2026年3月6日、Nintendo of America Inc.(日本の任天堂の米国現地法人。以下、任天堂)は米国政府を相手取り、連邦国際貿易裁判所(U.S. Court of International Trade)に訴状を提出した。ゲーム業界最大級の訴訟案件として、業界関係者の間に波紋が広がっている。

訴えの核心は単純明快だ。最高裁判所がすでに「違法」と断じたIEEPA(国際緊急経済権限法)に基づく関税について、任天堂が支払い済みの全額を「利息付きで」返還せよ、というものである。

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IEEPAとは何か、そして最高裁はなぜ関税を違法とみなしたか

事の発端は2025年2月1日にさかのぼる。Trump大統領は、カナダ・メキシコ・中国からの輸入品に対する関税を正当化するため、IEEPA(50 U.S.C. § 1701以下)を根拠法として援用した。その後も矢継ぎ早に大統領令を発し、中国向け関税はいったん84%、さらに125%にまで引き上げられた(2025年5月に34%へ引き下げ)。4月には「Liberation Day Tariffs」として57カ国への追加関税も課された。

これらの措置が本当にIEEPAの授権する範囲内なのか、という法的疑義はすぐに持ち上がった。2025年4月、国際貿易裁判所に提訴されると、裁判所は関税の違法性を認定。連邦巡回控訴裁も同判断を支持した。

そして2026年2月20日、最高裁判所はLearning Resources, Inc. v. Trump(No. 24-1287)において、「IEEPAが大統領に与えた『輸入を規制する』権限は、関税の賦課にまでは及ばない」と結論し、IEEPA関税を一括して違法と断じた。Trump大統領はこの判決を「異常なほど反米的だ」と批判しつつも、同日中に関税終了を命じる大統領令(Exec. Order No. 14389)に署名せざるを得なかった。

この終了令には重大な抜けがあった。すでに徴収済みの関税をどう返還するか、という手続きが一切規定されていなかったのである。

訴状が明かす「関税徴収の実態」と任天堂の法的根拠

任天堂の弁護団(Venable LLP)が提出した訴状(事件番号:1:26-cv-1540)は全14ページ。そこに記された数字が、この問題の規模を物語る。

「本訴訟は、被告らが開始・実施した違法な貿易措置に関するものであり、当該措置はこれまでにほぼすべての国からの輸入品に対して2000億ドルを超える関税の徴収をもたらした」

任天堂が訴訟当事者適格(standing)を持つ根拠として挙げるのは、同社が「輸入記録者(importer of record)」として直接関税を支払ってきた事実だ。任天堂はコンソールやアクセサリーの多くをベトナムと中国で製造しており、Trump関税の直撃を受けた。

訴状がとりわけ注目に値するのは、政府自身の過去の発言を逆手に取った論法である。過去の訴訟において政府は、「関税が最終的に違法と判断された場合、利息を含めて返還する」と法廷で明言していた。任天堂はCustoms and Border Protectionが連邦巡回控訴裁に提出した緊急差止申請の一節をそのまま引用し、「被告はこの点をすでに認めている」と論じている。政府自身の言葉が、そのまま任天堂の請求の根拠として使われている構図だ。

被告として名指しされたのは、財務長官Scott Bessent、前国土安全保障長官Kristi Noem、米国通商代表Jamieson Greer、税関・国境警備局長官Rodney Scott、商務長官Howard Lutnickと、関税行政に携わった政府機関の長官クラスが総出で並ぶ。

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Switch 2発売と関税発表が「同日」に重なった皮肉

この訴訟が特殊な文脈を持つのは、任天堂の事業タイミングと関税政策のぶつかり合いが、ゲーム業界で稀に見るほど鮮烈だったからだ。

2025年4月2日、Trump大統領が「Liberation Day」と銘打った大規模関税発表を行ったその日、任天堂は同時にNintendo Switch 2の詳細(価格449.99ドル、発売日2025年6月5日、予約開始4月9日)を公表した。数時間後、任天堂は予約受付を無期限延期すると発表した。「関税の潜在的影響と変化する市場環境を評価するため」という理由だった。

コンソール本体の価格は据え置いたものの、アクセサリー類は値上げを余儀なくされた。ベトナム製の在庫を優先的に米国向けに振り向けるという調達戦略も取られたが、それでも関税分のコストを完全には吸収できなかった。任天堂はすでにTrump第一期政権時代に中国からベトナムへの生産移管を進めていた。それでも追いつかなかったという現実が、この訴訟の背景にある。

