AIが生成AIから「エージェント型AI」、さらにロボットや自動運転に組み込まれる「フィジカルAI」へと進化を続ける中、データセンターを支えるインフラの物理的制約が急速に露わになりつつある。その最前線で問題となっているのが、インジウムリン(InP)と呼ばれる化合物半導体材料だ。

InPは電気信号と光信号を相互変換する能力を持ち、光トランシーバーの中核部品として使われる。従来、光通信はサーバーラック間の外部接続に限られていたが、AIの推論処理が高度化するにつれ、サーバー内部の高速データ伝送にも光技術が展開されるようになった。この流れが、CPO(Co-Packaged Optics)やNPO(Near-Packaged Optics)の普及を加速させている。TrendForceの予測によると、CPOとNPOを合わせた市場規模は2025年の約1億ドルから2030年には390億ドル超へと急拡大する見込みだ。

NVIDIAは2026年3月、米国の光製品メーカーCoherentとLumentumにそれぞれ20億ドルの投資を発表した。カスタムチップメーカーのMarvell Technologyも、フォトニクス技術を持つスタートアップCelestial AIの買収に動いている。光通信への資本流入は加速する一方で、その川上に位置するInP基板の供給が根本的に追いついていない。

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中国の輸出規制が生んだ「材料チョークポイント」

2025年2月、中国商務部はInP製品に対する輸出管理を開始した。この措置が業界全体に与えた波紋は想定を大きく超えている。6インチInPウェハーの平均価格は規制前比で250%上昇し、1枚あたり5,000ドルに達した。

問題の根幹は、中国がインジウム(Inの原料)の世界生産の約70%(米国地質調査所、2024年時点)を占めるという構造的な非対称性にある。加えて、グローバルなInP基板製造市場は、AXT(世界シェア約35%)とSumitomo Electric(同約40%)の2社で約80%を占め、JX金属が残り約10%を持つ寡占構造だ。このうちAXTは中国で基板の大部分を製造しており、輸出許可の取得が最大の経営課題となっている。

AXTは2026年5月、「InP輸出許可は現在直面している最も重大な課題だ」と公式に表明した。中国子会社が最初の輸出許可を受領したのは2025年6月が初めてで、現在も大量のバックオーダーを抱えている。SemiAnalysisのアナリスト、Konrad Wangは「規制の影響は光学サプライチェーン全体に波及している」と述べ、実際にVPECやLandMark Optoelectronicsといった台湾の光製品メーカーもAXTの許可遅延に起因するInP基板不足に直面している。

Lumentumは生産量を4倍に拡大してもなお2028年まで完売状態が続いており、供給不足がいかに構造的であるかを示している。

この状況はNVIDIAの投資先であるCoherentにも直撃した。2026年5月の決算説明会でInP不足への懸念を表明したCoherentのCEO Jim Andersonは、その1週間後にトランプ大統領の訪中代表団に同行し、輸出許可の問題を中国当局と直接交渉した。InP問題は今や企業レベルを超え、米中外交の議題にまで浮上している。

Albright Stonebridge Groupのパートナー、Paul Triolo氏はこの状況を次のように分析する。「北京は、完成品の光製品を一括遮断するのではなく、光モジュールのエコシステムが需要に対応できるスケールに達するかどうかを左右する上流の化合物、基板、金属の輸出を遅延・条件付けすることができる、より細粒度の『材料チョークポイント』ツールキットを構築している」。これは、レアアース輸出規制の変形であり、より外科的な対中貿易手段といえる。

JX金属が打つ史上最大の賭け

こうした需要急増と供給制約を受け、JX金属が動いた。2026年6月16日、同社は2030年度までに最大1,200億円を投資し、InP基板の生産能力を最大10倍(2025年度比)に拡大する方針を決定した。これは同社史上最大規模の設備投資となる。

具体的には、従来の磯原事業所(茨城県北茨城市)に加え、ひたちなか地区(茨城県ひたちなか市)に新たな生産拠点を設立する。また今回の決定に先立ち、同社は2025年7月・10月・2026年2月の計3回、総額約250億円の増産投資を既に承認しており、過去の投資分を合算した累計投資額は約1,500億円規模に達する見通しだ。

資金調達にはコンバーティブルボンド(転換社債型新株予約権付社債)の調達資金の一部を充当する計画で、財務的な裏付けも明確にしている。同社はInPを、既存の主力製品である半導体スパッタリングターゲットと並ぶ「収益の柱」に育て上げる意向を示しており、長期ビジョン「JX金属 Group Long-Term Vision 2040」の核心施策として位置づけている。

