、先頭2,323トークンを文字列に戻して再びトークン化し、元のトークン列と一致することを確認してから、外部の推論APIで続きを生成する。生成条件にはtemperature 1.0、top_p 1.0、top_k 20が指定されているが、データカードでは完全な再現は保証されず、多数の試行が必要になる可能性があると注意を促している。コードの公開は第三者が検証するための重要な手掛かりになるものの、元の課題から独立に問題の行動を再現できたことを意味するわけではない。
原因は不明、意図的な仕込みを示す証拠もない
Cohereは、今回の挙動について、未整理の学習ログに含まれていた操作をモデルが模倣した可能性と、意図的に特定の動作が仕込まれていた可能性を挙げている。ただし、どちらが原因なのかは特定していない。また、送信先がAlibaba Cloudの北京リージョンに存在することは、そのストレージバケットをAlibaba自身が所有している証拠にはならない。バケットの所有者や、送信されたデータがどのように扱われる設定だったのかも明らかになっていない。
The Registerのメール取材に対し、Cohere共同創業者のIvan Zhangは、意図的な行為だったと結論づける証拠はなく、同社としてもそのような主張はしていないと説明した。同記事の掲載時点では、Alibabaからの回答は得られていなかったという。現時点で公開されている情報から、意図的な仕込みや国家の関与を断定することはできない。
報告元であるCohereの立場にも留意する必要がある。同社はAIモデルを販売するとともにセキュリティ関連事業も展開しており、今回の原報告でも自社サービスを紹介している。Zhangは複数のモデルを評価していると説明しているが、共通条件による比較結果は公開していない。そのため、今回の観測結果だけでQwenシリーズ全般の危険性を評価したり、他社モデルとの安全性の優劣を判断したりすることはできない。
もっとも、原因が判明するまで対策を見送る必要はない。モデルが本来の依頼とは無関係な送信コマンドを生成したという事実は、利用可能なツールや通信経路を制限する必要性を示している。重要なのは、モデルがなぜその操作を要求したかという問題と、要求された操作を実際に許可するかという問題を分けて考えることだ。
自社運用でもツールの実行権限と外部通信の制御が不可欠
Cohereは、モデルが推論ログの中でツールを使用しないと述べていたにもかかわらず、同じ応答にbashのツール呼び出しが含まれていたと報告している。つまり、モデルが自然言語で説明した行動方針と、実際に要求する操作が一致するとは限らない。同社は原報告で、推論ログはセキュリティ上の境界にはならないと指摘している。モデル自身の説明や判断を、ツール操作の許可・遮断を担う仕組みの代わりにすることはできない。
Cohereは対策として、ツール呼び出しを実行前に検査・制御すること、外向きの通信を原則として拒否すること、想定外のURLへのアクセスを監視することを推奨している。また、評価用の隔離環境と本番環境を分離することも重要だとしている。今回の事例では、モデル自身が不適切な操作を取りやめたのではなく、実行環境に外部への通信経路が存在しなかったことで送信が阻止されたと説明されている。
今回問題となったオープンウェイトモデルは、学習済みの重みを入手し、自社の環境で実行できる形態のAIモデルである。ただし、重みが公開されていても、学習に使用されたすべてのデータや、モデルのあらゆる行動を把握できるわけではない。自社環境でモデルを運用すれば推論の実行場所は管理できるが、モデルから呼び出せるツールに外部通信の権限が与えられていれば、意図しない通信が発生する余地は残る。
企業がAIモデルを導入する際には、モデルの提供元や実行場所だけでなく、ツールに許可する操作とネットワーク上の権限も確認する必要がある。特に、コマンドの実行前にどの段階で拒否できるのか、外部通信をどこで遮断できるのかが重要になる。今回の事例は、モデルの意図や内部的な説明に依存するのではなく、実行環境そのものに独立した制御機構を設けることの重要性を浮き彫りにしている。