「返金システムは45日後に稼働見込み」という政府の苦しい立場

最高裁判決から2週間が経った今も、企業への返金は一切始まっていない。

2026年3月5日、Judge Richard Eatonは企業が関税の返還を受ける権利があると認定した。しかし翌3月6日、任天堂が訴状を提出したその日、Customs and Border Protectionは「現時点では返還命令に応じることができない」と裁判所に報告した。返還システムが稼働可能になるのは45日後の見込みだとWall Street Journalは伝えている。

CBPがこの日までに徴収した関税総額は1660億ドル。この数字だけでも、返還問題が政府にとって財政的に無視できない規模であることは明らかだ。

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なぜ今、任天堂が「先陣を切った」のか

1000社以上がすでに類似の訴訟を起こしている中で、任天堂がこのタイミングとスピードでUCIT(国際貿易裁判所)に提訴したことには、複数の合理的な背景が見える。

第一に、訴訟の法的地盤がこれ以上ないほど固まっていた。最高裁判決という確定した先例があり、政府自身が返還義務を過去の法廷で認めていた。法的リスクが極めて低い状態で、返還要求を確定させる機会が整っていたのである。

第二に、財務的インセンティブは小さくない。Nintendo Switch 2の発売前後という収益的に最も重要な時期に、関税コストが直撃していた。アクセサリー価格の値上げで一部は消費者に転嫁したとはいえ、直接支払った関税の返還は純粋な財務的メリットをもたらす。

第三に、先例を作るという戦略的意義がある。訴状提出と同日、FedExも同裁判所に「全額返還」を求める訴訟を起こした(FedExは顧客への返還も約束している)。CostcoやFedExも含め、訴訟が集積するほど、返還実現の政治的圧力は高まる。

最高裁判決後に「15%関税」で再び対立が始まった

訴訟の解決が長期化する可能性を示すのが、Trump政権の最高裁判決への対応だ。最高裁がIEEPA関税を違法と断じた翌日、Trump大統領は1974年貿易法第122条を根拠として、多くの輸入品に対する15%の新たな関税を課す大統領令に署名した。これに対し24の州が新たな訴訟を提起しており、関税をめぐる法廷闘争は別の戦線で続いている。

この状況は、返還を求める任天堂をはじめとした企業にとって複雑なシグナルを発している。過去の支払い分については最高裁の判断が後ろ盾となるが、今後の調達コストについては、新たな関税がどのような法的評価を受けるかによって左右される。

任天堂が訴状において求める救済は多層的だ。IEEPA関税を「当初から無効」と宣言すること、今後の追加徴収の差止め、清算済み・未清算両方の輸入品に関する再清算、そして支払い済み関税の「利息付き即時返還」、もしくは同額の金銭判決である。

任天堂自身のコメントは簡潔だった。「訴状を提出したことは確認できる。それ以上に共有できる情報はない」。法廷戦略の観点から見れば、これは至極合理的な沈黙だ。

ゲーム産業と貿易政策の交差点で起きていること

今回の訴訟が示す本質的な問いは、「ゲーム企業がなぜ連邦政府を相手に国際貿易法廷に立つのか」ではなく、むしろ「なぜそうせざるを得ない状況が生まれたのか」である。

ゲームコンソールのサプライチェーンは本質的に国際分業に依存している。半導体はTSMCやSamsungが製造し、組み立ては中国・ベトナムの工場が担い、最終製品が米国市場に渡る。この構造を前提として設計されたビジネスモデルに、IEEPA関税は製造コストの急激な上昇という形で直撃した。Nintendo Switch 2のアクセサリー値上げは、その皺寄せが消費者に及んだ一端にすぎない。

連邦政府が1660億ドルを超える関税を徴収しながら「返還システムがまだない」と言い訳する状況は、法的手続きなしには企業が自発的な返還を期待できないことを意味する。その文脈において、任天堂の提訴は訴訟戦略であると同時に、製造業の空洞化とグローバルサプライチェーンの脆弱性を浮かび上がらせる経営判断でもある。

Trump政権が次の一手として打った15%関税と、それに対する24州の反訴。この法廷闘争の連鎖は、単発の訴訟にとどまらない、米国の通商法制の根幹をめぐる争いへと拡大しつつある。任天堂の訴状番号1:26-cv-1540は、その争いの一部として長く参照されることになるだろう。


Sources