クォークと反クォークを引き離すと、両者の間に形成された「弦」にエネルギーが蓄積していく。十分なエネルギーに達すると新たな粒子と反粒子の対が生まれ、弦が切れる。この「弦切断(string breaking)」は、クォークを単独で取り出せない「クォーク閉じ込め」と密接に関わる現象だ。

高エネルギー粒子の衝突でクォークやグルーオンから陽子や中性子などが作られる「ハドロン化」を理解するうえでも重要だが、その時間変化を古典コンピューターで詳しく計算するのは難しい。

デューク大学量子センター(DQC)などの国際研究チームは2026年9月23日、13個のイッテルビウムイオンを使った量子シミュレータで、弦が切れていく過程を時間と空間の両面から観測したと『Nature Physics』に発表した。

ただし、実験室で本物のクォークや反クォークを作り出したわけではない。

研究チームが再現したのは、クォーク閉じ込めの特徴を持つ単純化された物理モデル「1+1次元 (Z_2) 格子ゲージ理論」だ。13個のイオンの量子状態を制御し、その振る舞いをこの理論に対応させることで、通常は直接観測することが難しい弦切断の時間変化を調べた。

その結果、粒子対が弦の内部で一様に現れるのではなく、弦の端付近で形成され、そこから内側へ広がっていくことが分かった。研究チームは、これを従来の「シュウィンガー機構」とは異なる弦切断の仕組みだとしている。

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なぜクォークは1個だけ取り出せないのか

物質を構成する陽子や中性子の内部にはクォークが存在する。しかし、クォークは通常、単独では観測されない。

量子色力学(QCD)では、クォークと反クォークを引き離すと、その間の色電場が細い領域に集中し、「弦」や「フラックスチューブ」と呼ばれる状態を形成すると考えられている。

クォーク同士の距離が大きくなるにつれて、この弦に蓄えられるエネルギーも増えていく。

やがて新しいクォーク・反クォーク対を作る方がエネルギー的に有利になると、粒子対が生成され、元の弦が分断される。

その結果、クォークを1個だけ引き離すのではなく、新しく作られたクォークや反クォークと組み合わさった別の粒子が形成される。

この弦切断は、高エネルギー衝突で多数のハドロンが生まれる過程や、初期宇宙の冷却過程を理解するうえでも重要な現象だ。

問題は、その「切れる瞬間」を計算するのが難しいことにある。

格子QCDは、陽子や中性子などの静的な性質を調べるうえで大きな成果を上げてきた。一方、実時間で変化する量子系を確率的な手法で計算しようとすると、「符号問題」と呼ばれる困難が生じる。

テンソルネットワークなど別の計算方法も研究されているが、粒子が多数生成され、量子もつれが急速に増える複雑な高エネルギー現象へ拡張するのは容易ではない。

そこで研究されているのが、制御しやすい別の量子系に同じ数理モデルを再現させる「量子シミュレーション」だ。

今回研究チームが扱ったのも、現実のQCDそのものではなく、閉じ込めや弦切断といった特徴を持つ1次元の (Z_2) 格子ゲージ理論である。

項目 今回の研究で実際に行ったこと
再現した現象 閉じ込めと弦切断のダイナミクス
理論モデル 1+1次元 (Z_2) 格子ゲージ理論
実験装置 13個の捕捉イオンを使った量子シミュレータ
「粒子」の正体 イオンの量子状態に対応させた有効的な電荷
本物のクォーク生成 行っていない
主な発見 弦の端付近から電荷対が形成され、内部へ広がる弦切断
古典計算との比較 数値計算と比較し、実験結果を検証

