2026年8月、世界最大のスマートフォンメーカーが、設立からわずか10年の中国メモリメーカーに値引きを断られた。韓国メディアDigital Dailyが報じたところによると、AppleはCXMT(長鑫存儲技術、ChangXin Memory Technologies)との交渉で、スマートフォンや2026年秋に発売予定のiPhone向けメモリチップの価格引き下げを求めた。CXMTの回答は拒否。提示された価格はSamsungやSK hynixと同等か、それを上回る水準だった。
この一見些細な商談の決裂が、半導体業界の力学変化を象徴している。DRAM市場は1990年代から2010年代にかけて、買い手が売り手を値引き競争に追い込む「チキンゲーム」の歴史だった。それが今、売り手が価格を決め、買い手が行列を作る構図に反転しつつある。
「チキンゲーム」が作った3社寡占と、買い手の交渉術
DRAM産業の歴史は、価格破壊による淘汰の歴史だ。1980年代半ば、NECや東芝など日本企業が世界シェアの80%を握っていたDRAM市場に、Samsungが低価格攻勢で参入した。Samsungはスタック方式を採用して歩留まりと量産コストで優位に立ち、赤字覚悟の値下げで競合を消耗させた。この「半導体チキンゲーム」の結果、ドイツのQimondaが2009年に、日本のElpida Memoryが2012年にそれぞれ経営破綻した。
生き残ったのはSamsung、SK hynix、Micronの3社のみ。2013年以降、この「Big 3」がDRAM市場の90%以上を占める寡占構造が定着した。McKinseyの分析によれば、DRAMは本質的にコモディティであり、ギガバイト単価がほぼ唯一の差別化要因だった。買い手にとっては、供給元を容易に切り替えられることが交渉力の源泉だった。
この構造の中で、デバイスメーカーは一つの調達戦略を磨いてきた。中国メーカーの安価な部品を引き合いに出し、既存サプライヤーとの価格交渉で優位に立つ手法だ。中国製DRAMは「安いが品質に不安がある」という位置づけで、交渉の梃子として使われていた。
AI需要が寡占構造に開けた亀裂
2025年半ば以降、AIデータセンター向けの投資が急増し、メモリ市場の需給が根本から変わった。Deloitteの推計では、ハイパースケーラーの2026年設備投資は1兆ドルを超え、その約30%がメモリに充てられる。メモリ市場全体の売上は2025年の約2,200億ドルから、2026年末には8,900億ドル規模に達する見通しだ。
SamsungとSK hynixは、利益率の高いHBM(高帯域メモリ)の生産に製造能力を集中させた。SK hynixは2026年下半期からHBM4の本格供給を開始し、Samsungもデータセンター顧客との5年間の長期供給契約を拡大している。その結果、PCやスマートフォンに使われるコモディティDRAM(DDR4、DDR5、LPDDR4Xなど)の生産能力が構造的に不足した。
DRAM契約価格は2026年第1四半期に前年同期比93〜98%上昇し、第2四半期にはさらに58〜63%の上昇が予測された(TrendForce)。2026年7月には、PC向けDRAMのベンチマーク製品(DDR5 8Gb)の平均契約価格が24ドルに達し、調査開始以来の最高値を記録した(DRAMeXchange)。
この需給逼迫の中で、コモディティDRAMの供給を担う存在として急浮上したのがCXMTだった。
CXMTの急成長、数字で見る「第4の勢力」
CXMTは2016年に安徽省合肥で設立された中国最大のDRAM専業メーカーだ。2025年通期の売上高は550億元(約80億ドル)超で、前年から約130%増加した。2026年第1四半期には売上高508億元(約75億ドル)、純利益330億元(約48億ドル)を記録し、前年同期の28億元の赤字から一転して黒字化した。
| 指標 | 2025年Q1 | 2026年Q1 | 2028年予測 |
|---|---|---|---|
| 世界DRAMシェア(出荷ベース) | 4.1% | 約9% | 約11%(Counterpoint Research) |
| 月間ウェハ生産能力 | 約24万枚 | 約32万枚(目標) | 約42万枚(計画) |
| 主力製品 | DDR4、LPDDR4X | DDR5、LPDDR5X、サーバーDDR5 | DDR6、HBM3E |
| 技術世代の差(Big 3比) | 約3年遅れ | 約2〜3年遅れ | 縮小見込み |
Counterpoint Researchの推計では、CXMTは2025年に出荷量ベースで世界第4位のDRAMメーカーとなった。ただし、同社のHwang Min-seong研究ディレクターは、長期的な競争力を維持するには世界シェア15%が「越えなければならない閾値」だと指摘する。2008年に台湾のDRAMメーカー各社の合計シェアがこの水準を下回った後、先端ファブへの投資資金を確保できなくなり、最終的にシェア約3%のニッチサプライヤーに転落した前例があるからだ。
制裁が逆転させた調達力学
CXMTの交渉力を支えるのは、技術力やコスト競争力ではない。中国国内の需要構造だ。
