日本の半導体復権を託された国家プロジェクト、Rapidus株式会社が、次世代2nmプロセスの設計基盤を巡り、独Siemensと歴史的な協業を発表した。表面的には、新興ファウンドリがEDA(電子設計自動化)ツール大手の支援を得るという、ごく自然な動きに見えるかもしれない。しかし、これは、台湾TSMCと韓国Samsung Electronicsという二大巨頭が支配する半導体業界のゲームのルールを根底から変えようとする、Rapidusの野心的な「ゲームプラン」の核心であり、その成否を占う極めて重要な布石と見られる。
「設計と製造の壁」を壊すMFD構想の核心
今回の協業の核心を理解するには、Rapidusが掲げる二つのキーワード、「MFD(Manufacturing For Design)」と「DMCO(Design-Manufacturing Co-Optimization)」を読み解く必要がある。これらはそれぞれ「設計のための製造」「設計と製造の共同最適化」を意味し、従来の半導体業界の常識であった「設計(ファブレス企業)」と「製造(ファウンドリ)」の分業体制に一石を投じる概念だ。
発表によれば、Rapidusはシーメンスデジタルインダストリーズソフトウェア (Siemens Digital Industries Software) が提供する業界標準の検証ソリューション「Calibre®プラットフォーム」を基盤に、2nm世代以降のPDK(Process Design Kit)を共同開発する。
PDKとは、いわば特定の製造プロセスで半導体を設計するための「設計ルールブック兼部品カタログ」だ。設計者はこのPDKをEDAツールに読み込ませることで、その工場で製造可能な半導体チップを効率的に設計できる。つまり、PDKは設計の世界と製造の世界を繋ぐ、極めて重要な架け橋なのである。
Rapidusの狙いは、この架け橋を、単なる一方通行の橋ではなく、双方向の高速道路にすることにある。従来のモデルでは、ファウンドリがPDKを提供し、設計者はそれに従って設計する。しかし、製造段階で問題(特に歩留まりの低さ)が発覚しても、設計に手戻りするには膨大な時間とコストがかかった。
RapidusのMFD/DMCO構想は、この分断を乗り越える。設計の初期段階から製造のしやすさを徹底的に織り込み、シミュレーションを通じて問題を事前に潰し込む。これにより、顧客が設計した製品は、製造の初期段階から高い歩留まりを達成し、開発期間(TAT: Turn Around Time)を劇的に短縮できる、とRapidusの小池淳義CEOは語る。
この野心的な構想を実現するために、Siemensとの協業は不可欠だった。なぜなら、SiemensのCalibreは、設計した回路が物理的な製造ルールに違反していないかを検証する「物理検証」の領域で、業界のデファクトスタンダードとして君臨しているからだ。世界中の設計者が慣れ親しんだこのプラットフォームを核に据えることで、Rapidusは顧客にとっての参入障壁を下げ、自社のエコシステムへの参加を促すことができる。
なぜSiemensなのか?業界標準を握るエコシステム戦略
後発であるRapidusが巨大な先行者たちに伍していくためには、技術力だけでなく、巧みな「エコシステム戦略」が求められる。今回の提携は、その戦略の巧みさを如実に示している。
半導体業界において、EDAツールは単なるソフトウェアではない。それは、設計思想そのものを規定し、エンジニアの働き方を方向づける「インフラ」である。TSMCやSamsungが築き上げてきた強さの源泉の一つは、彼らの製造プロセスに最適化された広範なIP(設計資産)と、それを支える巨大な設計エコシステムにある。
Rapidusは、このエコシステムをゼロから構築しなければならない。その第一歩として、物理検証の「共通言語」とも言えるSiemensのCalibreを選んだのは、極めて合理的だ。さらに、両社はPDK開発に留まらず、前工程から後工程までの設計・検証・製造フローを統合的に支える「リファレンスフロー」の構築にも取り組む。
これは、顧客に対して「我々の工場を使えば、このリファレンスフローに沿うことで、これだけの短期間で、これだけの品質のチップが作れます」という具体的な道筋を示すものだ。顧客は、手探りで設計を進める必要がなくなり、開発リスクを大幅に低減できる。小池CEOが「リファレンスフローの形でオープンに展開し、業界全体の活用を促進していく」と述べているように、これはRapidusのエコシステムをオープンにすることで、多くのパートナーを惹きつけようという明確な戦略的意図の表れだと考えられる。
巨人が犇めく2nm戦線 – Rapidusの勝ち筋はどこにあるか
しかし、Rapidusが挑む2nmプロセスの世界は、生易しい戦場ではない。ここで、視点を世界に転じてみよう。そこでは、まさにこの最先端ノードにおけるTSMCとSamsungの熾烈な競争が繰り広げられている。
長年2番手に甘んじているSamsungはTSMCを出し抜いて、米国テキサス州のテイラー工場で2026年第1四半期にも2nmチップの量産を開始することを目指しているという。これは、最先端半導体のサプライチェーンを自国内に確保したい米国政府の意向とも合致する動きだ。
この競争で鍵を握るのが、「歩留まり(Yield Rate)」である。だが、これまでの報道では、TSMCの2nmプロセスの歩留まりが約60%であるのに対し、Samsungは約40%に留まるとされている。Samsungは、次世代トランジスタ構造であるGAA(Gate-All-Around)をTSMCに先駆けて3nmプロセスで導入したが、その歩留まりの改善には今なお苦戦していると見られている。
この事実は、Rapidusにとって他山の石ではない。Rapidusが目指す2nmプロセスも、このGAA構造を採用する。技術的なハードルが極めて高く、先行するSamsungでさえ苦しんでいる歩留まりの問題を、Rapidusはいかにして克服するのか。
ここに、今回のSiemensとの協業の真の価値が浮かび上がる。RapidusがMFD/DMCO構想を声高に叫ぶのは、この「歩留まり」という最大の難関を、設計と製造の緊密な連携、つまり「共同最適化」というアプローチで正面から突破しようとしているからに他ならない。それは、技術力で先行する巨人たちに対して、ビジネスプロセスの革新で対抗しようとする挑戦的な戦略と言えるだろう。
TSMCが圧倒的な製造能力とコスト競争力で市場を支配し、Samsungがメモリとロジックの両方を手掛ける垂直統合モデルで追撃する中、Rapidusが狙うのは「多品種少量生産」かつ「超短TAT」という、これまで巨人たちが不得手としてきたニッチな市場だ。AIや自動運転など、特定の用途に特化した高性能チップを、圧倒的なスピードで市場に投入したいと考える顧客にとって、Rapidusの提案は魅力的に映る可能性がある。
今回の協業は、そのための具体的な「武器」をSiemensと共に作り上げるという宣言なのだ。それは単なる工場建設というハードウェアの話ではなく、日本の半導体産業が再び世界で戦うための、設計思想、ビジネスモデルというソフトウェアを含めた、壮大な挑戦の始まりを告げていることは確かだろう。
Sources
- Rapidus: Rapidus、シーメンスと2nm半導体設計に向け協業を開始