AIコーディングエージェントが1つのリポジトリに何百回もクローンとプッシュを繰り返し、GitHubのレート制限に阻まれる——そんな不満が開発現場で広がっている。この負荷集中に賭けたのが、2025年末までGitHub CEOを務めたThomas Dohmkeだ。同氏が創業したEntire Inc.は2026年7月8日、分散型Gitネットワークのプレビューを公開した。既存のGitHubリポジトリを地域ミラーへワンステップで複製し、AIエージェントの読み取り負荷を肩代わりする仕組みだ。ベンチマークでは単一リポジトリへ時間あたり約57万クローンという実証数値を掲げている。

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時間57万クローンの実証、Entireが示した数字の中身

Entireが2026年7月8日に公開したベンチマークは、フランクフルト・パリ・ロンドン・ダブリンにまたがる200の模擬クライアントが単一リポジトリへ同時にシャロークローンを仕掛けるテストだ。結果は時間あたり約57万クローンで、秒間に換算すると158回、6.3ミリ秒に1回のペースでクローンが成立した計算になる。プッシュのテストでは秒間586回を記録し、時間換算では約210万回に達した。クローンとプッシュを混在させた負荷テストでは秒間約470回で安定したという。これらの数値はSiliconAngleとDevOps.comが独立に同一の値を報じており、信頼度は高い。

一方でEntireは、競合Cursorの新機能「Origin」との比較も打ち出している。The Registerの報道によれば、プッシュ数は時間あたり210万に対しCursor Originは8万1000、クローン数は57万に対し29万6000だったという。ただしこの比較数値はThe Register単独の報道であり、entire.io公式ブログの本文にはチャート画像があるのみで、数値そのものの記載はない。プッシュ数で約26倍、クローン数で約1.9倍という差は見出しになりやすい数字だが、検証可能な一次資料としては現時点で確認できていない。

AIエージェントがGitを壊し始めた仕組み

人間の開発者は1日に数回から数十回のクローンやプッシュしかしないが、AIコーディングエージェントは1つのタスクを実行するたびにリポジトリを丸ごとクローンし、変更をコミットしてプッシュする動作を繰り返す。仮に人間の開発者が上限の1日50回操作するとしても、時間あたりに換算すればわずか2回程度にとどまる。これに対しEntireのベンチマークが記録した時間あたり約57万クローンは、200の模擬クライアントが同時アクセスを仕掛けた負荷試験のピーク値であり、単純計算で人間換算の28万倍規模のスケールを示す。実運用でのAIエージェントの平均的なアクセス頻度そのものではないが、GitHub Copilot、Cursor、CodexClaude Codeのようなエージェントが並行して何十、何百と走る開発現場で、この規模の操作が数分間に集中しうることを裏付ける数字だ。Dohmkeはこの状況について「集中型のGitホスティングはエージェントがスケールするにつれてボトルネックになった。多数のエージェントと開発者が単一サーバーに殺到する負荷は、レート制限や高レイテンシ、障害という形で表れる」と述べている。

Entireの分散型ネットワークが解く問題はここにある。開発チームは既存のGitHubリポジトリをワンステップでEntireにミラーリングする。コードの正本はGitHubに残ったまま、AIエージェントはユーザーに最も近い地域のEntireミラーからクローンやプルする仕組みだ。

読み取りの大部分をミラー側で吸収することで、GitHub本体への同時アクセス負荷を下げる発想だ。書き込み、つまりプッシュされた変更は最終的に正本であるGitHubへ同期される仕組みで、開発チームから見ればリポジトリの所在地はGitHub上のままに見える。プレビュー版はウェイトリスト制で申し込む方式を採り、稼働リージョンも米国・EU・オーストラリアの3地域に限られている。これも地域ミラーを物理的に分散させる設計そのものに起因する。ミラーの拠点を増やすほどAIエージェントがアクセスする物理的な距離が縮まり、レイテンシも下がる計算になる。

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GitHubを去った男が、GitHubの牙城を狙う理由

Dohmkeは2021年からGitHub CEOを務め、2025年8月11日に退任を発表した。その後2025年末までGitHubに残って移行を支援し、退任からわずか半年後の2026年2月10日にEntireの立ち上げと6000万ドルのシードラウンド(バリュエーション3億ドル)を発表している。日本円では2026年7月8日時点のレート(1ドル=162.43円)換算で、調達額は約97.4億円、バリュエーションは約487.2億円に相当する。開発者ツール分野では史上最大級のシードラウンドとされ、リード投資家のFelicisに加え、Madrona、Basis Set Ventures、20VCなど名の知れたベンチャーキャピタルが名を連ねる。