13個のイオンで弦と電荷を再現

実験には、イオントラップに直線状に並べた13個のイッテルビウム171イオン((^{171}\mathrm{Yb}^+))が使われた。

各イオンが持つ2つの内部状態を量子ビット、より正確には擬似スピンとして利用する。

研究チームはレーザーを使い、イオン同士の相互作用と、それぞれのイオンに加わる有効的な磁場を個別に制御した。

これにより、イオンのスピン状態が (Z_2) 格子ゲージ理論における電荷や電場の振る舞いと対応するようにした。

今回の実験で重要だったのが、有限の13イオンしかない装置で、より大きな系の振る舞いを再現する工夫だ。

小さな量子シミュレータでは、端まで到達した波が反射するなど、本来調べたい現象とは無関係な「境界効果」が結果へ大きく影響することがある。

研究チームは、13個のイオンの外側にも仮想的なスピン列が続いていると仮定し、それらが内部のイオンへ及ぼす影響を計算した。

その効果を各イオンに加える局所的な磁場として再現することで、限られた数のイオンを使いながら、より広い1次元系の一部を取り出したような環境を作った。

この状態からハミルトニアンのパラメータを急激に変更する「量子クエンチ」を行い、その後に電荷や弦がどのように変化するかを時間ごとに測定した。

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弦を強くすると、電荷が閉じ込められた

研究チームはまず、単独の電荷がどのように動くかを調べた。

弦の張力がない場合、初期位置に置かれた電荷は時間とともにイオン列の中へ広がっていった。

一方、弦の張力を大きくすると、電荷は遠くまで移動できなくなり、初期位置の近くで振動するようになった。

これは、この (Z_2) 格ージ理論における「閉じ込め」に対応する振る舞いだ。

続いて研究チームは、2つの固定電荷の間に弦を張った状態を準備し、弦の張力を急激に変化させた。

すると、新しい電荷対が形成され、弦が分断されていく様子が観測された。

ここで特に注目されたのが、電荷対がどこから現れるかだった。

粒子対は弦の中央ではなく「端」から現れた

強い電場によって粒子と反粒子の対が生成される代表的な理論として「シュウィンガー機構」がある。

単純化すると、十分に強い一様な電場では、粒子対が空間全体で生成される。生成率は電場などのパラメータに強く依存する。

今回観測された現象は、これとは異なっていた。

研究チームが測定したところ、新たな電荷対は弦の内部全体で均一に現れるのではなく、固定電荷が置かれた弦の端付近で形成される傾向を示した。

弦の張力が弱い条件では、形成された電荷対は端付近で振動した。

張力を強くすると、端付近で形成された電荷が次第に弦の内部へ広がっていった。

さらに、研究で調べた範囲では、端で対生成が始まる時間や振動周期は、弦の張力や結合強度を変えても大きく変化しなかった。

これは、生成率がパラメータに対して強い指数関数的依存性を示す従来のシュウィンガー機構とは異なる特徴だ。

研究チームは、この結果から、今回の系では弦の端を起点とする別の弦切断機構が現れていると結論づけた。

比較項目 従来のシュウィンガー機構 今回観測された弦切断
電荷対が現れる場所 一様な電場中で空間的に生成 弦の端付近から形成
パラメータへの依存 生成率が強く変化 調べた範囲では開始時間や周期の変化が比較的小さい
その後の動き 空間中で粒子対を形成 端で形成された電荷が内部へ広がる
研究チームの解釈 従来型の対生成 シュウィンガー機構とは異なる弦切断機構

理論解析では、その理由も調べられた。

弦の端付近では外側の真空領域の影響によって、電荷対を作るために必要なエネルギーが小さくなる。そのため、電荷対が端付近で形成されやすくなるという。

形成された電荷対は、その後、量子的な運動によって弦の内部へ広がっていく。

比較的単純な摂動論によるモデルでも、実験で観測された主要な特徴を定性的に再現できた。

また、13個のイオンから得られた電荷分布や電場の時間変化は、古典コンピューターによる数値シミュレーションともよく一致した。

これは今回の量子シミュレータが、意図した物理モデルを精度よく再現できていることを確認する重要な結果でもある。

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本物のクォークを再現したわけではない

今回の成果を理解するうえでは、その限界も重要になる。

研究チームが実験したのは、1次元空間の (Z_2) 格子ゲージ理論だ。

現実のクォークやグルーオンを記述するQCDは、3次元空間を持つ (SU(3)) ゲージ理論であり、はるかに複雑である。

そのため、今回観測された端点から始まる弦切断が、そのまま現実のクォークの世界でも同じように起きると結論づけることはできない。

論文でも、今後の実験によって、高エネルギー衝突や宇宙論に今回の機構がどこまで関係するのかを明らかにする必要があるとしている。

また、今回の成果は量子コンピューターが古典コンピューターを上回ったことを示す「量子優位性」の実証でもない。

実際、研究チームは古典的な数値計算と実験結果を比較し、その一致を確認している。

今回の重要性は、古典計算では扱えない問題をすでに解いたことではなく、量子シミュレータを使って非平衡状態の弦切断を実験的に作り、その時間変化を直接追跡できる制御技術を示したことにある。

より大きな系や高次元のゲージ理論へ拡張していけば、将来的には古典計算が難しくなる領域を量子シミュレータで調べられる可能性がある。

次は2次元、そしてより現実に近いゲージ理論へ

量子シミュレータを使った格子ゲージ理論の研究は、捕捉イオンだけで進んでいるわけではない。

超伝導量子ビットや中性原子などを使って、電荷の閉じ込めや弦のダイナミクスを再現する研究も進められている。

今回の論文でも、実験終了後に2次元の超伝導量子ビット配列を使った電荷と弦のダイナミクスが報告されたことや、QuEra Computingなどがリュードベリ原子配列を使った2+1次元格子ゲージ理論で弦切断を研究していることに触れている。

今回使われた捕捉イオン方式の特徴は、イオン間の長距離相互作用と、各イオンへ個別に加える局所場の両方を細かく制御できることにある。

研究チームは、こうした制御技術をより大きな量子系や2次元系へ拡張することも想定している。

最終的な目標は、現在の単純化した (Z_2) モデルから、より複雑なゲージ理論へ進むことだ。

今回の13個のイオンによる実験は、本物のクォークを作ったわけでも、QCDを丸ごと再現したわけでもない。

それでも、これまで主に数式や数値計算で研究されてきた弦切断の非平衡ダイナミクスを、制御可能な量子系の中で作り、時間と空間の両方から観測できることを示した。

次に問われるのは、今回見つかった端付近から始まる弦切断が、より大きな系や2次元・3次元に近いモデルでも現れるのかという点だ。そこまで拡張できれば、量子シミュレータは高エネルギー物理の計算が難しい領域を調べる新たな手段になっていく可能性がある。