AIシステムの性能は、もはやGPUの演算速度だけでは決まらない。コアと記憶装置の間でどれだけ高速にデータを運べるか──その帯域幅がAI開発競争の隠れたボトルネックになっている。その役割を担うHBM(高帯域幅メモリ)の約8割を世界に供給しているのが韓国だ。
ところが今、中国のCXMTが国家主導で生産能力を急拡張し、AI需要は各社の投資計画の想定を超えた速度で膨らんでいる。Samsung・SK hynixは2026年6月29日、この二重の圧力に応えるため、韓国南西部に計900兆ウォン(約5,800億〜6,500億ドル相当)を投じる「第二の半導体ベルト」構想を発表した。韓国政府も「3S+1F戦略」を掲げ、国を挙げてこの巨大構想を後押しする。
「第二の半導体ベルト」の概要:何をどこに作るのか
韓国の半導体生産は長年、首都圏の京畿道に集中してきた。Samsung Electronicsの平澤工場とSK hynixの利川・龍仁クラスターが主力を担い、その周辺に関連サプライヤーが集積する。この「第一のベルト」は世界屈指の生産地帯として機能してきたが、都市圏の拡張に伴い土地・電力・水の制約が深刻化し、新たな大規模増設の余地は実質的に限られつつある。
今回打ち出されたのが、韓国南西部のホナム(湖南)地域を核とする新拠点構想だ。SamsungとSK hynixがそれぞれ複数のメモリファブを光州周辺に建設し、SK hynixは忠清南道の天安・牙山温陽エリアにHBMパッケージング拠点を新設する。SK hynixの同拠点への投資額だけで81兆ウォンに達し、Samsung・SK hynixの半導体施設への合算投資は計約900兆ウォン(約5,800億〜6,500億ドル相当)となる。ファブの最終的な規模については報道ごとに数字に幅があり、4基以上の新設ファブが計画されているとされる。
SKグループ全体では、半導体に加えてAIデータセンターや関連インフラへの投資を含め約1,100兆ウォンを10年間で投じる計画だ。Samsungを加えた両社の10年間投資総額は最大2,000兆ウォン(約1.3兆ドル)に達するとも報じられており、そのうちSKグループの南西部半導体への直接投資は約400兆ウォンとされている。単独の民間企業群による国家規模の投資計画としては、世界的にも前例のない規模だ。
政府はこの計画を支える枠組みとして「3S+1F戦略」を策定した。Speed(速度)・Stronghold(拠点確保)・Spearhead(技術の尖兵化)に、Full-support(全面的国家支援)を加えた四本柱だ。産業通商資源部のKim Jung-kwan長官は「韓国はもはや首都圏という単一の半導体ベルトに頼れない。半導体はAI時代の骨格であり、低成長を脱する最後のチャンスだ」と語り、南西部新拠点と首都圏既存プロジェクトの加速を同時に推進する方針を示した。
加えて政府は、首都圏の既存クラスター整備も並行して加速させる。龍仁クラスターの完工を当初計画から7〜12年前倒しにする方針が同時に発表されており、「第一のベルト」の機能強化と「第二のベルト」の新設を両輪とした全方位的な能力拡張が今回の計画の本質だ。
なぜ今なのか:AIを動かすHBMの仕組み
HBMを理解するには、まず通常のDRAM(動的ランダムアクセスメモリ)との違いから入る必要がある。通常のDRAMはプロセッサとは別の基板上に実装され、データのやり取りはメモリバスと呼ばれる電気的な配線を経由する。この方式は汎用性が高い一方、バスの帯域幅に物理的な限界があるため、プロセッサがデータを要求しても転送が追いつかない「メモリウォール」問題が生じる。演算性能がいくら高くても、データの供給が間に合わなければGPUはアイドル状態になる。
HBMはこの問題を根本から解決するために設計された。複数のDRAMダイを垂直に積み重ね(スタック)、TSV(Through-Silicon Via:シリコン貫通電極)と呼ばれる微細な縦穴を通じて電気的に接続する。さらにこの積層体をGPUやAIアクセラレータと同じパッケージ内に並べて配置することで、従来の数百倍に上る帯域幅でデータをやり取りできる。NVIDIA H100がHBM3を搭載するのはまさにこの理由であり、演算速度を最大限に活かすには、それと釣り合うメモリ帯域幅が不可欠だからだ。
