2025年9月、世界は「歴史上最大のコンピューティング・プロジェクト」の誕生に沸いた。AI半導体の覇者NVIDIAと、ChatGPTで時代を定義したOpenAIが、10ギガワット(標準的な原子力発電所10基分に相当)もの電力を消費する超巨大データセンター群を構築し、そのためにNVIDIAが最大1000億ドルを投じるという覚書(MoU)を交わしたのだ。しかし、それから数ヶ月が経過した2026年2月現在、この「世紀のメガディール」の足元には深い亀裂が生じている。
Wall Street Journal紙が伝えた内部関係者の証言によれば、この1000億ドル規模の提携案は現在「棚上げ(On ice)」の状態にあるという。NVIDIAのCEO、Jensen Huang氏は、公の場ではOpenAIへの変わらぬ支持を表明しつつも、裏では同社の経営体制や市場競争力に対して極めて辛辣な評価を下し始めていると言うのだ。
「10ギガワットの夢」はなぜ霧散したのか
当初の計画では、NVIDIAがインフラ構築を主導し、OpenAIはその計算資源をリース形式で利用するはずだった。OpenAIは発表から数週間以内での最終合意を期待していたが、交渉は初期段階から一歩も進んでいない。
この停滞の背景には、NVIDIA内部に生じた強い「不信感」がある。Jensen Huang氏は、非公式の会合において、OpenAIが「ビジネス上の規律」を欠いていると繰り返し指摘している。これは、単なる経営スタイルの違いではなく、OpenAIの莫大なキャッシュバーン(資金消費)と、それに見合う収益化モデルの不在に対する本質的な懸念である。
アナリストの予測では、OpenAIは2026年だけで140億ドルの赤字を計上し、2029年までの累積赤字は1150億ドルに達する可能性がある。現在の現金保有状況を考慮すると、2027年中盤には手元資金が底をつくという「2027年問題」が現実味を帯びている。NVIDIAにとって、1000億ドルという天文学的な投資を、倒産リスクを抱える単一の顧客に賭けることは、あまりにもリスクが高い「ギャンブル」へと変質してしまったのだ。
Jensen Huang氏が抱く「OpenAIスロッピー(杜撰)」説
NVIDIA側が特に懸念しているのは、OpenAIの技術的優位性が急速に侵食されている点である。Jensen Huang氏はプライベートな会話で、AnthropicやGoogleといった競合他社の台頭を強調し、OpenAIが市場で「独占的」な地位を維持できるかについて疑問を呈している。
特にAnthropicの最新モデル「Claude 4.5 Opus」は、コーディングや複雑な推論タスクにおいてOpenAIの「GPT-5.2」を上回るベンチマークを記録し始めており、開発者コミュニティの関心は急速にシフトしている。かつては「OpenAI一強」だったアプリケーション・レイヤーの構図が崩れ、多極化へと移行したことが、NVIDIAに提携条件の再考を促した。
さらに、Jensen Huang氏はOpenAIのビジネスアプローチを「sloppy(杜撰、規律がない)」と表現しているとの報道もある。これは、広告モデルの導入検討やサブスクリプション価格の迷走など、確固たる収益基盤を構築できていない現状への苛立ちの表れと言えるだろう。
脱NVIDIAへ動くOpenAI、供給網の再編
両社の関係に冷や水を浴びせているもう一つの要因は、OpenAIによる「ハードウェアの多角化」だ。OpenAIはNVIDIAへの依存を減らすため、米半導体大手Broadcomと共同で自社製AIチップ(XPU)の開発を進めており、2026年内にも初号機が出荷される見通しである。
また、OpenAIはNVIDIAの競合であるAMDとも複数年の供給契約を締結し、AMDの株式10%を取得するオプションまで確保した。NVIDIAにとって、自ら1000億ドルを投じてインフラを構築してやる相手が、その裏で自社の競合製品を導入し、自社製チップの開発に勤しんでいるという構図は、到底受け入れがたい「背信行為」と映ったはずだ。
NVIDIA側もこの動きを察知し、戦略を「インフラ提携」から「純粋な出資」へとシフトさせている。Jensen Huangは2026年1月末、台北での記者会見で「OpenAIの最新の資金調達ラウンドには間違いなく参加する」と明言したが、その投資額が1,000億ドルを超えるかどうかについては「いやいや、そんなことはない」と否定した。これは、巨額の計算資源を保証するパートナーではなく、数ある「パッシブ・インベスター(受動的投資家)」の一人に留まるというNVIDIAの意志表示に外ならないのではないだろうか。
2026年後半、IPOを巡る瀬戸際
OpenAIは現在、最大1000億ドルの資金調達を目指しており、企業価値は8300億ドルに達すると見られている。同社は2026年後半にIPO(新規株式公開)を計画しているが、この上場に向けた最大の懸念材料が「NVIDIAとの蜜月関係の終焉」である。
もしNVIDIAが、当初のMoUに基づいた10ギガワット規模のハードウェア供給と1000億ドルの投資から正式に撤退すれば、OpenAIの将来的なスケーリング計画は大きな修正を余儀なくされる。Amazonが最大500億ドルの投資を検討しているという代替案も浮上しているが、NVIDIAのGPUを直接、安定的かつ優先的に確保できる保証がなくなることのダメージは計り知れない。
NVIDIAにとっても、OpenAIは依然として最大級の顧客であり、同社の失敗はNVIDIAの受注残(バックログ)に巨大な穴を開けることになる。しかし、Jensen Huang氏は「ハイパースケーラー」としてのOpenAIの将来性を認めつつも、その経営能力には冷徹なジャッジを下しているようだ。
計算資源を巡る「冷戦」の始まり
今回の提携の「停滞」は、AI業界における一つの時代の終わりを告げている。それは、GPUという「武器」を持つ供給者と、大規模言語モデルという「魔法」を持つ開発者が、盲目的に手を取り合ったロマンティックな時代だ。
2026年の現実は、より散文的で、よりシビアな経済合理性に支配されている。NVIDIAはOpenAIを特別扱いすることをやめ、AnthropicやGoogle、さらには自社でAI開発を行う各国の政府(ソブリンAI)へとリスクを分散し始めた。対するOpenAIは、NVIDIAという王座から自立するために、BroadcomやAMDという「新しい武器」を手に、自らの帝国を築こうとしている。
1000億ドルの提携が消滅したとしても、両社が直ちに敵対することはないだろう。しかし、その関係性は「運命共同体」から「利害が一致するだけのビジネスパートナー」へと変質した。この亀裂こそが、AIバブルの熱狂が去り、持続可能な産業構造へと移行するための、痛み、そして通過儀礼なのかもしれない。
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