NVIDIAが同社のAIアップスケーリング技術「DLSS」の最新SDK(310.3.0)をリリースした。今回のアップデートの核心は、DLSSの頭脳とも言える新しい「Transformerモデル」におけるVRAM使用量の大幅な削減だ。最大20%の効率化は、特にビデオメモリ(VRAM)に限りがあるグラフィックボードにとって朗報に聞こえる。しかし、この技術的進歩は、すべてのユーザーに等しく恩恵をもたらす万能薬なのだろうか? 本稿では、このアップデートが持つ多面的な意味を、具体的なデータと詳細なレビューに基づき、深く掘り下げていく。
AIモデルの世代交代:より「賢く」なったDLSSの代償
NVIDIAのDLSSは、その登場以来、AIの力でゲームのパフォーマンスと画質を両立させる技術として進化を続けてきた。初期から採用されてきたのは「CNN(畳み込みニューラルネットワーク)」と呼ばれるAIモデルだ。しかし、NVIDIAはさらなる改善を目指し、より高度で複雑な「Transformerモデル」への移行を進めている。
Transformerモデルは、OpenAIのGPTシリーズなど、近年の生成AI革命を牽引してきたアーキテクチャであり、画像処理においてもその能力は絶大だ。NVIDIAによれば、この新モデルは従来のCNNモデルと比較してパラメータ数が2倍、レンダリング計算量は4倍に達するという。これにより、フレーム内のピクセル間の文脈をより深く理解し、時間的な安定性や細部の再現性を劇的に向上させることが可能になった。
だが、この「賢さ」には代償が伴う。より多くの計算リソース、そしてより多くのVRAMを消費するのだ。事実、最適化前のTransformerモデルは、CNNモデルの約2倍のVRAMを必要としていた。これは、高性能な最新GPUならまだしも、ミドルレンジや旧世代のGPUにとっては無視できない負担となっていた。今回のアップデートは、このトレードオフに対するNVIDIAからの一つの回答と言えるだろう。
20%のVRAM削減が意味するもの:具体的な数値で見る変化

では、具体的にどれほどの改善が見られたのか。NVIDIAの公式データは、その効果を明確に示している。
解像度 | 新Transformerモデル (310.3.0) | 旧Transformerモデル | CNNモデル |
---|---|---|---|
1080p | 85.77 MB | 106.9 MB | 60.83 MB |
1440p | 143.54 MB | 181.11 MB | 97.79 MB |
4K | 307.37 MB | 387.21 MB | 199.65 MB |
8K | 1,225.17 MB (1.2GB) | 1,517.60 MB (1.5GB) | 778.3 MB |
表を見れば明らかなように、今回の最適化によって、新TransformerモデルのVRAM使用量は全解像度で約20%削減された。これにより、CNNモデルとの差は大きく縮まり、以前の「約2倍」から「約1.4倍(40%増)」にまで改善されている。
例えば4K解像度では、約80MBのVRAMが節約される計算だ。これは、VRAMが16GBや24GBといった大容量を持つハイエンドGPUにとっては微々たる差かもしれない。
しかし、この話はVRAM容量が8GBやそれ以下のグラフィックボード、例えばかつての人気モデルであるGeForce RTX 3060 12GBやRTX 2060 6GBのユーザーにとっては、全く異なる意味を持つ。高解像度や高設定でゲームをプレイする際、数十MBの差が安定性を左右することは珍しくない。このアップデートはVRAM容量に制約のあるゲーマーにとって、より快適なゲーム体験への扉を開く可能性を秘めているのだ。
光と影:画質の大幅向上と、旧世代GPUが直面する新たな「壁」
今回のアップデートはVRAM削減だけに留まらない。TechPowerUpによる詳細なレビューは、Transformerモデルがもたらす驚異的な画質向上と、同時に浮き彫りになる新たな課題を明らかにしている。
驚異的な画質向上:ゴースト低減とRay Reconstructionの進化
Transformerモデルの真価は、その画質の改善にある。
- ゴーストの劇的改善: 『Cyberpunk 2077』のようなゲームで、これまで悩みの種だった動くテキストやUI要素のゴースト(残像)が大幅に抑制された。新モデルは、モーションベクターが適用されないアニメーションテクスチャをAIが賢く認識し、文字が滲まず、くっきりと表示されるようになったという。
