MPEG-4 Part 2に対応したコーデックをディストリビューションの標準リポジトリへ含めるべきか、開発者たちは長年判断に迷ってきた。権利者から使用料を請求される可能性が完全には否定できない状態が、実装判断に影を落としてきたからだ。主要国の特許はとうに失効していたが、ブラジルにだけ1件、2026年7月19日まで生き延びていた特許があった。保有者はSiemens AGで、規格の成立から26年目に消えたこの1件は、技術が古びたことが理由ではない。ブラジル特許法に潜んでいたある特則が、この1件だけを制度の隙間に取り残していた。
DivXとXvidを支えた規格、26年目の完全消滅
2026年7月19日、Moving Picture Experts Group(動画・音声圧縮の国際標準化団体)が策定したMPEG-4 Part 2(Visual)規格に紐づく世界最後の有効特許が失効した。特許はブラジルで登録されたBRPI0109962B1、名称は「連続画像からの画像情報の保存・処理プロセス」で、保有者はドイツのSiemens AGだ。Google Patentsの一次データによれば、この特許こそが全世界で唯一有効なまま残っていた最後の1件であり、失効と同時にMPEG-4 Part 2は特許面で完全にフリーな規格になった。
MPEG-4 Part 2は2000年前後に策定された動画圧縮規格で、DivXとXvidという2つの実装が2000年代の動画共有文化を支えた。DVDリッピングした映画をCD-R数枚分のサイズに収め、掲示板やファイル共有ソフトでやり取りする——そんな光景の裏側で動いていたのがこのコーデックだ。規格の成立から数えると26年、後継のH.264やHEVC、AV1に主流の座を譲ってから久しい規格の特許が、ここへきてようやく消えた形になる。
この規格が現役だった2000年代なかばは、ブロードバンド回線も動画配信サービスもまだ発展途上だった。DivXやXvidは比較的軽い処理で高い圧縮率を出せたため、個人のPCでもエンコードとデコードが現実的な速度で回り、動画ファイルを小さくして共有するという当時のニーズに合致した。ストリーミング配信が主流になる前の時代を象徴するコーデックである。
このコーデックの特許群は長らくVIA Licensing Allianceという団体がまとめて管理してきた。複数の特許権者の権利をひとつの窓口でライセンスする仕組みは特許プールと呼ばれ、実装側は個々の権利者と個別交渉する手間を省ける代わりに、プール全体へ使用料を支払う形が一般的だ。ただしVIA Licensing Allianceはあくまで管理団体であり、個々の特許の権利者そのものではない。今回失効した最後の1件の権利者はSiemens AGであって、「VIA Licensing Allianceの特許が切れた」という理解は正確ではない。
なぜブラジルの1件だけが10年独り歩きしたか
この特許の成立日は2016年7月19日、そこから10年後の2026年7月19日に失効した。特許の存続期間は通常、出願から20年で計算される。ところがブラジル特許法には、成立日を起点に最低10年間の独占期間を保証する特則があり、この特許はその特則の適用を受けていた。出願から成立まで15年以上を要した案件では、出願日基準の20年よりも成立日基準の10年保証のほうが長い期限を与えることになり、特則が実質的な満了日を決めることになる。たとえば出願から18年かかって成立した案件なら、出願日基準では残り2年しか独占できない計算になるところを、成立日基準の10年保証によって実質8年分の権利期間が上乗せされる。
この規定の狙いは、審査の遅れによって出願人が実質的な独占期間を失うことを防ぐ点にある。出願から20年しか保証しない制度では、審査に15年かかった案件は残り5年しか独占できない計算になってしまう。成立日から10年を最低保証する特則は、そうした審査の遅延を出願人側の不利益にしないための仕組みだが、結果として審査が長引いた案件ほど満了日が後ろへ延びるという副作用を伴う。
実際、報道によれば欧州(独仏英)の対応特許は2021年4月9日に、米国の対応特許群は2018年1月、2022年3月、2023年11月14日(最後はDolbyが保有する分)と段階的に失効していたとされる。つまりブラジル以外の主要市場では、遅くとも2023年内にMPEG-4 Part 2の特許はすべて消えていたことになる。それから2年8か月ものあいだ、ブラジルのこの1件だけが制度の隙間で生き残っていた。
