Infleqtionは2026年9月24日、中性原子量子コンピュータ「Sqale」で、80個の物理量子ビットを使って30個の論理量子ビットを扱う回路を実行したと発表した。複数の原子に量子情報を分散させ、誤りを検出できるようにしながら計算する仕組みを、同社の実機で30論理量子ビットまで拡大した成果だ。
ただし、現時点で結果を確認できるのは同社の発表と技術解説が中心で、詳細な論文は今後数週間以内に公開する予定だという。
80個の物理量子ビットから30個の論理量子ビットを構成して回路を動かしたことと、長時間の量子計算を誤りなく続けられることは別の段階にある。今回何が実証され、何がまだ残されているのかを分けて見る必要がある。
80個の原子から30個の論理量子ビットを構成
今回の実験では、80個の原子を8個ずつ10組に分け、それぞれの組に3個の論理量子ビットを符号化した。
実験そのものは8月に完了しており、量子回路をSqaleの実機で実行できる形へ変換するために、同社のソフトウェア「Superstaq」を使った。シミュレーションだけによる結果ではない。
こうした構成や実験条件については、CTOのPranav Gokhale氏による技術解説で説明されている。
論理量子ビットとは、一つの量子情報を複数の物理量子ビットに分散して保持する仕組みだ。
余分な物理量子ビットを使うことで、量子情報に誤りが起きたかどうかを調べるための情報を持たせられる。ただし、どの種類の誤りを検出・訂正できるのかは、使う量子誤り訂正符号によって異なる。
そのため、「物理量子ビット数÷論理量子ビット数」という比率だけで、論理量子ビットがどれだけ強く保護されているかを比較することはできない。
Sqaleでは、初期状態の準備に距離3の「[[8,3,3]]」符号を使い、その後の演算には距離2の「[[8,3,2]]」符号を使っている。
この表記は順に、使用する物理量子ビット数、符号化できる論理量子ビット数、符号距離を表す。
距離2の符号では、任意の単一量子ビットに起きた誤りを検出できる。ただし、検出したすべての単一量子ビット誤りを訂正できるという意味ではない。
したがって、状態準備に使った距離3の符号を基に、「計算中も距離3の誤り訂正で保護されていた」と解釈することはできない。
Sqaleの特徴の一つは、原子を移動させて接続する相手を変えられることに加え、移動させずに選択した原子同士を操作できることだ。
同社のRich Rines氏らは以前、114個の物理量子ビットを使って12個の論理量子ビットを扱った実験などを、プレプリント「Demonstration of a Logical Architecture Uniting Motion and In-Place Entanglement」で報告している。
初版は2025年9月、改訂第2版は2026年4月に公開されており、今回発表された30論理量子ビットの実験とは別の成果だ。
約25%の出力が「理想的に現れる集合」に入った
30個の論理量子ビットを使って実行したのは、IQPと呼ばれる種類の量子回路だ。
今回は各グループを「|+++>」という重ね合わせ状態に準備し、位相を変化させる演算を加えた後、X基底で測定した。
回路には4個の論理CCZゲートが含まれ、全体では約1,000回の物理演算を実行したという。CCZは3つの量子ビットに作用する非クリフォードゲートの一種で、汎用量子計算を構成するうえで重要な演算だ。
Gokhale氏が示した評価指標は、測定した出力のうち、「理想的な回路であれば出現する可能性がある出力の集合」に何%が入ったかというものだ。
30ビットから得られる出力は全部で2³⁰通りある。一方、この回路で理想的に現れる出力は262,144通りに限られる。
Infleqtionによると、実験で得られた出力のおよそ25%が、この集合に含まれていた。
すべての30ビット列を同じ確率でランダムに出力した場合、この集合に偶然入る確率は、
262,144 ÷ 2³⁰ = 1/4,096 ≒ 0.0244%
となる。
この約0.0244%と実験の約25%を比較すると、およそ1,000倍の差になる。Infleqtionが説明する「約1,000倍」は、この比較を指している。
ただし、これは計算速度が1,000倍になったという意味でも、実用的な問題の正答率が1,000倍高いという意味でもない。
比較対象は「全30ビット列を均等な確率で出す完全なランダム出力」であり、最良の古典アルゴリズムや、量子誤り訂正を使わずに同じ回路を実行した場合との比較ではない。
さらに、「正しい集合に入った割合」だけでは、その集合の中で個々の出力が理想的な確率分布にどれだけ近かったかまでは分からない。
同じ25%でも、その内側の確率分布が理想的な量子回路と大きく異なる可能性はある。
したがって、この約25%を量子回路全体の忠実度とみなしたり、この数字だけを根拠に量子優位性を実証したと判断したりすることはできない。
公開された技術解説には総試行回数や、事後選別を行った場合の採用率が記載されておらず、約25%という値の統計的な誤差範囲も示されていない。
また、原子損失による欠損値を復元する処理の前後どちらで約25%を算出したのかも明確ではない。
どれだけの回数を実行し、同程度の結果をどの程度安定して再現できるのかについては、今後公開される詳細論文での確認が必要になる。
失われた原子の測定値は、計算後に復元
Sqaleの実験では、8個の原子からなる1グループの中で原子が1個失われても、欠けたX基底の測定値をソフトウェアで事後的に復元できる場合があるという。
Gokhale氏は、その理由として「原子が失われた場合、どの量子ビットが失われたのかを特定できる」ことを挙げている。
どの位置で情報が失われたのかが分かる「消失誤り」では、発生場所そのものが分からない一般的な量子ビット誤りよりも多くの情報を利用できる。
復元には、測定値の組み合わせが満たすべき偶数・奇数の関係、すなわちパリティ制約を使う。
