私たちの現実は、高度に進化した文明によって作られた精巧なコンピューターシミュレーションかもしれない――長年、SFの世界だけでなく、一部の哲学者や科学者の間でも真剣に議論されてきた「シミュレーション仮説」。この魅力的かつ根源的な問いに、イタリアの物理学者が待ったをかけた。彼の最新研究は、少なくとも「我々の知る物理法則下では」現実をシミュレーションで再現するのは物理的に不可能だと結論付けている。果たして、この発表はシミュレーション仮説の終焉を意味するのだろうか?
シミュレーション仮説に冷や水?Vazza論文の核心
議論の的となっているのは、イタリア・ボローニャ大学の天体物理学者Franco Vazza准教授が学術誌『Frontiers in Physics』に2025年4月17日付で発表した論文「Astrophysical constraints on the simulation hypothesis for this Universe: why it is (nearly) impossible that we live in a simulation」である。 Vazza氏の研究は、シミュレーション仮説を「情報とエネルギー」という物理学の基本原則に立ち返って検証しようと試みたものである。
情報とエネルギーの壁:なぜ「不可能」なのか
Vazza氏の論証の根幹には、「情報は物理的である」というLandauerの原理がある。情報を処理(生成・消去)するには、エネルギーが必要となる。特に、シミュレーションにおいては膨大な情報の書き換えが絶えず行われるため、そのエネルギーコストは無視できない。
さらに、宇宙に存在しうる情報量には上限があるとする「ホログラフィック原理」や、システムの最大エントロピー(情報量と等価)とエネルギーを結びつける「ベッケンシュタイン境界」といった物理法則を援用。これらを踏まえ、Vazza氏は、我々の宇宙(あるいはその一部)をシミュレートするために必要な情報量と、それを処理・保存するために必要なエネルギー量を試算した。
宇宙、地球、そして低解像度モデル…全滅?
Vazza氏は、具体的に以下の3つのケースについて、シミュレーションの物理的な実現可能性を検討した。
- 観測可能な宇宙全体の完全なシミュレーション:
宇宙全体をプランクスケール(物理学的に意味のある最小スケール)でシミュレートする場合。結論として、これには「想像を超える」エネルギーが必要であり、観測可能な宇宙に存在する全エネルギーを投入しても全く足りないとされる。 - 地球全体の完全なシミュレーション:
範囲を地球に限定し、同様にプランクスケールでシミュレートする場合。それでも、地球のシミュレーションを開始するだけで、典型的な球状星団の全恒星質量をエネルギーに変換するか、天の川銀河の全恒星と物質要素を解放するのに必要なエネルギーと同等のエネルギーが必要になると試算。 さらに、シミュレーションの各タイムステップで同程度のエネルギーを消費し続けるため、これもまた非現実的だと結論付けている。 - 人間が観測可能な範囲に限定した「低解像度」の地球シミュレーション:
人間の実験や観測によって探求されるスケールのみをシミュレートし、それ以下の微細な部分は必要に応じて「サブグリッド」物理で補うという、より現実的なアプローチ。Vazza氏は、ニュートリノ検出の観測結果と矛盾しないようにするためには、シミュレーターが少なくともそのレベルの詳細さでシミュレートする必要があると考えた。
この場合、シミュレーション開始に必要なエネルギーは太陽が約2分間で放射するエネルギー程度と、先の2ケースに比べれば大幅に小さくなる。しかし、シミュレーションから有用な情報を取り出す(つまり、シミュレーションを進める)ためには、やはり膨大な計算能力とエネルギーが必要となり、「可視宇宙内の全銀河の全恒星」のエネルギーに匹敵すると試算。これもまた不可能だと結論付けている。
これらの検討に基づき、Vazza氏は「この研究で検証された全ての妥当なアプローチ(私たちが人間として経験する現実の少なくとも一部を再現するため)は、ありえないほど大量のエネルギーまたは計算能力へのアクセスを必要とする」とし、「私たちの現実が、未来の子孫、機械、あるいは私たち(が生きていると思っている)と全く同じ宇宙にいる他の知的生命体によって生成されたシミュレーションであるという『マトリックス』シナリオの不可能性を決定的に示すものと確信している」と述べている。
重要なのは、Vazza氏の結論が「我々の宇宙と全く同じ、あるいは非常によく似た物理法則を持つ宇宙」からのシミュレーションを対象としている点だ。物理法則が根本的に異なる「親宇宙」からのシミュレーションの可能性については、この論文では否定されていない。

