Google DeepMindが、大規模言語モデル(LLM)の能力を新たな次元へと引き上げる画期的なAIシステム「AlphaEvolve」を発表した。このGemini搭載のコーディングエージェントは、既存のアルゴリズムを改良するだけでなく、全く新しいアルゴリズムを発見する能力を備え、数学の未解決問題からGoogle自身の巨大な計算インフラの最適化に至るまで、既に驚くべき成果を上げているという。AlphaEvolveは、AIが単に情報を処理するだけでなく、真の「発見」を可能にすることを示唆しており、科学技術の未来に大きな変革をもたらす可能性を秘めたものなのだ。
アルゴリズムを「進化」させるAI、AlphaEvolveとは?
AlphaEvolveは、Google DeepMindが開発した、アルゴリズムの発見と最適化を目的とした汎用AIエージェントである。その核となるのは、Googleの最先端大規模言語モデル「Gemini」(高速なGemini Flashと高性能なGemini Pro)と、生物の進化のプロセスにヒントを得た「進化的アルゴリズム」、そして生成された解の有効性を厳密に検証する「自動評価システム」の組み合わせである。
DeepMindの研究者、Matej Balog氏は、「大規模言語モデルが登場した当初から、我々は『LLMは既存の学習データにあるものを繰り返すだけなのか、それとも全く新しいアルゴリズムや知識を発見するために利用できるのか?』という問いを持っていました」と語る。AlphaEvolveは、この問いに対するDeepMindの一つの答えであり、「LLMを正しい方法で使えば、アルゴリズムという形で証明可能で新しい、正しいものを得ることができる」ことを示していると言えるだろう。
AlphaEvolveは、2023年に発表された「FunSearch」のコンセプトを大幅に拡張したものだ。FunSearchが単一のコンピュータプログラム関数(主にPythonで記述)の発見に焦点を当てていたのに対し、AlphaEvolveはコードベース全体を進化させ、より複雑で広範なアルゴリズムを扱うことができる。また、FunSearchが比較的小さなLLMを使用し、単一の評価基準で最適化を行っていたのに対し、AlphaEvolveは最先端のGeminiモデルを活用し、複数の評価基準を同時に最適化することが可能である。
AlphaEvolveの「思考プロセス」

AlphaEvolveのアルゴリズム発見・最適化プロセスは、人間とAIの協調作業とも言える洗練されたものだ。
- 問題定義と初期設定: まず、科学者やエンジニアといった専門家が、解決したい問題と、その問題を解くための初期プログラム(最適でなくても構わない)、そして生成されたプログラムの性能を評価するためのコード(評価関数)をAlphaEvolveに提供する。
- 候補プログラムの生成: 次に、AlphaEvolveの中核をなすGeminiモデルが活動を開始する。Gemini Flashが多様なアイデアを迅速に数多く生成し、それに対してGemini Proがより深く洞察に満ちた提案を行うことで、候補となるプログラムが大量に生み出される。
- 自動評価とフィードバック: 生成された各候補プログラムは、事前に人間が定義した評価コードによって、その正確性や効率性などが自動的にテストされ、スコアリングされる。この自動評価システムは、LLMが時折見せる「ハルシネーション(もっともらしい嘘を生成する現象)」を効果的に排除し、信頼性の高い結果を得る上で極めて重要である。
- 進化的選択と改良: スコアリングされたプログラム群の中から、有望なものが「遺伝的アルゴリズム」のような進化的アプローチによって選択される。「適者生存」の原則に基づき、より性能の高いプログラムが次の世代の「親」となり、さらなる改良が加えられていく。
- 反復による最適化: この「生成・評価・選択・改良」のサイクルが繰り返されることで、プログラムは徐々に最適化され、最終的に人間が思いもよらなかったような革新的なアルゴリズムが発見されることがある。このプロセスは、解の改善が見られなくなるまで続けられる。
AlphaEvolveは、特にコンピュータサイエンスやシステム最適化など、明確な評価基準が存在し、機械による自動評価が可能な問題に対してその真価を発揮する。一方で、現状ではソリューションをアルゴリズムとして記述する必要があるため、数値化や明確な評価が難しい問題への適用は限定的である。
AlphaEvolveが打ち立てた数々の成果
AlphaEvolveは、その驚異的な能力を数学の分野で遺憾なく発揮し、長らく未解決であった問題や、既存の記録を次々と塗り替えている。DeepMindは、幾何学、組み合わせ論、解析学など、多岐にわたる約50の数学的問題にAlphaEvolveを適用した。その結果、約75%のケースで既存の最も優れた解法を再発見し、さらに驚くべきことに、約20%のケースでは既知の解法を上回る、全く新しい解法を発見したと言うのだ。