米国による対中輸出規制の強化を受け、Huawei、Xiaomi、Alibaba Cloud、ByteDance、Tencentなどの中国企業は、海外サプライヤーからの調達リスクを回避するため、CXMTのDRAM生産能力を長期契約で事前に囲い込んでいる。Korea Heraldの報道によれば、CXMTの売上のうち海外向けはわずか2.79%にとどまり、上位5社で中核事業売上の約3分の2を占める。顧客はほぼすべて中国国内企業だ。
Reutersの報道では、CXMTの64GB DDR5サーバーモジュール(RDIMM)の価格は、Samsungの同製品が約1,240ドルで販売されている水準を上回っている。HuaweiでさえCXMTに対して価格引き下げを求めたが、拒否されたという。
この構造が、Appleとの交渉でCXMTに決定的な優位を与えた。Digital Dailyの報道によれば、CXMTは既存の中国顧客との高価格帯の長期契約を根拠に、Appleへの値引きを拒否した。Appleが「中国製なら安いはずだ」という前提で交渉に臨んだとしても、CXMTにはそれを拒む正当な理由があった。すでに同じ数量を、同じかそれ以上の価格で売る相手が決まっているのだから。
消えた「中国カード」が変える調達戦略
この事態が意味するのは、デバイス業界が長年使ってきた交渉手法の有効期限が切れたということだ。
従来の調達戦略はこうだった。中国メーカーの安い見積もりを手に取り、「この価格で供給できる企業がいる。御社も合わせられるか」と既存サプライヤーに迫る。中国製メモリの品質や安定供給に不安があっても、交渉の材料としては十分だった。
CXMTの価格がBig 3と同等かそれ以上になった今、この梃子は効かない。むしろ逆の現象が起きている。CXMTがコモディティDRAMの価格下限を押し上げることで、SamsungとSK hynixは低価格帯のコモディティDRAMから完全に手を引き、高付加価値のHBMに集中できるようになった。Digital Dailyが引用した業界関係者は「CXMTがコモディティDRAM市場の価格下限を事実上コントロールしている」と述べている。
Jefferies証券は2026年8月のレポートで「中国のDRAM/NANDメーカーが短期的に意味のある価格引き下げや競争圧力を提供する可能性は低い。業界は2020年代後半まで高コスト環境に直面する」と分析した。
Appleに残された選択肢と政治的リスク
Appleにとって、CXMTとの交渉決裂はコスト問題の枠をはるかに超える。TechInsightsの推計では、iPhone 17 Proに搭載される12GB DRAMのコストは約39ドルだが、iPhone 18 Proでは145ドルに達する可能性がある。NANDフラッシュも13ドルから51ドルへの上昇が見込まれる。部品コスト全体の増加は約25%に相当し、iPhone 18 Proの店頭価格は1,299ドルから1,399ドルに引き上げられる見通しだ。
Tim Cookは2026年7月の決算発表で、メモリ価格の高騰を「100年に一度の洪水(a 100-year flood on memory pricing)」と表現し、「残念ながら値上げは避けられない(Unfortunately, price increases are unavoidable)」と述べた。
AppleはCXMTチップの品質検証(クオリフィケーション)をすでに開始しており、Bloombergの報道ではTim Cook自身が財務長官Scott Bessentらトランプ政権高官と直接交渉し、中国市場向けデバイスに限ってCXMT製メモリを使用する許可を求めている。しかしCXMTは米国国防総省の1260Hリスト(中国人民解放軍との関連が疑われる企業リスト)に掲載されており、商務省のエンティティリストへの追加も検討された経緯がある。下院中国委員会のJohn Moolenaar委員長はFinancial Timesに対し「Appleが中国の軍事企業と提携するのは重大な誤りだ」と述べた。
法的にはAppleがCXMTからチップを購入することを禁じる規制は存在しない。だが政治的リスクを考慮すれば、仮にAppleがCXMT製メモリを採用できたとしても、それは中国市場向け製品に限られる可能性が高い。
生産能力の天井と、まだ見えない均衡点
CXMTの生産能力には構造的な制約もある。米国の輸出規制により、先端DRAM製造に不可欠なEUV露光装置(ASML製)へのアクセスが制限されている。Omdiaの推計では、CXMTの月間ウェハ生産能力は約24万枚で頭打ちの状態が続いていた。2026年末までに35万枚への拡大が計画されているが、装置調達の遅延により一部が先送りされる可能性も指摘されている。
それでも需給の逼迫は当面続くとみられる。Samsungは「ほぼすべての顧客が複数年の供給契約を求めている」と述べ、SK hynixも約10社との契約交渉を完了した。新規の生産能力が市場に投入されるのは2029年から2030年と予測されており、それまでメモリ価格の高止まりは避けられない。
CXMTがAppleに値引きを拒否したという一事実は、半導体サプライチェーンにおける力関係の再編を象徴する。買い手が価格を決め、売り手がそれに従う時代は、少なくともコモディティDRAM市場においては終わった。次に問われるのは、この売り手市場がいつまで続くかではなく、買い手側がどのような新しい調達構造を設計できるかだろう。