誤解か、それとも新たな視点か? シミュレーション仮説の「真の姿」
Vazza博士の論文は、シミュレーション仮説に一石を投じるものであり、その物理的制約を定量的に示した点で大きな意義がある。しかし、その結論に対しては、シミュレーション仮説の提唱者が元々持っていた重要なニュアンスや、より広範な「シミュレーション宇宙」の概念を誤解している、あるいは意図的に単純化しているのではないか、という批判も上がっている。
Bostromの「祖先シミュレーション」の核心
シミュレーション仮説の現代における最も影響力のある提唱者である哲学者Nick Bostrom氏は、2003年の論文「Are You Living In a Computer Simulation?」で、その核心を明確に述べている。Bostrom氏は、全宇宙を量子レベルまで完全にシミュレートすることは現実的ではないことを既に認識しており、その代わりに「人間の主観的経験」を忠実に再現することに焦点を当てていた。
彼は、「人間の経験の現実的なシミュレーションを得るためには、シミュレートされた人間が、そのシミュレートされた環境と通常の人間の方法で相互作用する際に、不規則性を感知しないようにするために必要なものだけをシミュレートすればよい」と主張している。つまり、地球の表面上の、人間が居住する領域における巨視的な物体は継続的にシミュレートされる必要があるかもしれないが、微視的な現象は「アドホックに(その都度)」埋めることで十分だとされている。私たちが深掘りして観測しようとしない限り、その詳細までシミュレートする必要はないという考え方である。
宇宙は物理法則に縛られないコンピュータか? Edward Fredkinが提起した「Other」の概念
さらに、Vazza博士の議論には、シミュレーション仮説を巡る長年の議論において重要な役割を果たしてきた「非物理的計算」の可能性が考慮されていないという指摘もある。デジタル物理学の提唱者の一人であるEdward Fredkin氏は、1990年代に「デジタル・メカニクス」と「デジタル・フィロソフィー」の概念を展開した。彼の中心的な概念である「Other(アザー)」は、古典力学、量子力学、そして意識ある生命がそこから出現する計算的な超システムであり、私たちの宇宙に対して外在的であるとされている。
Fredkin氏は、「空間に3次元を必要としない。計算は任意の数の次元の空間でうまく機能する!」「計算は保存則や対称性を必要としない。時間が私たちが知っているようなものである必要もなく、始まりと終わりも必要ない」と述べている。
より端的に言えば、「コンピュータは、1次元、2次元、3次元、7次元、あるいは次元を持たない別の宇宙で、この宇宙をシミュレートできる」とFredkin氏は主張しているのである。
これは、シミュレーションを走らせている「上位の宇宙(あるいは存在)」が、私たちの宇宙とは全く異なる物理法則や次元を持つ可能性を示唆している。もしそうであれば、Vazza博士が私たちの宇宙の物理法則に基づいて行ったエネルギー計算は、シミュレーションの「ホスト」となる環境には適用されないことになるのだ。
意識の「帯域幅」:Markus Meisterの示す驚くべき低ビットレート
シミュレーション仮説における「主観的経験のシミュレーション」という側面に焦点を当てたとき、カリフォルニア工科大学の神経科学者Markus Meister氏と大学院生Jieyu Chen氏による最近の研究は、Vazza博士の計算とは異なる、驚くべき視点を提供している。彼らの研究によれば、人間の意識が一度に処理できる情報量は、驚くべきことに毎秒わずか10ビットであると定量化されたのだ。
これは、Wi-Fi接続が毎秒5000万ビットを処理できることと比較しても極めて低い数値であり、私たちの感覚器が毎秒約10億ビットもの環境データを収集しているにもかかわらず、意識的な思考はそれに比べて1億倍も遅いことを示している。
Meister博士は、「これは非常に低い数値だ。毎瞬、私たちは感覚が取り込んでいる1兆ビットからわずか10ビットを抽出し、それを使って周囲の世界を認識し、意思決定を行っている」と述べている。
この「主観的インフレーション」と呼ばれる錯覚は、私たちが周囲の光景を鮮明で詳細に感じているにもかかわらず、実際に脳が処理している情報はごく限られているという現実を浮き彫りにする。例えば、読書中に一文字に焦点を当てると、その両隣の文字しか認識できないことや、食卓の光景を閉じた目で再現させようとすると、細部を思い出せないことなどがその例だ。
