シンガポール国立大学の量子技術センターが、ルテチウムイオンを使った2台の光原子時計の性能をNature誌で発表した。各時計について見積もられた相対周波数の系統的不確かさは、それぞれ1.2×10⁻¹⁹と1.3×10⁻¹⁹。これまでに公表された光原子時計では最も小さい水準だ。研究チームは別々に構築した2台を200時間にわたって比較し、両者の周波数が一致することも確かめた。

ただし、個々の時計について示された「約10⁻¹⁹」という評価と、2台を比較した実験で実際に識別できた周波数差の細かさは同じではない。この違いを押さえると、今回の記録が何を意味し、秒の再定義に向けて何が残されているのかが見えてくる。

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「世界最高精度」が指す数字

 

新しい時計の基準となるのは、ルテチウム176の一価イオンが吸収する波長848ナノメートルの光だ。研究チームはイオンを1個ずつ、独立した2つのトラップに閉じ込めた。レーザー光の周波数を原子の遷移に合わせ、ずれを生む周囲の熱や磁場、イオンの運動などを測定して補正する。Nature論文が示す1.2×10⁻¹⁹と1.3×10⁻¹⁹は、こうした補正を施した後になお残ると見積もられた系統的不確かさである。

従来の記録と比較する場合も、同じ指標を見る必要がある。2026年2月にPhysical Review Lettersで報告されたカルシウム40イオン時計は、液体窒素で冷却することで4.4×10⁻¹⁹の系統的不確かさを実現した。今回のルテチウム時計のうち小さい方の1.2×10⁻¹⁹は、その約4分の1に当たる。研究チームが掲げる「世界最高精度」とは、時計をどれだけ長期間運用できたかや、国際的な時刻基準としてどれだけ安定して使えたかではなく、評価された周波数の系統的不確かさが過去最小になったことを指している。

相対周波数の不確かさとは、時計が刻む周波数に対して、残るずれをどの程度まで絞り込めたかを表す指標だ。したがって、この数字が小さいほど、原子時計の基準となる周波数をより厳密に決められる。ただし、系統的不確かさは、既知のずれを測定して補正したうえで見積もる値である。時計を実際に長期間動かし、その間に積み重なった時刻の誤差をそのまま測った値ではない。

室温でも誤差を抑えやすいルテチウムの性質

ルテチウムの強みは、時計に使う遷移が周囲の影響を受けにくい点にある。原子は室温でも周囲から熱放射を受け、外部の磁場にもさらされる。どちらも電子のエネルギー差をわずかに変化させ、時計の周波数をずらす原因になる。論文によれば、今回使った遷移は、光時計に使われている有力な候補のなかでも、黒体放射と磁場に対する感度が特に低い。装置は室温で動作し、磁気シールドも使っていない。

ただし、周囲の影響を受けにくいからといって補正が不要になるわけではない。研究チームは複数の超微細遷移を平均することで、磁場によるずれを抑えた。そのうえで、磁場の強さの2乗に比例して残る二次ゼーマンシフトを評価した。補正量そのものでは、これが最も大きな項目となる。

一方、個々の時計の不確かさに最も大きく影響するのは、黒体放射シフトをどこまで正確に見積もれるかで、各時計について約1×10⁻¹⁹を占める。「補正しなければならないずれが大きい項目」と「補正後にも残る不確かさが大きい項目」は同じではない。

この区別は、同じ研究グループが2023年に行った実験からの進歩を理解するうえでも重要だ。先行研究でもルテチウム時計2台を比較していたが、トラップ内のイオンが加熱される影響などにより、比較の安定度が制限されていた。そのため著者らは当時、個々の時計について非常に高い精度が得られたと結論づけることを控えていた。

今回はトラップを改良し、イオンの運動や背景ガスとの衝突などの影響を改めて調べた。二次ゼーマンシフトの係数についてもその後再測定し、最大の補正項について評価を見直している。

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「19桁目まで一致」は何を確かめたのか

論文の比較実験では、同じレーザーに由来する雑音を相殺しながら、2台のイオンが示す周波数差を追跡する「相関分光法」を使った。独立した11回の測定を合わせると、測定時間は合計200時間に達した。得られた相対周波数差は[−0.1±5.7(統計)±1.0(系統)]×10⁻¹⁹で、ゼロと矛盾しない結果だった。