56年ぶりの快挙!行列乗算アルゴリズムの歴史を塗り替える
最も象徴的な成果の一つが、行列乗算アルゴリズムの改善である。行列乗算は、AIの深層学習からコンピュータグラフィックスまで、現代の計算科学に不可欠な基本演算である。1969年、Volker Strassenが発見したアルゴリズムは、特定のサイズの行列乗算における計算効率の記録を長らく保持していた。DeepMindは以前、行列乗算に特化したAI「AlphaTensor」を発表していたが、AlphaEvolveはより汎用的なアプローチでありながら、4×4の複素数行列を乗算する際に必要なスカラー乗算の回数を、Strassenのアルゴリズム(およびAlphaTensorが特定のケースで見つけた改善)を上回る48回に削減することに成功した。これは実に56年ぶりの記録更新となる。この発見は、AlphaEvolveが特定のタスクに特化せずとも、高度な専門分野でブレークスルーを起こせることを示している。
「接吻数問題」など、数々の難問に光明
AlphaEvolveは、300年以上数学者を魅了してきた幾何学の難問「接吻数問題」にも新たな光を当てた。この問題は、「ある一つの球に、互いに重なり合うことなく接触できる同じ大きさの球の最大数はいくつか?」というものである。AlphaEvolveは、11次元空間における接吻数の下限を、これまでの592から593へと更新する配置を発見した。
その他にも、Erdősの最小重複問題における新しい上限の確立や、解析学における自己相関不等式、不確定性原理に関する問題、組み合わせ論や幾何学における様々なパッキング問題などで、既存の記録を塗り替える、あるいは新たな知見を提供する発見をしている。
これらの数学的発見は、AlphaEvolveが単に既存の知識を組み合わせるだけでなく、人間がまだ到達していない新たな解法を「創造」する能力を持つことを示唆している。
Google自身をも最適化するAlphaEvolveの実用的なインパクト
AlphaEvolveの能力は、純粋科学の領域に留まらない。Googleは既に、このAIを自社の広範なコンピューティングエコシステムに導入し、目に見える成果を上げている。

データセンターの効率を0.7%向上させる「魔法のコード」
Googleの巨大なデータセンター群を効率的に運用するために不可欠なクラスタ管理システム「Borg」。AlphaEvolveは、このBorgにおけるジョブスケジューリングのヒューリスティック(経験則に基づくアルゴリズム)を改善する、シンプルかつ非常に効果的なコードを発見した。この新しいヒューリスティックは、1年以上にわたってGoogleの全データセンターで稼働しており、全世界の計算リソースの平均0.7%を継続的に回復させている。Googleほどの規模になると、この0.7%という数字は莫大な計算資源の節約を意味し、結果としてエネルギー消費の削減にも繋がる。特筆すべきは、AlphaEvolveが生成したコードが人間にとって解釈しやすく、デバッグや展開も容易である点である。
次世代TPUチップ設計にも貢献
Googleが独自に開発するAIアクセラレータ「Tensor Processing Unit (TPU)」。AlphaEvolveは、このTPUの重要な算術回路において、不要なビットを削除するというVerilog(ハードウェア記述言語)の書き換えを提案した。この変更はTPUの設計者によって検証され、次世代のTPUチップに実際に組み込まれる予定である。AIがハードウェア設計の初期段階で最適化案を提示するという、新しい協力関係の可能性を示している。
Geminiモデル自身のトレーニングを高速化
驚くべきことに、AlphaEvolveは、それ自身の基盤技術でもあるGemini大規模言語モデルのトレーニング効率向上にも貢献しているとのことだ。Geminiモデルの学習に不可欠な行列乗算カーネルの処理を最適化することで、カーネル単体で23%の高速化を達成し、結果としてGeminiモデル全体のトレーニング時間を1%短縮することに成功した。これは、AI自身がAIの開発を加速するという、興味深い自己参照的な改善ループの始まりと言えるかもしれない。
FlashAttentionも高速化!GPU性能を最大限に引き出す
さらに、AlphaEvolveは、TransformerベースのAIモデルで広く利用されている「FlashAttention」という重要なカーネルの実装を最適化し、GPU上での推論処理を最大で32.5%高速化した。これは、通常はコンパイラによって高度に最適化されており、人間のエンジニアが直接手を加えることが稀な領域での成果であり、AlphaEvolveの深いコード理解能力を示している。
これらの実用的な成果は、AlphaEvolveが単なる研究プロジェクトではなく、現実世界の複雑な問題解決に直接貢献できる強力なツールであることを証明している。
なぜAlphaEvolveはこれほど強力なのか?
