米ライス大学と中国・東南大学の研究チームが、暗号などに使う真性乱数を、読み出し信号の強さを保ったまま高速に生成できる可能性を持つ材料設計を示した。

ライス大学が2026年9月24日に紹介した研究では、磁化を直接反転させるのではなく、途中で電気分極を持つ状態を経由する仕組みを提案している。理論計算では、状態を切り替える際に越えるエネルギー障壁を低くでき、反転速度と読み出し信号の強さを両立できる可能性が示された。

ただし、完成した暗号チップの性能を測定した研究ではない。現時点ではコンピューターシミュレーションを使った理論研究であり、実際の材料や素子で検証するための設計指針という段階だ。

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磁化を直接反転させず、途中に別の状態を通す

研究をまとめたのはJun-Jie Zhang氏、Shuai Dong氏、Boris I. Yakobson氏で、論文は9月9日付の査読付き学術誌『Physical Review Letters』に掲載された。

研究対象は「オートフェロイクス(autferroics)」と呼ばれる材料だ。

この概念の前身は2023年に提案され、2025年にはLandau理論を使ってその性質を説明する枠組みが示された。今回の研究では、こうした特殊な磁気・電気特性を、真性乱数生成器(TRNG)の高速化に利用できないかを検討した。

真性乱数生成器は、物理現象に含まれる予測困難な揺らぎを利用して乱数を作る。

磁気を使う方式では、微小な磁性体の磁化が熱揺らぎによって不規則に反転する現象を利用し、その二つの状態を0と1に対応させる。

磁気トンネル接合では、磁化の向きによって電気抵抗が変化するため、その差を読み取ることで0と1を判別できる。

問題は、磁化を反転しやすくすると、状態を読み分ける信号まで弱くなりやすいことだ。

論文が比較する従来型の磁気系では、磁性層を小さくしたり横方向の磁場を加えたりすると、磁化は速く反転するようになる。一方で、二つの状態を区別する信号の差も小さくなる。

いくら高速に反転しても、読み出し回路が0と1を確実に見分けられなければ、乱数源として利用しにくい。

オートフェロイクスは、反転そのものを速くするのではなく、反転するときに通る経路を変えることでこの問題を解こうとする。

一般的なマルチフェロイクスでは、磁性と強誘電性が同じ相の中で共存する。一方、オートフェロイクスでは磁性を持つ相と電気分極を持つ強誘電相が強く競合し、別々の状態として現れる。

そのため、磁化が一方の向きから反対方向へ変わる際に、直接切り替わるのではなく、途中で電気分極を持つ状態を経由できる。

高い山を真正面から越えるのではなく、より低い峠を通って反対側へ移動するようなものだ。

始点と終点での磁化の大きさを保ちながら、途中で越えなければならないエネルギー障壁だけを低くする。

これにより、磁化の反転を速めても、読み出しに必要な磁気信号の強さを維持できる可能性がある。

約440 kHzの反転と1.1 MHzの乱数生成は別の数字

研究チームは、チタン、ゲルマニウム、セレンからなる単層材料「TiGeSe3」を例としてシミュレーションを行った。

その結果、磁電結合を考慮しない場合に250 meVだった反転のエネルギー障壁が、磁電結合を550 meVとした条件では87 meVまで低下した。

それに伴い、磁化の反転速度は毎秒100回未満から約44万回、つまり約440 kHzまで増加した。

ただし、この数字は理想化された「単位胞」、つまり結晶構造の最小の繰り返し単位を使ったモデルから得られたものだ。

計算温度は300 Kだが、300 Kで計算したことは、実際のTiGeSe3素子が室温で同じ性能を発揮したことを意味しない。

著者ら自身も、この理想化された条件で得られた反転速度は上限として考えるべきだとしている。

また、磁化が反転する速度と、実際に乱数として利用できるビット列を生成する速度も同じではない。

研究チームは、シミュレーションで得たビット列にNISTの統計テストから8項目を適用し、それらをすべて通過できるサンプリング速度を調べている。

条件ごとの結果を整理すると次のようになる。

計算条件 指標 論文の結果 何を示す数字か
磁電結合なしの単位胞モデル 磁化の反転速度 100 Hz未満 比較の基準となる反転速度
磁電結合550 meVの単位胞モデル 磁化の反転速度 約440 kHz 電気分極を経由することで反転が高速化
同じ磁電結合条件 統計テストを通過する乱数生成速度 200 kHz超 実際にビット列として取り出せる速度のシミュレーション
磁気相と強誘電相のエネルギー差をゼロに調整 統計テストを通過する乱数生成速度 約1.1 MHz 二つの相のエネルギーをそろえた条件でさらに高速化
近隣との相互作用を含む多磁区モデル 磁化の反転速度 約260 kHz 磁区やその境界を考慮すると速度が変化

出典はZhang氏らの公開著者稿の図2〜4と対応する本文。いずれも実物の素子を測定した結果ではなく、シミュレーションによる値である。多磁区モデルでは近隣との結合を2 meVとして、局所的な反転を調べている。