ここでいう200時間は、時計を200時間連続して動かしたという意味ではない。測定は12.4日間に分けて実施され、この期間の稼働率は67%、最長の連続測定時間は37時間だった。光時計を国際的な時刻基準として常時運用することを考える場合、最高到達精度だけでなく、長時間にわたって安定して動かせるかどうかも重要になる。

測定・評価した対象 値 数字の意味
ルテチウム時計1台目 1.2×10⁻¹⁹ 評価した系統的不確かさ
ルテチウム時計2台目 1.3×10⁻¹⁹ 評価した系統的不確かさ
2台の周波数差 −0.1×10⁻¹⁹ 測定された差の中心値
2台比較の統計的不確かさ 5.7×10⁻¹⁹ 比較測定に伴う統計的不確かさ

今回のルテチウム時計では、個々の時計について評価された系統的不確かさ1.2×10⁻¹⁹、1.3×10⁻¹⁹と、2台の比較から得られた統計的不確かさ5.7×10⁻¹⁹は別の指標だ。さらに周波数差の評価には、表に示した統計的不確かさとは別に1.0×10⁻¹⁹の系統的不確かさがある。

2台の周波数差は、統計的不確かさ5.7×10⁻¹⁹と系統的不確かさ1.0×10⁻¹⁹を考慮すると、ゼロから有意にずれてはいない。ただし、個々の時計について示された約1×10⁻¹⁹という精度を、2台の比較実験が同じ細かさで直接確認したわけではない。

相関分光法が有効なのは、2台に共通するレーザーの位相雑音を打ち消せるためだ。研究チームは、ラムゼー測定でイオンの重ね合わせ状態を自由に発展させる時間を主に5秒に設定し、一部では7.5秒と10秒も試した。これにより、レーザーそのものの安定性に制約されず、2台の原子遷移の差をより精密に比較できる。

一方、同じ元素を使った時計を同じ研究室内で比較する方法では、2台に共通して存在する未知のずれを見つけられない可能性がある。論文でも、別の研究機関にある時計との比較を今後の課題として挙げている。

「高さ5ミリ相当」の感度は何を意味するのか

2台の比較精度を高さの差に換算すると、同じ実験台の上で約5ミリの高低差によって生じる、重力に起因する周波数差を識別できる水準になる。一般相対性理論によれば、高い場所にある時計ほどわずかに速く進む。研究チームは2台の時計に閉じ込めたイオンの高さの差を1ミリ未満の精度で別途測定し、その影響が比較精度を制限しないようにした。

ただし、今回実際に測定したのは、実験室内に置かれた2台の時計の周波数差である。地殻変動などによる高さの変化を、現地で5ミリ単位まで測定したわけではない。

離れた地点に置かれた時計同士を同じ精度で比較するには、時計の周波数情報を高精度に伝送する技術に加え、両地点の重力ポテンシャルを十分な精度で把握する必要がある。論文は、遠隔地同士の比較では、重力ポテンシャル差の不確かさが時計そのものの精度評価を妨げる可能性を指摘している。研究チームが目指している、持ち運び可能な時計への小型化も今後の課題だ。

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秒の再定義に向けて残る課題

現在のSI秒は、セシウム133原子のマイクロ波遷移に基づいて定義されている。BIPMは光時計を使った秒の再定義に向けたロードマップを公開しており、2030年を再定義が可能になる時期の一つとして想定している。

Nature論文が引用するロードマップでは、個々の時計の系統的不確かさをおおむね2×10⁻¹⁸以下に抑え、異なる研究機関にある時計同士でも、総合不確かさがおおむね5×10⁻¹⁸以下となる条件で一致を確認することが目安とされている。今回のルテチウム時計は、個々の時計の不確かさについては前者を大きく下回り、同じ研究室内にある2台の比較でも高い一致を示した。ただし、異なる研究機関にまたがる比較を達成したわけではない。

秒の定義を変えるには、一つの研究室で達成した記録を別の場所でも確認し、安定して時刻基準へ接続できることを示す必要がある。ルテチウム時計を持ち運べるようにし、別の研究機関にある光時計と比較できれば、同じ装置や環境に共通する未知の誤差をさらに絞り込める。

次の重要な節目は、単に「さらに小さな不確かさ」を発表することではなく、その性能を研究室の外でも再現し、異なる時計との比較で確かめられるかどうかにある。