AI大規模モデルの訓練と推論は、膨大なパラメータを高速に読み書きする処理の連続だ。GPT-4クラスのモデルを処理するには毎秒テラビット単位のメモリ帯域幅が必要であり、HBMなしにその要件を満たすことはできない。モデルが大型化するほどHBMの必要量は指数的に増大し、AI企業のデータセンター投資拡大がそのままHBM需要の急増に直結する構造が生まれている。
Omdiaによると、世界メモリ市場は2025年の約2,000億ドルから2030年には約8,000億ドルへ4倍近く成長するとされる。この成長の主因がHBMとAIサーバー向けDRAMだ。需要カーブがいつ鈍化するか、誰にも読めない。
韓国が「今」決断した理由はそこにある。需要が続く間に供給能力を確保しなければ、市場の果実を他国の供給増で先取りされる。数千億ドル規模の投資を今踏み切るか、需要が鈍化した後に後悔するか──900兆ウォンはその賭けの値段だ。
中国の追撃:CXMTが迫るHBM市場
韓国が現時点で最も強く意識する競合の一つが、中国のCXMT(ChangXin Memory Technologies:長鑫存儲技術)だ。国家資本を背景に上海ファブを急速に拡張しており、2026年末には月産35万ウェハ(kwspm)水準に達すると報じられている。これはMicronとほぼ同等の生産規模であり、2027年上半期にはDRAMの本格量産体制に移行する計画だとされる。世界DRAMにおけるCXMTのシェアは2025年の約11%から2027年には約13.9%まで拡大する見通しだ。
この数字だけを見れば韓国の優位を揺るがすほどの規模ではないが、問題は技術発展のロードマップにある。DRAMとHBMは製造プロセスを共有する部分が大きく、DRAM生産能力の確立はHBM参入への直接的な前段階として機能する。現在CXMTのHBM量産はまだ先の話だが、DRAMでの技術蓄積が進めば参入の時期は前倒しになりうる。韓国の懸念は「今のCXMT」ではなく「3〜5年後のCXMT」だ。
Micronの動きも同じ文脈で読む必要がある。2026年3月15日、同社は台湾のPSMC(Powerchip Semiconductor Manufacturing Corp)の桐羅(Tongluo)P5サイトの取得を完了し、HBM製造向けに改修を進めている。現在MicronのHBMシェアは21%で、Samsungの17%を上回り業界2位を固めた。SK hynixの62%に次ぐこの地位は、韓国内でSamsungとSK hynixのシェア格差が広がっていることも際立たせる。
韓国にとっての脅威は価格帯と技術帯の二層で同時に迫っている。CXMTは価格競争力で低価格DRAM市場から韓国製品を押し出す可能性があり、MicronはHBMの品質と供給力で韓国企業の主要顧客との関係を侵食しうる。価格帯の下からCXMTに、品質競争の上からMicronに、同時に挟まれる構図が韓国の置かれた現実だ。900兆ウォン投資の緊迫感は、この挟撃からくる「待てない」という判断の表れでもある。
Samsungの賭け:南西部で何を建てるのか
Samsung Electronicsのここ数年は、HBM競争での遅れが業績に影を落としていた。SK hynixが62%のシェアを握る中、Samsungは品質認定の問題に直面し、主要顧客であるNVIDIAへの供給で後手を踏んだ。現在のHBMシェアは17%にとどまり、Micronにも2位を明け渡した。半導体事業を核に据えるSamsungにとって、HBMでの遅れは市場での競争的立場を根本から問い直させる規模の後退だ。
今回の南西部投資は、こうした状況を生産規模の拡大で補完する構造的な再編だ。Samsungは光州・ホナム地域に計4基以上のメモリファブを新設し、生産能力の絶対値を引き上げることを目指す。品質問題の技術的な解決と並行して、いかなる需要水準にも対応できるキャパシティを先行確保する戦略と見ることができる。
Samsung Electronics Executive ChairmanのLee Jae-yongは「Samsungは韓国半導体産業が技術的優位性を維持できるよう取り組む」と述べた。首都圏では、龍仁国家産業団地の完工を従来計画から7年前倒しし、2040年代初頭の完成を目指す方針も固めた。南西部の新設と首都圏の拡張を同時に進めることで、数年以内に生産能力を大幅に増強するという絵図だ。
