検索の巨人、Googleがエンターテインメントの世界に静かに、しかし着実に足を踏み入れている。同社は新たに映画・テレビ番組製作を目的とした組織「100 Zeros」を立ち上げ、ハリウッドの有力プロダクション「Range Media Partners」と複数年にわたる提携を結んだことが報じられた。テクノロジー界の巨人がなぜ今、映像コンテンツ制作に乗り出すのか?
秘密裏に始動した「100 Zeros」:Googleの新戦略か、それとも単なる実験か?
Business Insiderの報道によると、Googleは「100 Zeros」と呼ばれる新たな取り組みを開始しているようだ。これは、Googleが資金提供や共同製作を行う映画・テレビ番組のプロジェクトを発掘することを目的としたもので、すでに、2024年公開のインディーズ・ホラー映画『Cuckoo』のマーケティング費用の一部を負担しており、その見返りとして、映画のエンドクレジットに「100 Zeros」のロゴが目立つ形で表示される形として、着実にその歩みを進めている。
この提携先であるRange Media Partnersは、『A Complete Unknown』や『Longlegs』といった注目作を手がける、ハリウッドで実績のあるタレントマネジメント兼製作会社だ。GoogleとRange Mediaは、「100 Zeros」を通じて、脚本のある作品から、脚本のない作品まで、幅広いジャンルの映画やテレビ番組の製作に関与していく方針であると報じられている。
この新組織の名前「100 Zeros」は、Googleという社名の由来にもなった数学用語「googol」(1の後に0が100個続く巨大な数)へのオマージュである可能性が高い。検索エンジン黎明期、Backrubという名前から改名する際に候補として挙がったのが「googol」だったという逸話は有名だ。この命名には、Googleの原点回帰と、新たな巨大な価値創造への意気込みが込められているのかもしれない。
なぜ今、Googleはエンタメ界に食指を動かすのか?
Googleが映画・テレビ製作に乗り出す背景には、複数の戦略的意図が見え隠れする。単なる広告宣伝の延長線上にあるだけではない、より深く、多層的な狙いがあると考えられる。
テクノロジー普及とブランドイメージ向上の切り札
Googleの最大の狙いは、自社の最新テクノロジーやサービスを、エンターテインメントという影響力の大きな媒体を通じて、より自然な形でクリエイティブ業界や一般消費者に浸透させることにあるようだ。具体的には、Googleマップの3D航空写真機能である「イマーシブビュー」や、物理世界と仮想世界を融合させる「空間コンピューティング」ツール、そして急速に進化するAI技術(Gemini、Imagen、Veoなど)の活用を促進したい考えがある。
物語の中に自社製品を登場させる、いわゆるプロダクトプレイスメントも視野に入れているようだ。登場人物がiPhoneではなくAndroidスマートフォンを手にし、「かこって検索」のような機能を使うシーンが、今後は増えるかもしれない。しかし、Business Insiderは、プロダクトプレイスメント自体が主目的ではないとも報じている。Googleは別途、大手タレントエージェンシーであるUnited Talent Agency(UTA)とマーケティング提携を結び、「ホワイト・ロータス/諸事情だらけのリゾートホテル」や「ウィキッド」といった作品でPixelスマートフォンのプロモーションを行っている。
むしろ100 Zerosでは、テクノロジー全般、そしてGoogle製品に対するポジティブなイメージを、特に若年層に向けて醸成することに重きを置いているようだ。ポップカルチャーを形成する力を持つ映画やテレビ番組を通じて、「Googleはクールだ」という認識を広めたいという思惑があるのだろう。
強敵Appleへの対抗意識? 若年層攻略は喫緊の課題
Googleにとって、特に若年層におけるブランドイメージの向上は喫緊の課題だ。スマートフォン市場において、世界シェアではGoogleのAndroidが圧倒的だが、米国市場、特に若年層においてはAppleのiPhoneが強い影響力を持っている。Piper Sandlerが2024年春に行った調査では、米国のティーンエイジャーの88%がiPhoneを所有しているという結果が出ている。高級感のあるブランドイメージと、iMessageの「青い吹き出し」は、Androidユーザーに疎外感を与えかねない独特のコミュニティ感を醸成しており、人気作品にもiPhoneは頻繁に登場し、その存在感を高めている。
また、検索エンジンとしてのGoogleの牙城も、若年層においては盤石とは言えない。彼らは情報を得るために、AIチャットボットや、Amazon、TikTokといったプラットフォームへ向かう傾向が強まっている。こうした状況を打破するため、ハリウッドの文化的影響力を活用し、AndroidやGoogle検索の魅力を再認識させたいという狙いがあるのではないだろうか。AppleがApple TV+でオリジナルコンテンツを製作し、自社製品を効果的に登場させている戦略は、Googleにとって無視できない先行事例だろう。
静かな船出からAIとの融合へ
