フィンランドのオウル大学で博士研究員を務めるBrij Mohanを筆頭とする4人の研究チームは、量子電池のセルを相互作用させてまとめて充電すると、充電パワー(単位時間あたりに蓄えられるエネルギー)は大きくなる一方、その値の揺らぎも増えることを理論的に示した。研究成果は2026年9月15日付の『PRX Quantum』に掲載された。
量子電池の理論では、2013年にエンタングルメント(量子的な絡み合い)を利用すると、独立した操作より多くの仕事を取り出せる可能性が指摘された。2017年以降は、複数のセルをまとめて相互作用させる「集団充電」によって、充電パワーを高める研究が進んできた。
今回の論文は、取り出せる仕事とパワーの揺らぎを同時に好きなだけ小さくすることはできないという、不確定性関係に似た限界を導いた。さらに、複数のセルをまとめて充電するほどパワーが高まる一方、その安定性が低下するという関係を、k個ずつのセルを相互作用させるモデルによって数式で示した。
ただし、理論が前提とするのは、外部からの雑音やエネルギー散逸がない閉じた量子系である。実際の量子電池でこの限界がどの程度問題になるのかについては、論文も大学の発表も示していない。
仕事とパワーの揺らぎを同時に小さくできない理由
論文が信頼性を評価する指標として使ったのは、ノイズ対信号比(NSR)である。仕事とパワーについて、それぞれ値の揺らぎ(分散)を平均値の2乗で割った量で、値が大きいほど結果のばらつきが大きく、信頼性が低いことを意味する。
Mohanらは、仕事とパワーのNSRにはそれぞれ下限があり、充電をどのように行っても両方を同時にゼロへ近づけることはできないと示した。
閉じた量子電池では、仕事とパワーは互いに非可換な演算子として表される。つまり、一方を正確に決めようとすると、もう一方の不確かさが残る。位置と運動量の不確定性関係に似た構造であり、パワーのばらつきを抑えれば仕事のばらつきが残り、その逆も成り立つ。
それぞれのNSRの下限は、量子状態が時間とともに変化する速さによって決まる。論文ではこの速さを、測定結果の確率分布が時間とともにどれだけ変化するかを表す古典フィッシャー情報量によって定義した。
さらに、推定精度の限界を与える統計学上の不等式であるBhattacharyya限界を使い、NSRの下限を導いている。
初期状態が観測量の固有状態、つまり測定すれば値が一つに定まる状態であれば、下限の式に含まれる相関項は0になる。平均仕事は、ユニタリ操作によって取り出せる最大エネルギーを表す「エルゴトロピー」と一致し、仕事の揺らぎは、取り出される仕事の確率分布全体を扱うフルカウンティング統計によって計算した。
この一般理論が前提とするのは、外部から雑音や散逸が入らない閉じた量子系で、ユニタリ操作によって充放電する電池である。初期状態には密度行列ρ₀で表される一般的な状態を使えるため、純粋状態だけを対象とした理論ではない。
ただし論文は、仕事とパワーをこのような演算子として扱えるのは閉じた系だからであり、環境と相互作用する開放系にはそのまま適用できないと明記している。
University of Ouluの発表でMohanは、量子電池には高速で高出力な充放電だけでなく、安定して動作することも必要であり、量子力学そのものがその信頼性に根本的な限界を課すと説明した。
論文の題名は「Fundamental Limitations on the Reliabilities of Power and Work in Quantum Batteries」。2026年1月8日にarXiv:2601.05315として先行公開され、3月11日の投稿、6月30日の改訂を経て、7月23日に受理された。
並列、ハイブリッド、集団の3方式で比べた速さと安定性
論文は、充電方式を3種類に分けて比較している。
各セルを独立に充電する「並列充電」、すべてのセルをまとめて相互作用させる「集団充電」、そしてk個ずつのセルを一つのグループとして相互作用させる「ハイブリッド充電」である。
セル同士をより広い範囲で相互作用させるほど充電パワーは高まる一方、パワーのばらつきも大きくなる。
出版元のAPS Physicsによる解説では、この違いをセル数Nとの関係で説明している。