- 時間的安定性の向上: 『Alan Wake 2』や『S.T.A.L.K.E.R. 2』で見られた、木の葉など植生のチラつきが大幅に低減。特にパフォーマンスモードでの画質改善は顕著で、低解像度からアップスケールしているとは思えないほどシャープで安定した映像を実現している。
- Ray Reconstructionの革命: DLSS 3.5で導入されたRay Reconstruction(RR)もTransformerモデルによって生まれ変わった。特に『Cyberpunk 2077』で指摘されていた、全体がぼやける「油絵のような」質感や、キャラクターの顔のディテールが失われる問題が大幅に改善。レイトレーシングによる反射や影の品質も向上し、よりリアルで没入感のある映像体験が可能になった。
これは紛れもなく、全RTXユーザーにとって大きな恩恵だ。NVIDIAがこの画質向上をGeForce RTX 20シリーズまで遡って提供するという事実は、高く評価されるべきだろう。
Ampere世代の悲鳴?RTX 30シリーズのパフォーマンステストが示す課題
しかし、話はそう単純ではない。TechPowerUpがRTX 3060で行ったパフォーマンステストは、見過ごせない問題を提起している。
VRAM使用量が削減されたとはいえ、TransformerモデルはCNNモデルよりも依然として高い計算能力を要求する。RTX 40シリーズのような最新世代のGPUでは、そのパフォーマンスへの影響は3〜5%程度と軽微だ。
問題は、RTX 30(Ampere)シリーズやRTX 20(Turing)シリーズで、DLSS Super Resolution(SR)とRay Reconstruction(RR)を同時に有効にした場合に発生する。TechPowerUpのテストによると、RTX 3060で『Cyberpunk 2077』をプレイする際、旧来のCNNモデル(SR+RR)と比較して、新しいTransformerモデル(SR+RR)を使用すると、パフォーマンスが約25%も低下するという結果が出たのだ。

これは、旧世代GPUのTensorコア(AI処理専用コア)のアーキテクチャが、より高度なTransformerモデルの処理に対してボトルネックになっている可能性を示唆している。つまり、旧世代GPUのユーザーは、「最高の画質」を手に入れるために、「大幅なパフォーマンス低下」という厳しい代償を支払う必要に迫られる可能性があるのだ。VRAM使用量が減ったとしても、根本的な計算負荷が大きければフレームレートは上がらない。これは、今回のアップデートが持つ「影」の側面と言わざるを得ない。
AI時代のゲーミング体験と、ユーザーに委ねられる選択
NVIDIAの最新DLSSアップデートは、単なる「VRAM使用量20%削減」という数字以上に、多くの示唆に富んでいる。
第一に、NVIDIAがDLSSの中核技術をTransformerモデルへと本格的に移行させ、その普及のためにメモリ効率の改善という地道な最適化を続けていることがわかる。これは、AIを活用したレンダリングが同社の長期的な戦略の根幹にあることを改めて示すものだ。
第二に、このアップデートはユーザー層によってその意味合いが大きく異なる。ハイエンドユーザーにとっては「より良くなった画質へのマイナーアップデート」かもしれないが、ミドルレンジユーザーにとっては「VRAMの制約を緩和する福音」となりうる。そして旧世代ユーザーにとっては、「最高の画質か、快適なパフォーマンスか」という、新たな選択を迫るものになるだろう。
結局のところ、技術は選択肢を提供するに過ぎない。今回のTransformerモデルの進化は、ゲーマーにさらなる高品質な映像への道を示した。しかしその道をどの速度で、どの程度の快適さで進むかは、最終的に個々のハードウェア環境と、ユーザー自身の判断に委ねられている。DLSSは、もはや単なるパフォーマンスブースターではない。画質、パフォーマンス、そしてハードウェアの制約という複雑な方程式を解き明かす、AI時代のゲーミングにおける羅針盤となりつつあるのではないだろうか。
Sources
- NVIDIA: GitHub
- TechPowerUp: NVIDIA DLSS 4 Transformer Review – Better Image Quality for Everyone