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宇宙のささやきを聴け:ESA、史上最大の重力波観測所LISAの建設をついに開始

Y Kobayashi

2025年6月25日

2025年6月、パリ航空ショーの舞台で、宇宙物理学に新たな歴史が刻まれた。欧州宇宙機関(ESA)は、ドイツの宇宙技術企業OHB System AGとの間で、宇宙重力波観測所「LISA(Laser Interferometer Space Antenna)」の建設に関する契約に正式調印。これは、Einsteinが約1世紀前に予言した時空の歪み、「重力波」を宇宙空間で直接捉えるという、人類史上最も野心的な試みの一つが、構想段階を終え、ついに産業開発のステージへと移行した瞬間である。

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なぜ宇宙なのか?地上観測の限界を超えて

重力波天文学は、2015年の米国の観測施設LIGOによるブラックホール合体からの重力波の初検出以来、急速に発展してきた。日本を含む国際協力によって、宇宙を見るための「新しい窓」が開かれたのだ。しかし、地上の観測所には、地球そのものが発する地震ノイズや人間活動による振動という、越えがたい壁が存在する。これにより、観測できるのは比較的周波数の高い、つまり短い波長の重力波に限られていた。

LISAが狙うのは、この地上では観測不可能な、遥かに低い周波数の長大な重力波である。これらは、銀河の中心に鎮座する超大質量ブラックホール同士の衝突・合体や、宇宙誕生からわずか数億年後の初期宇宙で起こった激動の痕跡を運んでいると考えられている。いわば、宇宙の「重低音」を聴くための巨大な耳だ。

ESAの科学局長であるCarole Mundell教授が語るように、LISAは「暗黒宇宙に全く新しい窓を開き、既知の物理法則を極限まで試す」ことになる。地上観測が捉えるつかの間の轟音に対し、LISAは数ヶ月から数年にわたって続く宇宙の壮大な交響曲を捉える。これを実現するためには、地球という揺りかごを離れ、静寂な宇宙空間へと飛び出す以外に選択肢はなかった。

前人未到の技術的挑戦:250万kmで原子1個の揺らぎを捉える

LISAの構想は、そのスケールの壮大さにおいて他の追随を許さない。3機の同一の宇宙機が、地球の公転軌道上を追いかけるように飛行し、一辺が2.5百万kmにも及ぶ巨大な正三角形を形成する。これは地球と月の距離の実に6倍以上だ。

この前例のない編隊飛行の目的は、レーザー干渉計と呼ばれる仕組みを使って、重力波が通過する際に生じる宇宙機間のごく僅かな距離の変化を測定することにある。LISAが挑むのは、この250万kmという途方もない距離において、わずか数ピコメートル(1兆分の数メートル)、つまりヘリウム原子1個の直径にも満たない変化を検出するという、精密工学の極致とも言える挑戦だ。

技術的系譜の結晶:Thales Alenia Spaceの役割

この驚異的な精度を実現する鍵は、LISA計画全体の中で極めて重要な役割を担うThales Alenia Space社が開発する数々のシステムにある。同社は主契約者であるOHB社と2億6300万ユーロの契約を結び、宇宙機の頭脳であるアビオニクスや制御ソフトウェア、通信システム、そしてLISAの心臓部ともいえる「ドラッグフリー・姿勢制御システム(DFACS)」などを担当する。

このDFACSこそ、LISAの成功を左右する最重要技術と言っても過言ではない。宇宙空間は真空といえども、太陽光の圧力(太陽風)や微小な塵の影響など、非重力的な力が絶えず宇宙機に作用している。DFACSは、これらの僅かな外乱を精密なスラスター噴射によって相殺し、宇宙機が純粋に時空の歪みに沿って運動する「完璧な自由落下」状態を維持する役割を担う。

この技術は、決して一夜にして生まれたものではない。Thales Alenia Spaceは、地球の重力場を精密に測定したESAのミッション「GOCE」や、LISAの技術実証機である「LISA Pathfinder」で、このドラッグフリー制御技術を培ってきた。特にLISA Pathfinderは、2つの試験質量を前例のない精度で自由落下させることに成功し、LISA計画の実現可能性を証明した金字塔である。LISAは、これらの過去のミッションから受け継がれた技術的遺産の集大成なのだ。

揺りかごの中の宝石:自由落下する「試験質量」

各宇宙機の内部には、金と白金の合金でできた、ルービックキューブより少し小さい「試験質量」と呼ばれる立方体が2つ搭載される。これらは特殊なハウジングの中で外部からのあらゆる影響から保護され、宇宙機と共に運動するのではなく、宇宙機の中で自由に漂う。

レーザー光が測定するのは、厳密には宇宙機間の距離ではなく、この自由落下する試験質量間の距離の変化だ。重力波が通過すると、この試験質量間の距離がごく僅かに伸び縮みする。この揺らぎを、3機の宇宙機が互いにレーザー光を送り合うことで、三角測量の原理で検出するのである。

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科学から産業へ:欧州宇宙戦略の要としてのLISA

総額8億3900万ユーロ(OHB System AGとの主契約分)にも上るこのLISA計画は、単なる基礎科学の探求にとどまらない。これは、欧州が宇宙技術における世界的リーダーシップを確立するための、極めて戦略的な投資である。

OHB System AGのCEO、Chiara Pedersoli氏が「Einstein自身も、人類が彼の遺産の上にいかにして築き上げているかを見て誇りに思うだろう」と語るように、このプロジェクトは産業界にとっても大きな挑戦であり、誇りである。OHBを筆頭に、Thales Alenia Space、そしてイタリア(試験質量)、ドイツや英国、フランス(干渉計システム)、スペイン(診断システム)など、欧州各国の企業や研究機関が結集する国際協力体制は、技術革新の巨大なエンジンとなる。

LISAのために開発される超高精度レーザー技術、ノイズを極限まで抑える制御システム、そして長期間にわたる自律的な編隊飛行技術などは、将来的に量子センサー、次世代の衛星ナビゲーションシステム、さらにはより高精度な地球観測衛星など、全く異なる分野へ応用される可能性を秘めている。LISAは、基礎科学への投資がいかにして産業全体の技術基盤を押し上げ、新たな経済的価値を生み出すかを示す、格好の実例となるだろう。

2035年に予定されているAriane 6ロケットによる打ち上げまで、まだ10年という長い道のりが横たわっている。しかし、パリで交わされた契約は、人類が宇宙を「見る」だけでなく、その「ささやきを聴く」時代へと踏み出すための、力強い第一歩となった。LISAが宇宙の静寂の中から拾い上げる微かな響きは、私たちが知る宇宙の姿を根底から覆すほどの、壮大な物語を秘めているに違いない。


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