他の主要国が出願日基準で粛々と満了を迎えるなか、ブラジルだけが成立の遅れをそのまま延命に転化する規定を持っていたために、たった1件の特許が世界の特許フリー化を2年以上遅らせた。実務への影響はほぼないとする既報の論点は、この制度的な経緯には触れていない。
MP3(2017年)からMPEG-4(2026年)、H.264(2027年試算)への系譜
音声圧縮規格MP3の欧州特許は2012年に失効したが、米国側の権利はしばらく残り、権利者だったFraunhofer IISとTechnicolorが正式にライセンスプログラムを終了したのは2017年4月23日だった。その時点でMP3はすでにAACなどに主役の座を譲っており、無料化はいわば追認に近い出来事だったが、以後は組み込み機器やオープンソースソフトウェアでの採用がいっそう広がる後押しになった。
MP3のライセンス終了(2017年)からMPEG-4 Part 2の完全失効(2026年)までは9年の開きがある。両者に共通するのは、規格が現役の主流から退いたずっと後になって特許が切れるという順序だ。MP3も複数の権利者による共同ライセンス体制だった点はMPEG-4 Part 2と共通しており、いずれも管理団体解体後にようやくコーデックが名実ともにロイヤリティフリーになるという同じ道筋をたどった。MP3(2017年)、MPEG-4 Part 2(2026年)、H.264(2027年試算)と並べると、大型コーデックの特許がおよそ10年おきに順番へ着地していく格好になる。
H.264(MPEG-4 Part 10)の主要な米国特許は、2027年11月29日ごろに失効するとの試算がある。この時期が正しければ、MPEG-4 Part 2が完全失効した2026年7月から数えて1年4か月ほど後になる計算だ。今回失効したのはPart 2のみで、H.264を含むPart 10は別規格であり、権利は依然として有効なまま残っている。
実務への影響は限定的、それでも日本の開発者に残る意味
今回の失効が実装済みのソフトウェアに与える影響は限定的だ。VLCやFFmpegといった主要なオープンソースのメディアツールは、特許の有無にかかわらずすでにMPEG-4 Part 2への対応を済ませている。画質や速度が向上するわけでもない。コードの実装自体はここ十数年ほとんど変わっておらず、今回変わるのはライセンス上の位置づけだけだ。
使用料の請求元も訴訟のリスクも、制度の上ではもう存在しない。違法状態ではないとしても、権利者から使用料を請求される可能性が完全には否定できないという状態が、これまで開発判断に影を落としてきた。この種の法的リスクは、コーデックを標準リポジトリに含めるか任意インストールの扱いに留めるかを左右する材料になってきた。特許が特定の国でだけ生きている状態は、グローバルに配布するソフトウェアにとって「どこまでなら安全か」を判断しにくくする厄介な要因でもあった。ブラジルの1件が最後まで残っていたこと自体が、この判断をより難しくしていた面もある。
得をするのはFFmpeg、GStreamer、VLC、Xvidといったオープンソース側と、組み込み機器メーカーになる。これまでライセンス費用の支払いや法的リスクの回避を理由にMPEG-4 Part 2の実装を避けてきた場合、その理由が形式的になくなる。組み込み機器メーカーにとっては、新型番にデコード機能を追加する際、ロイヤリティ計算やライセンス条項の確認という手続きが一つ減ることになる。
一方で損をするのはVIA Licensing Allianceで、管理団体としての手数料収入の根拠を失う。もっとも元のライセンサー各社は、主要市場では数年前にすでに収入源を失っていたため、今回の実質的な打撃は小さいとみられる。なお、このプールが実際にどれほどのロイヤリティ収入を集めていたか、ブラジル国内での徴収や訴訟がどの程度あったかは、今回参照した報道のいずれも触れていない。
報道によれば、このライセンスプールにはキヤノン、LG、Microsoft、パナソニック、ソニー、東芝など30社以上が名を連ねていたとされる。事実であれば日本企業も複数含まれていたことになるが、この数字は単独の報道にとどまる。DivXとXvidは2000年代の日本でDVDリッピングや動画共有を支えたコーデックでもあり、その最後の特許が消えたことは、当時を知る国内の開発者やユーザーにとって一つの区切りといえる。
MPEG-4 Part 2を最後まで生かしていたのは技術ではなく、ブラジル一国の特許法が刻む成立日起算の計算式だった。次に期限を迎えるのはH.264で、2027年11月ごろに主要な米国特許が切れるとの試算がある。