100 Zerosは、水面下で静かに活動を開始していた。前述の『Cuckoo』へのマーケティング資金提供はその一例だ。この映画は、インディーズ系ながら『パラサイト 半地下の家族』や『Anora』といった話題作を手がける気鋭のスタジオNEONが配給し、『ユーフォリア/EUPHORIA』や「ハンガー・ゲーム」シリーズで知られるHunter Schaferが主演を務めるなど、Z世代を強く意識した作品選定であったことがうかがえる。Googleはこの件に関して積極的な広報活動は行わなかったが、同社が目指す方向性を示唆する動きと言えるだろう。
さらに具体的な動きとして、GoogleとRange Mediaは2025年春、「AI On Screen」という共同プログラムを発表した。これは、人類とAIの関係性を探る短編映画を製作するプロジェクトで、優れた作品は長編映画化も視野に入れているという。すでに『Sweetwater』と『LUCID』という2本の短編映画が年内に公開予定だ。Googleの広報担当者は、「Rangeとの継続的なパートナーシップを通じて、ハリウッドのクリエイティブコミュニティと、思慮深く生産的な方法で協力していくことを目指しています。これは、責任ある形で創造的な表現を支援し、ストーリーテリングを通じてテクノロジーの可能性を探求するという、我々の継続的なコミットメントを維持するものです」と述べている。
この「AI On Screen」プログラムは、Googleが推し進めるAI戦略とも密接に連携している。同社はラスベガスの巨大球体型施設「Sphere」と協力し、AIモデル「Gemini」「Imagen」「Veo」の特別チューニング版を用いて、86年前の映画を16万平方フィートのLEDスクリーン向けに再現するプロジェクトも行っている。映画製作というクリエイティブな領域でAIの可能性を示すことは、Googleにとって重要な戦略なのだろう。
YouTube Originalsの轍は踏まない? 新たな配給戦略
ここで気になるのは、Googleがかつて展開していた「YouTube Originals」との違いだ。YouTubeは2016年、有料プラン「YouTube Red」(現在のYouTube Premium)の目玉として、人気YouTuberなどを起用したオリジナル番組や映画の製作に乗り出した。『コブラ会』のように、後に他のプラットフォームでヒットした作品も生み出したが、Netflixのような巨大ストリーミングサービスに対抗するまでには至らず、2022年にプロジェクトは終了。YouTubeはユーザー生成コンテンツとショート動画(Shorts)に再び軸足を移した。
しかし、今回の100 Zerosは、YouTube Originalsの再来ではないようだ。驚くべきことに、Googleは100 Zerosで製作した作品の主要な配給プラットフォームとしてYouTubeを活用する計画はないと報じられている。目指すのは、Netflixのようなストリーミングサービスや、従来の映画スタジオに作品を販売することだという。これは、コンテンツ製作とプラットフォーム運営を切り離し、より純粋な製作スタジオとしてハリウッドに食い込もうとする戦略なのかもしれない。
ハリウッドとの蜜月は続くか? 期待と課題
テクノロジー企業によるエンタメ界への進出は、必ずしも成功が約束されたものではない。ハリウッドは現在、2023年の脚本家・俳優によるダブルストライキの影響や、製作費の高騰、さらには米国の外国製映画に対する関税の脅威といった課題に直面している。こうした状況下で、Googleのような資金力のある企業の参入は、業界にとって歓迎すべき側面もあるだろう。
一方で、ブランドが主導するエンターテインメント製作には、不安定さもつきまとう。Business Insiderは、StarbucksやMarriot、Southwest Airlinesといった企業が、かつて映像コンテンツ製作に関わるマーケターを、全社的な人員削減の一環として解雇した事例を挙げている。Trump政権の関税政策や、DEI(多様性・公平性・包括性)への攻撃なども、企業の投資意欲を減退させる要因となりうる。Googleの100 Zerosが、こうした外部環境の変化に左右されず、長期的なコミットメントを維持できるかは未知数だ。
とはいえ、100 Zerosは、Range Mediaから出向した映画プロデューサーのPenny Lin氏や、開発担当のCasey Durant氏、Tony Nguyen氏といった専門スタッフを擁し、Range側のパートナー兼マネージャーであるRachel Douglas氏がGoogleとの連携を監督、Google側では新興コンテンツ体験担当マネージングディレクターのJonathan Zepp氏が窓口となるなど、本格的な体制を敷いているように見える。これは、ナイキが設立したWaffle Iron Entertainmentのように、企業の目標達成に貢献しつつも、一定の独立性を持って運営されるスタジオを目指しているのかもしれない。
Sources
- Business Insider: Google has quietly entered the movie and TV business. Here’s why.