この投資家リストには、Microsoftの社内ベンチャー部門M12も含まれる。GitHubはMicrosoft傘下の子会社であり、その元CEOが自社のインフラ限界を公然と指摘して興した競合サービスに、Microsoft自身の投資部門が資金を投じている構図になる。Madrona共同経営者のTim Porterは、Entireを「次の偉大な開発者プラットフォームになりうる」と評している。

Entire自身とFelicisをはじめとする投資家、そしてGitHubのレート制限を気にせず動けるAIエージェントベンダーが、この構図では得をする。EntireはClaude Code、Codex、Cursor、Factory AIといった主要エージェントとの統合に対応済みで、エージェント開発者側にも乗り換えるインセンティブがある。逆に割を食うのはGitHub自身と、性能比較で名指しされたCursorのOrigin機能だろう。GitHubは自社の限界を元トップに公然と指摘された形になり、Cursorは実際の比較数値で見劣りする結果を突きつけられた。

Entireは9カ国に分散する40人以上のフルリモート体制で、年内に60人規模への拡大を目指すという。共同創業者にはGitHubでチーフ・オブ・スタッフ代理を務めたCole Driverがいるとされる。元GitHubの中核メンバーがそのまま競合の中枢に移った格好で、GitHubの内部事情を熟知したチームが分散型インフラを設計している点も、この構図の捻れを深めている。

GitTorrentとRadicleの教訓、Entireが選んだ迂回路

Gitは2005年、Linus TorvaldsがBitKeeperとのライセンス紛争をきっかけに、集中管理を前提としない分散型バージョン管理として設計した。GeekWireの報道によれば、Entireは2007年のTorvaldsの講演を引用し、「Gitは本来分散型である」という原点回帰の論理を掲げているという。だが実際のGit利用は長らくGitHubという単一のホスティングサービスに集約されてきた。

分散型Gitへの挑戦はEntireが初めてではない。2015年に開発が始まったGitTorrentは、BitTorrentのプロトコルを応用してリポジトリをピア間で共有する構想だったが、2016年までに事実上放棄された。P2P方式で暗号署名によるGit分散化を目指すRadicleは、2026年4月時点で公開シードノードが週間約8000リポジトリ・600ノードという規模にとどまり、商業的な普及には至っていない。両者に共通するのは、GitHubという既存のネットワーク効果から開発者を完全に切り離そうとした点だ。

Entireのミラー方式はここが異なる。コードの正本をGitHubに残したまま読み取り負荷だけを地域ミラーへ逃がすため、開発チームはGitHub上のワークフローやレビュー慣行を変えずに導入できる。GitTorrentやRadicleが挑んだ「GitHub不要のGit」ではなく、「GitHubと併用できるGit」を選んだことになる。この折衷案が過去の失敗パターンを回避できるかどうかは、プレビュー後にどれだけのチームが実際に乗り換えるかにかかっている。

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日本の開発チームが実際に使えるのはいつか

プレビューの稼働リージョンは米国・EU・オーストラリアの3地域に限られる。GeekWireが伝える料金体系は、無料層・個人向け・商用プランをシート課金と従量課金の組み合わせで提供するという大枠にとどまり、具体的な金額や日本語圏への展開時期は今のところ未公表だ。

Entireは今後数カ月以内にパブリック・プライベートリポジトリのネイティブホスティングを開始する計画を示しており、将来的にはGitバックエンドの完全な分散化とオープンソース化を目指すという。この延長線上に日本を含む追加リージョンが加わるかどうかは、プレビュー段階の実績次第だろう。

Entireの賭けは、AIエージェントが人間よりはるかに高い頻度でGitを叩くという構造変化を正しく読んでいる点では筋が通っている。地域ミラーの同期整合性やセキュリティ保証といった技術詳細は、いずれの一次資料にも明記されていない。GitHubの牙城を崩せるかどうかは、ベンチマークの数字よりも、プレビュー参加チームがどれだけ本番導入に進み、リージョンが米国・EU・オーストラリアの外へ広がるかという、地味だが検証可能な指標が答え合わせになる。