AlphaEvolveがこれほどまでに強力な能力を発揮できる背景には、いくつかの重要な要素がある。
- 汎用性と専門性の両立: AlphaEvolveは、特定の問題に特化することなく、数学からソフトウェア工学、ハードウェア設計に至るまで、アルゴリズムで記述可能な幅広い問題に取り組むことができる。それでありながら、各分野で専門家を唸らせるほどの深い発見をすることも可能だ。
- 人間が読めるコードの生成: AIが生成したコードは難解になりがちだが、AlphaEvolveは人間が理解しやすく、検証やデバッグ、さらには改善も容易なコードを生成する傾向がある。これは実運用において非常に重要な利点となる。
- 進化的アプローチの巧みさ: 従来の強化学習ベースのアプローチと比較して、AlphaEvolveが採用する遺伝的アルゴリズムをベースとした進化的アプローチは、システム全体をシンプルにし、多様な問題への適用を容易にしている。
- 最先端LLM(Gemini)の能力: AlphaEvolveの「脳」として機能するGeminiモデルの高度な言語理解能力、推論能力、そしてコード生成能力が、このシステムの成功の根幹を支えている。特に、多様なアイデアを出すGemini Flashと、深い分析を行うGemini Proの連携は効果的だ。
- 自動評価による信頼性: 厳格な自動評価システムが、LLMによる提案を客観的に検証し、誤った解や非効率な解を排除することで、AlphaEvolveは常に正しい方向へと進化し続けることができる。
これらの要素が複雑に絡み合うことで、AlphaEvolveは従来のAIでは到達できなかったレベルの「アルゴリズム発見能力」を実現しているのだ。
AlphaEvolveの未来と私たちの世界への影響
DeepMindは、AlphaEvolveについて、今後さらに広範な問題への適用を目指している。
今後の応用が期待される分野
現在、AlphaEvolveは数学やコンピューティング分野で目覚ましい成果を上げているが、その汎用的な性質から、将来的には材料科学、創薬、気候変動対策といった、アルゴリズムによる解決が求められるあらゆる分野での応用が期待される。例えば、新しい触媒の設計や、より効果的な治療薬の分子構造の発見、あるいは地球温暖化を抑制するための革新的なプロセスの開発などに貢献するかもしれない。
開発チームが語る今後の展望と課題
DeepMindの研究者たちは、AlphaEvolveのさらなる進化に期待を寄せている。一つの方向性として、自然科学の分野など、自動評価が難しい問題への対応能力の向上が挙げられる。Balog氏は、AlphaEvolveをDeepMindの別のプロジェクトである「AI共同科学者(AI Co-scientist)」と組み合わせることで、より高レベルの抽象的なアイデアや仮説生成を取り入れ、システムの能力を向上させることができると考えている。
一方で、現状のAlphaEvolveの主な限界は、自動評価メカニズムを設計できる問題に適用が限られる点である。しかし、研究チームは、LLMが初期の定性的な評価を行い、その後より構造化された評価に移行するハイブリッドなアプローチも模索しているとのことである。
早期アクセスプログラムと一般公開の可能性
Google DeepMindは、AlphaEvolveのユーザーインターフェース開発を進めており、選ばれた学術研究者向けに早期アクセスプログラムを開始する計画である。将来的には、より広範な研究者や開発者がこの強力なツールを利用できるようになる可能性も示唆されている。
再帰的な自己改善AIへの懸念とDeepMindの見解
AlphaEvolveがGeminiモデル自身のトレーニングを最適化したという事実は、一部で「AIがAIを再帰的に自己改善し、知能爆発(シンギュラリティ)に至るのではないか」という懸念を引き起こすかもしれない。これに対し、DeepMindの研究者 Alexander Novikov氏は、「私たちは人類に利益をもたらすAIの進歩に貢献することに興奮しています」と述べ、そのような懸念を直接の目標とはしていないことを強調している。
Google DeepMindのAlphaEvolveは、AIが単なる作業の自動化ツールから、真の「発見」と「創造」のパートナーへと進化する可能性を力強く示すものだ。半世紀以上も解き明かされなかった数学の難問を解決し、巨大IT企業のインフラさえも最適化するその能力は、科学技術のあらゆる分野に革命的な変化をもたらすかもしれない。
AlphaEvolveの登場は、アルゴリズムが支配する現代社会において、そのアルゴリズム自体をAIが生み出し、進化させていくという新しい時代の幕開けを告げている。この技術が今後どのように発展し、私たちの生活や社会にどのような影響を与えていくのか?今回の発表は今後の展開が楽しみな反面、AIのその進化に少し恐れを抱くような、そんなインパクトを与えてくれる物と言えるだろう。
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