Google Cloudは、ラスベガスで開催された「Google Cloud Next 2026」において、新たなエンタープライズ向け開発プラットフォーム「Gemini Enterprise Agent Platform」を発表した。これは既存のAI開発プラットフォームであるVertex AIの後継であり、そのすべての機能と今後のロードマップを統合するものだ。技術チームやIT部門が自律型AIエージェントを構築、スケーリング、管理、最適化するための一元的な環境を提供する。
本発表の根底にあるのは、企業における生成AIの活用手法が根本的な転換点を迎えているという認識だ。初期の言語モデルは、ユーザーからの質問に応答し、クリエイティブな作業を部分的に支援する単一の対話型タスクに特化していた。しかし現在、企業が直面している課題は、数百から数千に及ぶ自律型エージェント群を同時に管理し、それらに一連の複雑な業務プロセスを委任する段階へと移行している。Google CloudのThomas Kurian CEOが指摘するように、テキスト生成の枠を超え、現代のエージェントは自らコンピュータを操作し、GCPやGoogle Workspaceの全機能をツールとして駆使する権限を持つに至っている。
Gemini Enterprise Agent Platformは、このエージェントの急増(エージェント・スプロール)という新たな課題に対し、開発環境の刷新、実行基盤の強化、そして厳密なガバナンスとインフラストラクチャの統合というアプローチで回答を提示する。
開発パラダイムの再定義とAgent Development Kitの拡張
プラットフォームの中核を成すのは、開発者の要件に合わせた複数階層のエージェント開発環境である。ビジネスロジックの迅速な実装を求めるユーザー向けには、自然言語や視覚的なローコードインターフェースを用いてエージェントを構築できる「Agent Studio」が提供される。一方で、より高度な制御と独自の実装を求めるエンジニアリングチーム向けには「Agent Development Kit(ADK)」が大幅な機能拡張を伴って提供される。

新しいADKの技術的な特徴は、グラフベースのフレームワークを採用している点にある。これにより、開発者は複雑な問題を解決するために、タスクを専門的な複数のサブエージェントに分割し、それらをネットワーク化して連携させる明確な論理を定義できる。エージェント間のオーケストレーションにおいては、生成的なアプローチと決定論的なアプローチの双方をサポートする。コンプライアンスに関わる重要な処理では、常に指定されたパスに従うよう厳密に制御する。
また、エージェントには安全にbashコマンドを実行したりファイルを管理したりするためのサンドボックス環境(Workspaces)が与えられ、企業のホストシステムから隔離された状態でコードの実行やブラウザベースの自動化操作を行う。システム統合の側面では、Native Ecosystem Integrationsにより、カスタムコーディング不要で内部データやツールに対するプラグアンドプレイでの接続が確立される。さらに、BigQueryやPub/Subのデータを活用するバッチおよびイベント駆動型エージェントにより、コンテンツ評価やデータ分析といった非同期のタスクをバックグラウンドで大規模に自動化するアーキテクチャを採用している。
長時間実行と永続的コンテキストを支える新基盤
企業が概念実証(PoC)の段階を越えてエージェントを本番環境へデプロイする際、パフォーマンス、状態管理、およびセキュリティの要件は跳ね上がる。Googleはエージェントの実行基盤である「Agent Runtime」を再構築し、サブ秒単位のコールドスタートを実現することで、新たなエージェントを数秒でプロビジョニングする能力を確保した。
このアーキテクチャにおける重要な進歩は、数日間にわたって自律的に稼働し続ける長時間実行エージェント(Long-running agents)のサポートである。営業の見込み客発掘シーケンスや複雑なシステム間連携といった、長期間にわたる状態の維持と推論が求められるワークフローを完全に委任できる。
長時間に及ぶ自律行動を支えるのが「Agent Memory Bank」である。従来のエージェントがセッションごとに状態をリセットしていたのに対し、このシステムは対話や行動履歴から長期的な記憶を動的に生成し、保持する。新たなMemory Profilesを使用することで、エージェントは精度の高い詳細情報を低遅延で呼び出す。Payhawk社の事例では、財務コントローラーエージェントがユーザー固有の習慣や制約を長期的に記憶し、プロンプトを待たずに経費を自動提出することで、作業時間を50%削減している。また、ぐるなびが展開する飲食店検索アプリ「UMAME!」では、この記憶機能を活用してユーザーの過去の行動や好みを深く理解し、文脈に応じた提案を能動的に行う仕組みが構築されている。
監査証跡の確保と包括的なガバナンス体制
