生命の設計図として知られるDNA。その情報は、アデニン(A)、シトシン(C)、チミン(T)、グアニン(G)という4種類の化学塩基の「文字列」によって書かれている——これは、現代生物学の根幹をなすセントラルドグマだ。しかし、この常識を根底から揺るがす可能性を秘めた、驚くべき発見が報告された。ノースウェスタン大学の研究チームが、DNAの塩基配列ではなく、その3次元的な「形」そのものに刻まれた、第二の言語、すなわち「幾何学的コード」の存在を明らかにしたのだ。
遺伝学の常識を覆す「第二の言語」の衝撃
20世紀の二重らせん構造の発見以来、生命科学はDNA配列の解読を中心に発展してきた。ヒトゲノム計画が完了し、全遺伝情報が明らかになったとき、多くの科学者は生命の謎のすべてが解き明かされると期待した。
しかし、現実はそう単純ではなかった。一つの大きな謎が残されたのだ。それは「なぜ、私たちの体にあるすべての細胞は、皮膚から脳、心臓に至るまで、全く同じ遺伝子(DNA配列)を持っているのに、それぞれ全く異なる姿形と機能を持つのか?」という問いである。同じ設計図から、なぜこれほど多様なものが作られるのか。この問いは、配列情報だけでは説明がつかない生命の複雑さを示唆していた。
この長年の謎に、ノースウェスタン大学マコーミック工学部のVadim Backman教授率いる研究チームが、革新的な答えを提示した。彼らが2025年10月27日に科学誌『Advanced Science』に発表した研究は、DNAにはATGCの化学的な言語に加え、その物理的な形状に埋め込まれた「幾何学的コード」という第二の言語が存在することを示したのだ。
Backman教授はこう語る。「私たちは、固定された遺伝子の指示書に基づいた所定のスクリプトではなく、何百万年もの間、その複雑さと能力を進化させてきた、生きている計算システムなのです」。
つまり、生命は単にプログラムを実行する機械ではなく、自ら情報を処理し、記憶し、適応する能力を、DNAの「形」の中に組み込んでいるというのだ。遺伝暗号が辞書に並ぶ「単語」だとすれば、この幾何学的コードは、それらの単語を使って物語を紡ぐ「文法」や「言語」そのものに相当する、と研究チームの一員であるLuay Almassalha氏は述べている。
「幾何学的コード」の正体:ゲノムは“超精密な折り紙”だった
では、DNAの「形」に刻まれた言語とは、具体的にどのようなものなのだろうか。その鍵は、細胞核内にDNAがどのように収納されているかにある。
ナノスケールの記憶装置「パッキングドメイン」
ヒトの細胞一つに含まれるDNAをすべて繋ぎ合わせると、その長さは約2メートルにもなる。それが、直径わずか数十マイクロメートルという極小の細胞核の中に、どうやって絡まることなく収まっているのか。答えは、DNAが驚くほど高度かつ精密に折り畳まれているからだ。
今回の研究で、この折り畳まれたDNAが「パッキングドメイン(Packing Domains, PDs)」と呼ばれるナノスケールの機能的な塊を形成していることが重要だと分かった。 これは単なる収納術ではない。このパッキングドメインこそが、細胞の記憶を物理的に保存する「メモリノード」として機能する、生きたマイクロプロセッサのようなものなのだ。

研究チームは、超解像イメージングなどの最新技術を駆使し、このパッキングドメインの内部構造を明らかにした。それは、主に3つの機能的な層で構成されている。
- コア(核): ドメインの中心部に位置し、DNAが非常に高密度に凝縮した領域。主に「ヘテロクロマチン」と呼ばれる、遺伝子情報が不活性な(読み出されにくい)状態で構成されている。これは、図書館で言えば、めったに利用されない本が固く縛られて保管されている書庫の奥深くに相当する。
- 外側ゾーン: ドメインの最も外側に位置し、DNAが比較的ゆるく存在する領域。主に「ユークロマチン」と呼ばれる、遺伝子情報が活性な(読み出されやすい)状態で構成される。図書館の、誰でも自由に本を手に取れる開架式の閲覧室のような場所だ。