ただし、ファブの増設がそのままシェア回復に直結するわけではない。HBM競争は最先端世代の開発速度と品質での勝負であり、設備規模がすべてを決めるわけではない。SK hynixがHBM3EでNVIDIAとの緊密な協力関係を構築した経緯を考えれば、Samsungが主要顧客の信頼を取り戻すには技術的な実績の積み重ねが不可欠だ。南西部への大規模投資は、その長期的な競争力回復戦略を支える基盤として機能する位置づけにある。
SK hynixの布石:先行する西側拠点
SK hynixが置かれた状況は、今回の局面でSamsungと対照的に見える。HBMシェア62%を背景に2025年には史上最高益を更新した同社の課題は、追いすがるMicronやCXMTを引き離しながら、AI需要の急増に供給能力を追いつかせることにある。今回の投資は「攻め」ではなく「速度を落とさずに規模を拡張すること」だ。
今回の構想でSK hynixが担う中心的な役割が、忠清南道へのHBMパッケージング拠点新設だ。81兆ウォンを投じるこの拠点は、HBMの製造工程の後工程(パッケージング)に特化しており、SK hynixのHBM生産チェーンを首都圏から南部へと延伸させる。HBMはDRAMダイの積層後にパッケージングを行う工程が品質を大きく左右するため、専用拠点の確保は生産能力と品質管理の両面で戦略的な意味を持つ。
龍仁クラスターについても、完工目標を当初計画から12年前倒しして2033年に設定したことを発表した。12年という前倒し幅は韓国のインフラ整備の常識をはるかに超えており、政府の「Speed優先」というコミットメントを数字で体現している。韓国国内の整備に加えて、SK hynixはすでに米国インディアナ州でのファブ建設にも着手しており、西側顧客への地政学的な供給保証という観点でも先手を打っている。
SKグループのChey Tae-wonは「本日時点の需要は依然として堅調だ。投資を続けても供給不足を完全に解消することは難しい」(原文:"Demand visible as of today remains solid. Even if investment continues, it will be difficult to fully resolve the supply shortage")と述べた。HBMシェア最大手のトップがこの言葉を発する重みは大きい。AI需要の膨張速度が現実的に可能な供給拡大速度を構造的に上回っているという認識であり──900兆ウォンという史上最大規模の投資を決断してなお、供給不足の解消を確約できないことを正直に語っている。
6年の先例が示す「構想から現実」へのリスク
最大の不確実性は、実行速度にある。SK hynixの龍仁クラスターは、発表から着工まで6年を要した。電力インフラ不足、水供給の確保、土地補償交渉の難航が複合した結果だ。今回の南西部は首都圏よりも開発が遅れた地域であり、同じ種類の課題が繰り返されるリスクがある。
政府が「3S+1F戦略」の筆頭に「Speed(速度)」を掲げたのは、この過去への直接的な反省として読める。電力・水インフラの整備と土地収用を迅速化するための法整備や行政支援を含む全面的な後押しを約束しており、用仁で経験した停滞と同じことは繰り返さないという意志表明だ。龍仁クラスターを7〜12年前倒しする方針もその延長線上にある。
看過できないのが政治的文脈だ。南西部のホナム地域はLee Jae-myung大統領の政治的地盤であり、2025年大統領選での同地域得票率は約85%に達した。国家産業政策と政権の政治的利益が重なるこの構造は、投資実現への強い後ろ盾として機能する一方で、純粋な経済的合理性以外の力学が計画を形成していることも意味する。政策の実現可能性を評価する際には、この二重の動機を念頭に置く必要がある。
現実の試金石となるのは、最初の3年間でどれだけ着工できるかだ。用仁の轍を踏まなければ、「第二の半導体ベルト」は2030年代初頭に韓国の生産能力を根本的に変える構造転換となりうる。しかし着工が遅れれば、AI需要が最も旺盛な時期を他国の供給増で埋められるリスクが現実になる。政府が「低成長脱出の最後のチャンス」と形容したこの賭けが機能するかどうかは、発表の壮大さではなく、土地収用と電力確保の進捗状況という地味な数字で判定される。