自律型エージェントの企業導入において経営層が最も警戒するのは、十分な監視と制御の及ばない環境でAIツールが増殖し、情報漏洩や不正な操作を引き起こすリスクである。Gemini Enterprise Agent Platformは、この懸念に対してゼロトラストの原則に基づく強力なガバナンス機能を提供する。
その基盤となる「Agent Identity」は、システム上で稼働するすべてのエージェントに対して一意の暗号化IDを割り当てる。これにより、エージェントが実行したすべてのアクションが明確な監査証跡として記録され、事前定義されたIAM(Identity and Access Management)や認可ポリシーと厳密に紐付けられる。「Agent Registry」は、社内で稼働する全エージェント、ツール、およびスキルの統合カタログとして機能し、承認および監査済みのリソースのみが利用可能であることを保証する。
さらに、エージェントエコシステム全体のトラフィックを制御する「Agent Gateway」が導入されている。このゲートウェイは、プロンプトインジェクションやデータ漏洩からシステムを保護する「Model Armor」の防御層として機能し、一貫したセキュリティポリシーを適用する。稼働中の不審な挙動については、「Agent Anomaly Detection」が統計モデルとLLM-as-a-judgeフレームワークを組み合わせてエージェントのアクションの背後にある意図を解析する。リバースシェルや既知の悪意あるIPアドレスへの接続など、実害が生じる前に異常を検知して停止させる防壁として機能する。
非技術部門の従業員向けには、消費者側の接点として「Gemini Enterprise app」が提供される。ユーザーはスケジュールや特定のトリガーに基づく自動化タスクを独自に構築できる。同時に提供されるエンタープライズ向けの「Inbox」機能では、稼働中のエージェントからの通知が「入力を求めている(Needs your input)」「エラー」「完了」といったカテゴリに分類され、人間による監視と介入(Human-in-the-loop)のプロセスが一元管理される。
モデルの多様性とエンタープライズAI市場の展望
Googleは自社のGeminiモデル群をプラットフォームの推奨エンジンとしつつも、顧客の多様な要件に応えるため、モデルの選択肢をオープンに保つアーキテクチャを採用している。Model Gardenを通じて、Gemini 3.1 Pro、Gemini 3.1 Flash Image、音声・音楽生成のLyria 3、オープンモデルのGemma 4に加え、AnthropicのClaude 3.5 SonnetやOpus、Haikuを含む200以上のモデルにアクセス可能である。
最適化のフェーズにおいては、本番展開前に合成データを用いた仮想インタラクションでエージェントにストレステストを行う「Agent Simulation」が利用できる。稼働開始後は「Agent Evaluation」がライブラフィックに対するマルチターンでのスコアリングを継続的に実施し、「Agent Observability」ダッシュボードによってエージェントの複雑な推論プロセスが可視化される。エラーの分析と改善は「Agent Optimizer」が自動的に実行し、失敗パターンをクラスタリングしてシステムプロンプトの修正案を提示する。
これらの基盤整備により、アーリーアダプター企業はすでに大規模な導入フェーズに入っている。L'Oréalは、ADKを活用して独自のBeauty Tech Agentic Platformを構築し、Model Context Protocol(MCP)を通じて社内のコア業務アプリケーションとエージェントを安全に接続している。ComcastはXfinity AssistantをADKで再構築し、スクリプトベースの自動化から生成的推論に基づくトラブルシューティングへと移行した。GE Appliancesはサプライチェーンや物流にわたって800以上のエージェントを稼働させ、KPMGは導入初月で100以上のエージェントを展開している。
現在、エンタープライズAIプラットフォーム市場では、Amazon Web ServicesのBedrock AgentCoreやMicrosoftのFoundryがエージェントオーケストレーションの領域で激しい覇権争いを展開している。その中でGoogleが提示するアプローチは、第8世代TPUというハードウェアインフラストラクチャから始まり、Wizの買収によって強化されたセキュリティ層、データクラウド、言語モデル、そしてアプリケーション層までを自社で設計・統合する垂直統合の戦略である。個別のコンポーネントを継ぎ接ぎするのではなく、技術スタック全体を最適化することでパフォーマンスと安全性の両立を図りつつコストを最適化する。この試みは、今後の企業における自律型システムの設計思想を大きく規定する指標となる。
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