- 理想ゾーン(Ideal Zone): コアと外側ゾーンの間に存在する、中間的な密度の領域。驚くべきことに、遺伝情報が実際に読み出される「転写」という生命活動の主要な舞台は、この理想ゾーンで最も効率的に行われることが判明した。 まさに、書庫から運び出された本が手続きを待つ、貸出カウンターのような重要な場所と言えるだろう。
この構造が意味するのは、遺伝子が活性化するか否かは、DNA配列だけでなく、その遺伝子がパッキングドメイン内のどの「場所」に位置するかによって物理的に制御されているということだ。
エクソンとイントロンの絶妙な配置が生む「機能美」
さらに研究チームは、この精巧な構造がどのようにして生まれるのかを解明するため、遺伝子の構成要素に注目した。遺伝子には、タンパク質の設計情報を持つ「エクソン」と、その間に挟まれた「イントロン」と呼ばれる領域が存在する。長年、イントロンは情報を持たない「ジャンクDNA」の一部と見なされることもあった。
しかし、今回の研究で、その常識は覆された。イントロンこそが、パッキングドメインという立体構造を形成するための重要な「建築部材」だったのだ。
研究チームがヒトゲノム全体を解析したところ、エクソンの長さと、それを支えるイントロンの長さの関係が、ランダムなものではなく、「べき乗則(パワーロー)」という明確な物理法則に従っていることが発見された。 これは、遺伝子の構造が偶然の産物ではなく、物理的な制約の中で最適化された幾何学的な設計に基づいていることを強く示唆している。
分かりやすく言えば、重要な情報を持つエクソンを、転写に最適な「理想ゾーン」に正確に配置するために、イントロンが足場やクッションのように機能し、パッキングドメイン全体の大きさと形を調整しているのだ。これまで意味がないと考えられてきた領域が、実は生命の最も基本的な操作を支えるための、巧妙な幾何学的設計の一部だったのである。
生命の進化を加速させた「OSのアップグレード」
この幾何学的コードの発見は、生命がどのようにして単純な生物から複雑な生物へと進化したのか、という壮大な謎にも新たな光を当てる。
カンブリア爆発の謎を解く鍵か
約5億4000万年前に起こった「カンブリア爆発」。この時代、突如として多様なデザインを持つ動物たちが爆発的に出現した。この急速な進化は、ダーウィンの進化論をもってしても説明が難しい謎の一つとされてきた。
Backman教授らは、幾何学的コードこそが、この進化のジャンプを可能にした原動力かもしれないと考えている。 従来の進化の考え方は、新たな遺伝子(=新しい単語)が偶然生まれることで、新しい機能が獲得されるというものだった。しかし、幾何学的コードは、全く新しい進化のモデルを提示する。
それは、新しい単語(遺伝子)を発明するのではなく、既存の単語(遺伝子)の組み合わせ方や使い方(文法=幾何学コード)を変化させることで、全く新しい物語(=新しい身体プラン)を創り出すという考え方だ。 いわば、コンピュータのハードウェア(遺伝子)はそのままに、オペレーティングシステム(OS)を根本的にアップグレードすることで、全く新しいアプリケーションが動くようになったようなものだ。
この仮説を裏付けるように、研究チームは様々な生物のゲノムを比較解析した。その結果、酵母のような単細胞生物のゲノムは、イントロンとエクソンが直線的な関係にあり、幾何学的なべき乗則は見られない。しかし、線虫、ゼブラフィッシュ、マウスと、生物の体が複雑になるにつれて、この幾何学的なべき乗則が顕著になっていくことが明らかになったのだ。 これは、ゲノムの幾何学的複雑化が、身体の複雑化と並行して進化したことを示す強力な証拠である。
ゲノムは「自己学習するコンピュータ」へ
さらにBackman教授は、この幾何学的コードが、生命に「自己学習」の能力を与えた可能性を指摘する。
偶然起こる遺伝子変異は、いわば生命の「試行錯誤」である。その中で、生存に有利な変化が起きた場合、その遺伝子の使われ方が選択され、幾何学的コードとして細胞の「記憶」に物理的に刻み込まれる。この「成功パターンの保存」メカニズムが、次の世代の進化の土台となる。
これは、まさにAI(人工知能)における「強化学習」のプロセスと酷似している。Backman教授は、「AIのルールは、ゲノム幾何学の根底にある計算ルールを反映している」と述べ、生命そのものが壮大な計算システムであることを示唆している。
