あなたはコンピューターの前に座り、ChatGPT ImageやMidjourneyのような生成AIモデルを操作しているとしよう。頭の中には明確なイメージがあり、まずは「居心地のよい部屋にある椅子」というシンプルで一般的なプロンプトから始める。
画像が現れるが、あなたは眉をひそめる。望むものを得るには、もっと詳しく描写しなければならないと気づき、より描写的なプロンプトを試してみる。「濃い色のマホガニー材」「淡い黄色のランプの光」「晩秋の夕暮れ」。機械がどの言葉を必要とし、どの言葉を無視するのかを探りながら、修正を重ねていく。
あなたはある問題と格闘している。感情をどう描写すればよいのか。温かさ、憂愁、親密さ、穏やかさといったものを、人間にではなく機械に、どう伝えればよいのか。
これはAI時代特有の新しいもどかしさだが、「正しいプロンプト」を探し求める何百万人ものユーザーは、実は古くからの文学的営みに取り組んでいる。すなわち、頭の中のイメージ、漠然とした願望、雰囲気についての直感を、精緻な言葉に変換するという営みである。
モダニズム作家と描写
生成AIは、描写という文学的技法を、大衆的な社会的スキルへと変貌させた。
このもどかしさには、実は意外な文学的来歴がある。一世紀以上前、新しい視覚技術が現実の表現方法を変え始めたとき、作家たちは同様の問いに直面していた。写真、そして後には映画が、散文には到底かなわない速さと正確さで、表面や身体、風景を捉えられるようになったのである。機械が言葉よりも効率的に目に見える世界を映し出せるのなら、いったい文章は何のためにあるのか。
文学研究者のDora Zhangは、著書『Strange Likeness: Description and the Modernist Novel』の中で、20世紀初頭の多くの小説家たちが、描写そのものの役割を見直すことでこの問いに応えたと論じている。

モダニズム作家のVirginia Woolfをはじめとする作家たちは、移ろいゆく意識の質感を捉えようとした。(Harvard University Library/Wikimedia)
Henry JamesやMarcel Proust、Virginia Woolfといったモダニズム作家たちは、対象を忠実に再現する点でカメラと張り合うのではなく、機械的な捕捉に抗う現象――雰囲気、感覚、関係性、気分、移ろいゆく意識の質感――へと目を向けた。
これは、モダニズム文学が19世紀のリアリズム文学とこれほど異なる印象を与える理由の一端を説明している。
初期の小説からの転換
Honoré de Balzacのような作家たちやCharles Dickensによる初期のリアリズム小説は、部屋や衣服、街路を事細かに描写することが多く、読者が直接目にすることのできない社会的世界を思い描く助けとなっていた。
モダニズム作家たちも描写を続けたが、彼らが描くものは次第に、単純には何かに「見える」ようなものではなくなっていった。部屋に漂う緊張感、無関係な二つのものの間にある奇妙な類似性、午後のひとときの感情的な空気、記憶がよみがえる際の半ば形をなさない感覚――そうしたものである。
言い換えれば、カメラが表面を記録する能力を高めるにつれて、文学は表面には収まりきらないものへと向かっていったのである。
雰囲気を喚起する
生成AIは、思いがけずこの歴史を逆転させた。写真は、画像を機械的に捕捉できるようにすることで、言語による描写の必要性を低下させた。一方でAIシステムは、ユーザーに望む画像の性質を言葉で指定することを求めることで、言語による描写の必要性を高めているのである。
場面を生成するには、かつて小説家たちが読者のために行っていたことを、今度は機械のために行わなければならない。すなわち、対象物や空間、気分を言葉に置き換える作業である。その課題は、単に物の名前を挙げることだけではない。画像生成ツールを使ったことのある人なら誰でも、対象物を描写するだけでは満足のいく画像が得られないことを知っている。
さらに必要となるのが、今やインターネット文化で「バイブ(vibe)」と呼ばれるものである。バイブとは、対象物を取り巻きながらも、それ自体には還元できない、漠然とした感情的・感覚的な性質を指す。これはまさに、モダニズム作家たちが次第に強い関心を寄せるようになっていった種類の現象である。
この意味で、プロンプトを書くという行為は、二つの古くからの文学的課題を同時に統合している。具体的な事物のリアリズム的描写と、モダニズム的な雰囲気の喚起である。
生成モデルとの対話
これらの生成モデルと対話することは、文学研究者Elaine Scarryが長年にわたり考察してきたある現象にも目を向けさせる。プロンプトを書くという作家的・描写的な行為を、彼女が「知覚的ミメーシス(perceptual mimesis)」と呼ぶものを示す行為として捉えることもできるだろう。
ミメーシス(ギリシャ語で「模倣」の意)は、美学理論を通じて「表象(representation)」を主題としてきた。Scarryの文学批評は、作家による描写が、読者の鮮明な心的イメージを導く指示として機能するさまを探究してきた。
機械との対話の中で、自らの考えを言語によって表現することについて省察すると、それが私たち自身や世界についての思考にどのような影響を及ぼしうるかという、余韻を残す問いが開かれてくる。
AIブームは「書くこと」を終わらせなかった
「AIは作家に取って代わるだろう」という声をよく耳にする。しかし、ある重要な意味において、AIはむしろその逆をもたらした。「書くこと」が持つ最も古いスキルの一つを、日常生活のすみずみへと再分配したのである。
会社員、学生、ティーンエイジャー、マーケター、趣味で取り組む人々――今や彼らは、プロンプトを練り上げ、言い回しを比較し、言葉のわずかな違いが結果をどう変えるかを学ぶことに時間を費やしている。それを「描写」と呼んではいなくとも、彼らは描写という営みを実践しているのである。
AIブームは「書くこと」を終わらせなかった。それはむしろ、私たち全員を書き手に変えたのである。
本記事は、ウェスタン大学比較文学博士課程在籍氏によって執筆され、The Conversationに掲載された記事「How AI prompting turned writerly description into an everyday skill」について、Creative Commonsのライセンスおよび執筆者の翻訳許諾の下、翻訳・転載しています。