JX金属が1980年代からInP基板を製造してきた実績を持つ点も重要だ。長年の製造ノウハウと品質への信頼がなければ、CoherentやLumentumのような顧客企業が新サプライヤーへの切り替えを検討するのは難しい。光学部品業界では新たなサプライヤーへの移行に数年単位の認定サイクルが必要であり、既存関係の維持はそのまま競争優位に直結する。

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Tower SemiconductorとIQEの提携が示す川下の対応

サプライチェーンの再構築は川上だけではない。川下でも手が打たれている。2026年6月15日、半導体ファウンドリのTower Semiconductor(TSEM)はエピウェハーメーカーのIQEと多年契約を締結し、InPエピウェハーの安定調達を確保したと発表した。

この提携の核心は、200 Gb/秒/レーン対応のプラガブルトランシーバー、および次世代400 Gb/レーンモジュレーターのプロトタイプ開発に向けた高速データ伝送技術の共同研究にある。さらに、データセンター向けの光回路スイッチへの応用も視野に入れている。市場規模約290億ドル(時価総額)のTowerが長期契約によって原材料調達を固定化した判断は、サプライチェーンのボラティリティをリスクとして正面から評価したものだ。

LandMark Optoelectronicsも同様に、2026年4月にSumitomo Electricとの長期InP供給契約に署名している。中国依存のリスクが顕在化した今、非中国系サプライヤーを起点にした長期契約モデルが業界スタンダードとなりつつある。

中国国内メーカーの台頭と「双方向ゲーム」の複雑さ

中国の輸出規制は、AXTやCoherentを苦しめる一方で、中国国内のInP基板メーカーに好機をもたらした。雲南緑科の雲南ゲルマニウム(Yunnan Germanium)は2026年4月、1億8,900万元(約2,800万ドル)を投じて年産45万枚体制への拡張を発表した。2025年度のInPウェハー出荷量は前年比74%増と急伸している。広東仙道(Guangdong Xiandao)も子会社を通じて年産40トン規模のInPクリスタル生産ラインへの投資を開始した。

ただし、中国内メーカーが海外市場へ大量出荷できる見通しは現時点で乏しい。ある大手中国InPメーカーの関係者は「当面は国内市場に集中する。政府がAXTなどの中国系企業を優遇して輸出を認めるという根拠は今のところない」と述べており、輸出許可の枠組みが国内メーカーに有利に設計される保証はない。

さらに、AXTやCoherentのような企業が中国国内メーカーへの切り替えを容易に進められない事情がある。サプライヤーの変更には長期にわたる品質認定プロセスが必要で、一度確立したサプライチェーンを変えるコストと時間は膨大だ。中国政府が輸出規制の運用で持つ裁量は、単なる「禁止」を超えた複雑な圧力として働く。

一方でSumitomo Electricは、自社のInP基板生産量の多くを内部消費しており、Reuters筋によれば「グローバル市場全体として供給不足の状態が続いている」という。日本国内の生産拠点が中国規制の影響を受けない点は強みだが、出荷可能量そのものが限られている。

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サプライチェーン地政学の新局面

今回のInP問題が提示するのは、AI時代における「素材の地政学」という新しい競争軸だ。レアアースをめぐる過去の教訓を踏まえ、米国・日本・欧州の企業と政府は上流素材の確保を安全保障上の問題として扱い始めている。

実際、InP輸出規制の問題は、ソウルでの米中通商交渉においてトップレベルで議論されたことが複数の米国政府関係者の証言で確認されている。Coherent CEOの訪中は、企業が国家の外交チャネルを活用せざるを得ない局面に至っていることを示す。

JX金属の1,200億円投資は、そうした地政学的文脈の中で読まれるべきだ。茨城県内の新拠点は中国規制の影響を受けず、長年の製造実績に裏打ちされた供給安定性を提供できる。2030年度までに生産能力を最大10倍にするという計画が実現すれば、現在約10%の世界シェアから大幅な上昇が見込まれ、NTTのIOWNやNVIDIAのCPO戦略に連動する形でグローバル光通信インフラの基盤素材として不可欠な存在となりうる。

ただし、計画通りの立ち上げには多くの変数が残る。新工場の建設から量産立ち上げまでに通常2〜3年を要するとされる中、2030年度という目標期日に対して余裕はさほど大きくない。また、顧客との価格改定交渉も並行して進める予定であり、値上げ交渉が需要を抑制するリスクも考慮が必要だ。

光通信がAIの基幹インフラとして位置づけられる時代において、その素材を誰がどこでどれだけ作れるかという問いは、テクノロジー企業の競争力と国家の産業政策の両方に直結している。InPをめぐる争奪戦は素材不足の次元を超え、AI時代のサプライチェーン安全保障の実戦演習となっている。