医学・治療への応用:細胞の“記憶”を書き換える未来
この基礎科学におけるブレークスルーは、私たちの健康や医療にどのような影響を与えるのだろうか。研究チームは、老化や様々な疾患の治療に革命をもたらす可能性を秘めていると指摘する。
老化、がん、神経変性疾患への新たなアプローチ
私たちの細胞は、年齢と共にその機能を失っていく。研究チームの一員であるAlmassalha氏は、「老化に伴い、この(幾何学的な)言語はその忠実度を失う。この劣化が、神経変性、がん、あるいは他の加齢性疾患をもたらすのです」と語る。 つまり、老化とはDNA配列が変化するのではなく、その正しい「折り畳み方」の記憶が失われ、遺伝子を正しく読み書きできなくなる状態だと言える。
この視点は、全く新しい治療戦略を生み出す。従来の多くのアンチエイジング研究が、細胞を初期状態(工場出荷時の設定)に戻そうと試みてきたのに対し、幾何学的コードに基づくアプローチは異なる。Backman教授はそれを「愛読書の修復」に例える。
「細胞の記憶は、経験によって強化される物理的な構造です。細胞を活性化させることは、愛されてきた本の明瞭さを取り戻すことに似ています。つまり、私たちの細胞がすでに語り方を知っている物語を取り戻すのです」。
具体的には、ゲノムの正しい形状を復元するような薬剤や技術を開発することで、失われた細胞の記憶を取り戻し、老化やがん、アルツハイマー病などの疾患の進行を食い止め、あるいは逆行させることができるかもしれないのだ。
がん遺伝子と「ヒンジ領域」の危険な関係
論文では、さらに踏み込んだ考察がなされている。この幾何学的なドメイン構造は、効率的な記憶システムであると同時に、ある種のリスクを内包しているというのだ。
パッキングドメイン同士を繋ぐ、柔軟な「ヒンジ(蝶番)」のような領域が存在すると考えられている。このヒンジ領域は、ドメインの形成や分離を制御する重要な役割を担う一方で、構造的に不安定なため、DNAの複製エラーや損傷が起こりやすい「ホットスポット」になる可能性がある。
研究チームががん遺伝子のデータを解析したところ、実際に多くのがん抑制遺伝子やがん遺伝子(TP53、BRCA1/2など)が、このヒンジ領域に位置する傾向があることが示された。 これは、ゲノムの幾何学的構造そのものが、がんの発生リスクと密接に関わっている可能性を示唆する、非常に重要な指摘である。
残された謎と未来への展望:私たちは何者で、どこへ向かうのか
今回の発見は、生命科学における新たな大陸の発見にも等しい。それは同時に、無数の新たな問いを私たちに投げかける。
私たちは、プログラムに従うだけの受動的な存在ではなく、環境と相互作用しながら絶えず情報を処理し、学習し、進化し続ける、ダイナミックな「生きた計算システム」なのかもしれない。
この幾何学的コードの全貌が解明され、私たちがその言語を自由に「読み書き」できるようになったとき、何が可能になるのか。研究チームのIgal Szleifer教授は、想像力を掻き立てる言葉で未来を語る。
「進化を、辞書に単語を追加することではなく、それらを使って物語を書くことを学ぶ過程として想像してみてください。語彙から歌へ、配列から言語へと。次に何が来るのかは、本当に想像力を掻き立てます」。
DNAの形に秘められた、生命が40億年かけて書き上げてきた壮大な物語。その解読は、まだ始まったばかりだ。この発見は、生命とは何か、そして人間とは何かという根源的な問いを、私たちに改めて突きつけている。
論文
- Advanced Science: Geometrically Encoded Positioning of Introns, Intergenic Segments, and Exons in the Human Genome
参考文献
- Northwestern University: From Sequence to Shape: Scientists Discover the Possible Geometric Blueprint of Complex Life