並列充電ではパワーがセル数Nに比例し、仕事とパワーのNSRの積はNの2乗に反比例して小さくなる。一方、集団充電ではパワーがNの2乗に比例するまで高まる代わりに、NSRの積は最大になる。
APS Physicsは、すべてのセルを一度に相互作用させるのではなく、相互作用する範囲をある程度に制限した方式が、パワーと安定性のバランスを取りやすいと説明している。
数式による比較には、論文が「k-body toy model」と呼ぶ簡略化したモデルが使われている。
N=kq個の量子ビットを、k個ずつq個のグループに分け、それぞれのグループ内で相互作用させる。k=1なら各セルを独立に充電する並列方式、k=Nなら全セルを同時に相互作用させる集団方式となり、その間がハイブリッド方式に当たる。
すべてのセルが基底状態にある放電状態 |0⟩^⊗N から充電を始め、Nがkで割り切れる場合、出版版の式(9)では、仕事とパワーのNSRの積が時間によらずk²/N²になる。
並列充電のk=1では1/N²、集団充電のk=Nでは1になる。N/kが整数にならない場合は、余ったセルを考慮した別の式(付録Eの式E12)が必要になり、単純なk²/N²はそのまま使えない。
| 方式 | 相互作用の範囲 | パワー | 仕事とパワーのNSRの積 | パワーの安定性 |
|---|---|---|---|---|
| 並列充電 | なし(k=1) | Nに比例 | 1/N² | 高い |
| ハイブリッド充電 | k個ずつ(1<k<N) | kとともに増える | k²/N² | 並列と集団の中間 |
| 集団充電 | 全セル(k=N) | N²に比例 | 1(最大) | 低い |
パワーの伸び方はAPS Physicsの解説、NSRの積は出版版の式(9)に基づく。
ただし、NSRの積がk²/N²になるのは、k体モデルを使い、初期状態が |0⟩^⊗N で、さらにN/kが整数になるという条件がそろった場合に限られる。いずれも雑音や散逸のない閉じた系についての理論値であり、実験結果ではない。
同じモデルでは、平均パワーは時間とともに振動し、その振幅はkに比例して大きくなる。
グループ数N/kが無次元量Ω₀tより十分に大きい極限では、パワーのNSRは(k/N)³に比例する一方、仕事のNSRはN/kに比例する。つまり、kを大きくするとパワーのばらつきは増えるが、仕事のばらつきは逆に小さくなる。
両者を掛けると、
(k/N)³ × (N/k) = k²/N²
となり、式(9)と一致する。
著者らは、このパワーの揺らぎを考慮すると、集団充電によって得られる一見大きな「量子優位」が、そのまま実用上の優位になるとは限らないと指摘している。
同じく全セルが基底状態 |0⟩^⊗N から充電を始める別のモデルでも、同様の傾向が確認された。
N=10の横磁場イジング型モデルで、同時に相互作用する量子ビット数sを2から4へ増やすと、パワーは高まる一方、パワーのNSRも悪化した。逆に仕事のNSRは改善し、両者の積はsが大きくなるほど増加した。
論文が示す方向性は、並列充電と集団充電の中間に当たる1<k<Nのハイブリッド方式を使い、パワーと安定性のバランスを取ることにある。ただし、最適なkの具体的な値までは示していない。
共著者でVTTに所属するTanmoy Panditは大学の発表で、限られた範囲のセルだけを相互作用させる充電方式が、高い出力と安定した動作の妥協点になりうると説明している。
2013年から続く量子電池研究の中で何が新しいのか
今回の論文は、AlickiとFannesが2013年に発表した研究を、量子電池研究の出発点の一つとして引用している。複数の電池を量子的に関連付けて操作すると、各電池を独立に操作する場合より多くの仕事を取り出せる可能性を示した研究だ。
| 年 | 種別 | 研究 | 主な内容 |
|---|---|---|---|
| 2013 | 理論 | Alicki & Fannes(PRE 87, 042123) | 複数の電池を量子的に関連付けた操作によって、独立した操作より大きな仕事を取り出せる可能性を示した |