失われた量子ビットの位置が分かっていれば、残っている測定結果とこの制約から、欠けた値を推定できる場合がある。
この処理によって解析に利用できる実行結果を増やせる一方、Infleqtionは誤り率が高くなることも認めている。
ただし、処理前後で実際に利用可能な結果が何件から何件へ増えたのかは、現在公開されている解説には記載されていない。
重要なのは、これは測定が終わった後のデータ処理だという点だ。
量子計算の途中で誤りを繰り返し測定し、その結果に応じてリアルタイムに制御を加えながら計算を続ける、本格的な量子誤り訂正とは異なる。
Infleqtion自身も、リアルタイム制御や回路途中での測定を今後の優先課題としている。
したがって、今回の原子損失への対応をもって、継続的な量子誤り訂正が完成したとみなすことはできない。
AIを使って一部のゲート数を8個から4個へ削減
量子回路をできるだけ少ない操作で実行するための工夫も行われた。
Infleqtionによると、AIモデル「GPT 5.6 Sol」の支援を受けて見つけた「double-CZ」という論理演算では、比較対象となる実装で必要だった物理2量子ビットゲートを8個から4個へ半減できたという。
今回の回路全体で使用した物理2量子ビットゲートは136個だった。
ただし、「8個から4個」という削減は特定の論理演算についての結果だ。今回の回路に含まれるすべての量子演算が半分になったという意味ではない。
Infleqtionは、ゲート数を減らすことで有効な実行結果が得られる割合や計算精度も改善したと説明している。
一方、公開された技術解説には、double-CZを使う前後で精度や成功率がどの程度変わったのかを直接比較したデータは掲載されていない。
必要なゲート数を減らせたことと、それによって実際の誤り率がどの程度改善したのかは、分けて評価する必要がある。
30論理量子ビットは世界最多ではない
論理量子ビットを使った中性原子量子計算には、今回より多くの論理量子ビットを扱った先行研究がある。
Dolev Bluvstein氏らは、2023年12月にオンライン公開された査読済みのNature論文で、最大48個の論理量子ビットを使う回路を報告している。
この研究でも[[8,3,2]]符号を使用し、最大48論理量子ビットのサンプリング回路に228個の論理2量子ビットゲートと48個の論理CCZゲートを組み込んだ。
さらに、量子誤り訂正符号を使った回路と物理量子ビットだけを使った回路を、クロスエントロピーと呼ばれる指標で比較し、誤り検出によって結果がどの程度改善するかも調べている。
この先行研究があるため、Infleqtionの今回の30個を「論理量子ビット数の世界記録」と呼ぶことはできない。
Infleqtionが発表で掲げている「初」の主張には、「中性原子量子コンピュータ企業」「商用システム」といった条件が付いている。
今回の成果は、論理量子ビット数の単純な最多記録ではなく、Infleqtion独自の装置や制御方式を使って30論理量子ビット規模の回路を実機で動かした進展と捉える方が正確だ。
回路の種類や量子誤り訂正の方式、ゲート数などが異なるため、「論理量子ビットが何個あるか」という数字だけで各装置の性能順位を決めることもできない。
次に重要なのは「何個あるか」より「どれだけ長く正確に計算できるか」
論理量子ビットをどのように評価するべきかについても、新たな提案が出ている。
Matthias Troyer氏、Chetan Nayak氏、John Martinis氏は9月17日提出の未査読プレプリント「Scalable logical qubits」で、論理量子ビットの信頼性や規模だけでなく、実行可能な演算の種類や処理性能まで含めて評価する枠組みを提案した。
特に重視しているのが、誤り訂正を繰り返し行いながら計算を続けられることと、検出した誤りを低遅延で解析して次の制御へ反映するリアルタイム復号だ。
著者らは、誤りが検出されなかった実行結果だけを残す「事後選別」について、計算が長くなるほど採用できる試行の割合が急速に低下する可能性を指摘している。
これは論理量子ビットを評価する方法についての提案であり、確立した業界標準ではない。また、今回のSqale実験を独立に検証した研究でもない。
それでも、論理量子ビットの個数だけでなく、どの程度の長さの回路を実行でき、そのうち何%の結果を実際に利用できるのかを見る必要があることを示している。
演算数についても、単位の違いに注意が必要だ。
今回の「約1,000回」は物理量子ビットに対して行った物理演算の回数だ。
一方、Infleqtionが将来的に目指している約100万回は、量子誤り訂正によって保護された論理演算についての目標であり、同じものを数えているわけではない。
John Preskill氏がACM Transactions on Quantum Computingに発表した「Beyond NISQ: The Megaquop Machine」でも、量子誤り訂正で保護された計算機によって100万回以上の論理演算を行う規模が論じられている。
したがって、今回の約1,000物理演算と100万論理演算を単純に割り算して、「実用化まで何%進んだ」と計算することはできない。
9月28日時点で確認できる公開資料では、今回の30論理量子ビット実験に対応する査読済み論文や、独立した研究チームによる追試は確認されていない。
Infleqtionは2028年に100論理量子ビットへ進む目標を掲げているが、その進展を評価するうえで重要なのは論理量子ビットの個数だけではない。
計算中に誤り検出と訂正を繰り返したとき、物理量子ビットよりどれだけ誤りを抑えられるのか。長い回路を実行しても、利用可能な結果を十分な割合で残せるのか。そして、リアルタイムの誤り訂正を行いながらどこまで計算を続けられるのか。
こうしたデータがそろえば、論理量子ビットの数だけではなく、実際の計算を必要な精度で最後まで実行できる量子コンピュータへどこまで近づいたのかを判断できるようになる。