ここで重要なのは、約440 kHz、200 kHz超、約1.1 MHzがそれぞれ別の条件や指標を表していることだ。

約440 kHzは磁化そのものが反転する速さだ。

一方、200 kHz超は、得られたビット列が研究で使用した統計テストを通過できたサンプリング速度を表す。

約1.1 MHzはさらに条件を変え、磁気相と強誘電相のエネルギーを同じ水準に近づけた場合に得られた値だ。

二値の乱数として使うなら約1.1 MHzは毎秒約110万ビットに相当するが、44万回の磁化反転から110万ビットを直接取り出したという意味ではない。

研究から分かるのは、磁電結合を強くするだけでなく、磁気相と強誘電相のエネルギー差を小さくすることも、高速な乱数生成に重要だということだ。

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電場で反転速度を変えても、0と1の比率を保つ

オートフェロイクスには、外部から電場を加えることで反転速度を調整できるという特徴もある。

電場を加えると、磁化が反転する途中で通る強誘電状態のエネルギーを変えられる。

重要なのは、この操作が磁化の正方向と負方向のどちらか一方を直接有利にするものではない点だ。

研究チームの計算では、電場によって反転速度を変化させても、二つの磁化状態が現れる割合はほぼ50対50に維持された。

つまり、乱数の生成速度を調整しても、0または1のどちらかに大きく偏らない仕組みを作れる可能性がある。

乱数生成器にとっては、速さだけでなく0と1が偏らず現れることも重要になる。

二値だけでなく、四つの状態も利用できる

磁気相と強誘電相のエネルギーが近い場合には、二つではなく四つの状態を乱数源として利用できる可能性もある。

磁化には正と負の二つの向きがあり、電気分極にも正と負の二つの向きがある。

研究チームのモデルでは、この四つの状態がそれぞれおよそ25%の割合で現れる条件が示された。

それぞれに

  • 00
  • 01
  • 10
  • 11

を割り当てれば、一つの素子から四値の乱数を得ることができる。

ただし、「四つの状態が存在する」ことと「四つが同じ確率で現れる」ことは別だ。

等確率に近づけるには、磁気相と強誘電相のエネルギーを近い水準に調整する必要がある。

研究チームは、この多状態性を確率計算にも利用できると考えている。

確率計算は、0と1を固定した値として扱うのではなく、信号が現れる確率を使って数値を表現し、計算する方式だ。

今回の研究では、磁気状態と電気分極状態を使って複素数の実部と虚部を表し、二つの接合と比較的単純な論理回路を組み合わせて演算する構成も提案した。

通常なら複数の乱数源や回路が必要になる処理を、一つの材料が持つ複数の状態を利用して簡素化することが狙いだ。

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「量子的な計算」と量子コンピューターは別

論文ではさらに、量子混合状態が持つ確率分布を、確率的に動作する通常の回路で模擬する用途にも触れている。

ここは誤解しやすい。

研究が示しているのは、オートフェロイクスの複数の状態を利用し、確率分布をハードウェア上で表現する仕組みだ。

量子ビットを使ったわけでも、量子もつれを利用したわけでもない。

したがって、通常の半導体チップがこの材料によってそのまま量子コンピューターになるという研究ではない。

量子系で現れる確率分布の一部を、従来型の確率回路で効率よく模擬できる可能性を示したものと考える方が正確だ。

NISTテストを通過しても「暗号用として安全」の証明ではない

研究チームは、シミュレーションで生成した乱数列について、NISTの統計テストから8項目を使用して評価している。

これらを通過したことは、生成されたビット列に明らかな偏りや特定の統計的パターンが見つからなかったことを確認するうえで意味がある。

ただし、NISTがこの材料や乱数生成器を認証したわけではない。

NISTのSP 800-22も、統計テストだけで特定の乱数生成器が暗号用途に適していると保証することはできず、暗号解析の代わりにはならないとしている。

さらにNISTは2022年、この文書を改訂する方針を示し、SP 800-22の統計テストを暗号用乱数生成器そのものの評価に利用すべきではないことを、より明確にする必要があると説明している。

暗号鍵の生成などに使える安全な装置かどうかを判断するには、出力された乱数列の統計的な性質だけでは不十分だ。

物理的な乱数源が本当に予測困難なのか、外部から操作できないか、故障や環境変化によって偏りが生じないかなども検証する必要がある。

実用化には、まず材料そのものの実証が必要

現時点で最大の課題は、オートフェロイクスの性質そのものがまだ実験で確認されていないことだ。

今回の結果はコンピューターシミュレーションに基づいている。

300 Kで計算したからといって、TiGeSe3を使った実物の素子が室温で約440 kHzや1.1 MHzの性能を示したわけではない。

今回の研究は、どのようなエネルギー構造や磁電結合を持つ材料を探せば、高速な真性乱数生成器につながる可能性があるのかを示した理論上の設計指針と位置づけるべきだ。

実際の材料では、さらに複雑な現象が起こる。

磁化の向きが異なる複数の領域「磁区」が形成されれば、その境界である磁壁の動きも反転速度に影響する。

研究チームが近隣との相互作用を含めた多磁区モデルを計算すると、反転速度は約260 kHzとなった。

また、実際の材料に存在する欠陥や構造の乱れによって磁壁が動きにくくなれば、理想モデルよりさらに反転が遅くなる可能性もある。

理想的な結晶の最小単位で得られた数字を、そのまま実際の大きな素子へ当てはめることはできない。

次に必要になるのは、候補材料で本当に磁気状態と強誘電状態を切り替えられるのかを実験で確認することだ。

そのうえで実際の素子を作り、反転速度、消費電力、読み出し信号の強さ、乱数列の品質、長時間動作した場合の安定性などを測る必要がある。

これらが実験でも確認されれば、今回の研究は単に「速く反転する材料」を作るだけでなく、高速でありながら回路側から確実に読み取れる物理乱数源を設計する方法につながる可能性がある。