| 2017 | 理論 | Campaioliら(PRL 118, 150601) | 集団的な量子効果によって、単位時間あたりに蓄えられる仕事、つまり充電パワーを高められることを示した |
| 2018 | 理論 | Ferraroら(PRL 120, 117702) | 1つの光モードに多数の2準位系を結合するディッケ模型で、集団充電によるパワー向上を示した |
| 2020 | 理論 | García-Pintosら(PRL 125, 040601) | 自由エネルギー演算子の揺らぎが充電パワーの上限を決めることを示した |
| 2020 | 理論 | Julià-Farré、Bera、Lewensteinら(PRR 2, 023113) | 量子電池の容量と充電パワーの上限を議論した |
| 2022 | 実験 | Quachら(Science Advances 8, eabk3160) | 有機マイクロキャビティで超吸収を観測した |
| 2022 | 実験 | Joshi & Mahesh(PRA 106, 042601) | NMRの核スピン系で、蓄電後最大2分まで待った後に負荷へ移せるエネルギーを測定した |
| 2022 | 理論 | Gyhm、Šafránek、Rosa(PRL 128, 140501) | 全セルにまたがる大域的な操作がなければ、量子充電の優位性はセル数に比例して伸びないことを示した |
| 2025 | 理論 | Rinaldiら(PRA 112, 012205) | エネルギーの揺らぎを考慮した量子優位を評価した |
| 2026 | 実験 | Hymasら(Light: Science & Applications 15, 168) | 有機マイクロキャビティで充電・蓄電・放電までを一巡させる概念実証を行った |
| 2026 | 理論 | Mohanら(PRX Quantum 7, 033057) | 仕事とパワーのNSRに下限があり、両者の揺らぎを同時に小さくできないことを示した |
こうした研究を年代順に見ると、2017~2018年ごろまでは集団充電によってパワーを高めることに注目した研究が目立つ。その後、2020年代に入ると、パワーだけではなく揺らぎや、大域的な相互作用が必要になる条件などを評価する研究が増えてきた。
今回の研究はその流れをさらに進め、閉じた量子系において、仕事とパワーの双方の信頼性に基本的な限界があることを示したものと位置付けられる。
なお、揺らぎを量子電池の評価に取り入れた研究自体は今回が初めてではない。
García-Pintosらは2020年、エネルギーの揺らぎが充電パワーの上限と関係することを示した。Rinaldiらは2025年、光共振器と、移動しながら量子情報を運ぶ「飛行量子ビット」を組み合わせたジェインズ・カミングス型モデルで、エネルギーの揺らぎまで考慮した「信頼できる量子優位」を議論している。
今回のMohanらの研究は、仕事とパワーという二つの量について同時に信頼性の限界を与え、さらに並列・ハイブリッド・集団という三つの充電方式の違いを簡略化したモデルで明示した点に特徴がある。
共著者のBeraとLewensteinは、2020年に量子電池の容量とパワーの上限を扱った研究にも参加している。
量子電池研究全体を整理した資料としては、Campaioli、Gherardini、Quach、Polini、AndolinaによるColloquium(Rev. Mod. Phys. 96, 031001、2024年7月)がある。
日本の研究機関もこの分野で成果を出している。
東京大学のYuanbo Chen、長谷川禎彦らは2023年12月、操作の順序そのものを量子的に重ね合わせる「不確定因果順序」を使った充電手法を提案し、光学実験で検証した(PRL 131, 240401)。
理化学研究所のCheng Shangらは2025年5月、トポロジカル量子電池の理論を構築し、通常は性能を損なう要因と考えられる散逸が、一時的に充電パワーを高める場合があることを示した(PRL 134, 180401)。