もし人間の意識の処理速度が毎秒10ビットであるならば、仮に地球上で活動している約53億人(同時刻に覚醒している人数)全員の主観的経験をシミュレートするとしても、必要とされる情報量は毎秒約6メガバイトに過ぎない。これは、Vazza博士が算出した全宇宙や地球の完全解像度シミュレーションに必要な途方もないエネルギーとは、桁違いに少ない計算量である。
もちろん、Meister博士の数値は主観的経験のシミュレーションに必要な最終的なデータ量を意味するものではないが、この研究はシミュレーション仮説の議論を、「鶏を構成するクォークの数はいくつあるのか」といった問題ではなく、「1秒間の主観的経験をシミュレートするのに何が必要か」という本来の核心に立ち返らせる上で極めて有用である。
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「シミュレーション論争」の現在地

Vazza氏の論文とそれに対する反論は、シミュレーション仮説を巡る議論の複雑さと奥深さを改めて浮き彫りにしたと言えるだろう。一見すると、Vazza氏の物理学に基づいた定量的な分析は、シミュレーション仮説、特に「我々の宇宙と同じような宇宙に住む子孫による先祖シミュレーション」という人気のあるシナリオに対して、強力な反証を提示したように見える。
しかし、Vazza氏が対象としたシミュレーションのモデルが、シミュレーション仮説の支持者が想定するモデルと必ずしも一致していない可能性は否定できない。特に、「何をどこまでシミュレートする必要があるのか」という根本的な問いに対する答えは、まだ出ていない。
証明も反証も困難な「仮説」に科学はどう挑むべきか
シミュレーション仮説は、その性質上、科学的な検証が極めて難しい。もし我々が本当にシミュレーションの中にいるのだとしたら、シミュレーションの外部にある「真の現実」を観測する手段も、シミュレーションの「コード」を解析する手段も、原理的に持ち得ないかもしれない。
それにもかかわらず、Vazza氏のように、既知の物理法則の範囲内で仮説の妥当性を検討しようとする試みは、科学的探求の一環として依然として重要だ。たとえ決定的な結論に至らなくても、そのような思考実験は、我々の物理法則に対する理解を深め、新たな問いを生み出すきっかけとなり得るからだ。
それでも人々が「シミュレーション」に惹かれる理由
この論争は、単なる科学的な好奇心を超えて、我々の存在の根源に関わる哲学的な問いを内包している。我々が見ている現実は本当に「実在」するのか、それとも巧妙に作られた「虚構」なのか。この問いは、古代ギリシャの哲学者Platoの「洞窟の比喩」から、Descartesの「欺く神」、そして現代のSF作品に至るまで、繰り返し人類の想像力を刺激してきた。
Vazza氏の論文は、この長年の問いに終止符を打つものではないだろう。しかし、この議論を通じて、我々が「現実」と呼ぶものの複雑さ、そしてそれを理解しようと試みる科学という営みの面白さを再認識することはできるはずだ。
世界はまだ謎に満ちている
Franco Vazza氏の研究は、シミュレーション仮説の特定のバージョン、すなわち「我々の宇宙と酷似した物理法則を持つ宇宙による、高忠実度なシミュレーション」に対して、物理学的な観点から重大な疑義を呈した。情報処理に必要なエネルギーという観点からのアプローチは斬新であり、今後の議論に一石を投じるものだ。
しかし、批判者たちが指摘するように、シミュレーションの目的や範囲、そして「親宇宙」の物理法則といった前提条件が変われば、その結論もまた揺らぐ可能性がある。特に、意識のシミュレーションに焦点を当てた場合や、我々の物理法則を超越したシステムからのシミュレーションを想定した場合、Vazza氏が示した制約は必ずしも適用できないかもしれない。
結局のところ、我々がシミュレーションの中にいるのかどうかを確実に知る方法は、今のところ存在しない。この問いは、科学のフロンティアであり続けるだろう。Vazza氏身も論文の最後に、「幸いなことに、最も可能性の高いシナリオ(宇宙はシミュレーションではない)であっても、物理学が調査すべき謎の数は依然として膨大であり、この魅力的なトピックを放棄したとしても、科学が少しも面白くなくなることはない」と述べている。
この言葉は、科学の探求が決して終わることのない旅であり、未知への好奇心こそがその原動力であることを、我々に改めて思い起こさせてくれるのではないだろうか。
論文
- Frontiers in Physics: Astrophysical constraints on the simulation hypothesis for this Universe: why it is (nearly) impossible that we live in a simulation
参考文献