用途の候補を示した研究としては、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の共同研究もある。OIST、CSIRO、University of Queenslandの研究チームは2026年1月26日付のPhysical Review Xで、量子電池を組み込むことで量子コンピュータの量子ビット容量を4倍にできる可能性があるとの理論的試算を発表し、量子コンピュータ内部の電源として利用する構想を示した。
CSIROが次の課題に挙げる蓄電時間
2026年3月18日、オーストラリアのCSIROはRMIT、University of Melbourneと共同で、充電、蓄電、放電までを一巡させる量子電池の概念実証を発表した。
多層構造の有機マイクロキャビティをレーザー光で充電する方式で、室温で動作する。CSIROはこれを「初の完全に機能する量子電池の概念実証」と説明している。
原論文(Hymasら、Light: Science & Applications 15, 168、3月13日公開)によると、この装置では励起状態を示す信号が数十ナノ秒持続した。これは充電に必要な時間の約100万倍に当たる。
エネルギーは、銅フタロシアニン(CuPc)の準安定な三重項状態、つまり励起した後すぐには基底状態へ戻らない状態へ移される。この状態の典型的な寿命は10~50ナノ秒だった。
これらは、光を当てた後の反射率の変化を時間ごとに測定する過渡反射分光によって得られた、この装置固有の値である。
量子電池の物理系が変われば、「どれだけ長くエネルギーを保持できるか」を評価する方法も変わる。
有機マイクロキャビティ型の数十ナノ秒という値は、励起状態を示す信号が観測された時間である。一方、Joshi & Maheshは2022年、中央の電池スピンを周囲の充電器スピンで充電する星形NMR系を使い、最大2分の蓄電時間を設定した後、負荷スピンへどれだけのエネルギーを移せるかを測定した。
この「2分」は、その実験で試した蓄電時間の上限である。物理系も測定方法も異なるため、有機マイクロキャビティの数十ナノ秒と単純に比較して、どちらが優れていると判断することはできない。
今回の論文が実験例として挙げているのは、NMR系、有機マイクロキャビティ、さらに分子の三重項状態を利用して自己放電までの時間を延ばしたTibbenらの研究(PRX Energy 4, 023012、2025年)などである。
ただし、Mohanらの論文自体は、量子電池がエネルギーを保持できる時間を直接扱ったものではない。
CSIROのJames Quachは、次の大きな課題は蓄電時間をさらに延ばすことであり、それを克服できれば商用化へ近づくと述べている。
CSIROも、実用的な量子電池はまだ商用化されていないと説明している。現在の有機マイクロキャビティ型やNMR型の量子電池で、今回Mohanらが示したパワーと仕事の揺らぎの限界が実際にどの程度問題になるのかは、論文にも大学の発表にも示されていない。
雑音と散逸を含む現実的な量子電池へ
論文は今後の課題として、光子を利用する量子電池や、散逸を伴う開放量子系での充電へ理論を拡張することを挙げている。
大学の発表でも、次の段階として、雑音や散逸を含む開放系の動力学を扱うことや、実際の実験プラットフォームで理論を検証することが挙げられた。
IISER Mohaliに所属するManabendra Nath Beraは大学の発表で、今回示した信頼性の限界は、量子揺らぎと多体量子物理を直接結び付けるものであり、実用性を考えた充電方法を探る手掛かりになると説明している。
ICFOに所属するMaciej Lewensteinも、量子電池を実際に利用できる技術へ発展させるには、こうした揺らぎを理解することが欠かせないと述べた。
Beraが述べる実用的な充電方法について、今回の論文が具体的に示したのは、すべてのセルを独立に充電するk=1と、全セルを一度に相互作用させるk=Nの中間、つまり1<k<Nとなる範囲を選ぶという方向性までである。
どのkが最適なのかという具体的な値は示されていない。
また、閉じた量子系に特有の演算子を使って導かれた今回の限界が、雑音やエネルギー散逸を含む開放系でも同じ形で成り立つかどうかも、まだ分かっていない。
そこを確かめることが、今回示された理論上の限界と、実際に作られる量子電池を結び付ける次の課題になる。
