かつて「35ドルの革命」として教育現場やホビーユーザーを熱狂させたRaspberry Piが、そのアイデンティティを揺るがす大きな転換点を迎えている。2026年2月、Raspberry Pi財団は、主力のRaspberry Pi 5およびRaspberry Pi 4を含む主要モデルの再値上げを断行した。

特に注目すべきは、最上位モデルであるRaspberry Pi 5の16GB版だ。今回の改定により、その価格は205ドルにまで跳ね上がった。これはわずか2ヶ月前の145ドルから60ドルの引き上げであり、発売当初のMSRP(希望小売価格)である120ドルと比較すると、実に70%以上もの価格高騰となる。

この異常事態の背後にあるのは、世界中を席巻している「AIインフラ」への狂騒的な投資と、それに伴うメモリ供給の逼迫であることは、最早言うまでもないだろう。

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2ヶ月で2度の値上げという異例の事態

Raspberry Piの共同創設者兼CEOであるEben Upton氏は、公式ブログの中で「メモリ主導の価格上昇」という苦渋の決断を明らかにした。驚くべきは、その価格改定の頻度だ。2025年12月にもメモリコストの上昇を理由に5ドルから25ドルの値上げを行ったばかりであり、そこからわずか2ヶ月という短期間で、さらなる、しかもより大幅な値上げを余儀なくされたのである。

今回の改定における各メモリ密度別の価格上昇幅は以下の通りだ。

  • 1GBモデル: 変更なし
  • 2GBモデル: 10ドル増
  • 4GBモデル: 15ドル増
  • 8GBモデル: 30ドル増
  • 16GBモデル: 60ドル増

この結果、2026年2月時点での主要モデルの価格体系は、かつての「安価なシングルボードコンピューター」というイメージからは大きく乖離したものとなっている。

主要モデルの価格推移(USD)

モデルオリジナル価格2025年12月価格2026年2月新価格
Raspberry Pi 5 (16GB)$120$145$205
Raspberry Pi 5 (8GB)$80$95$125
Raspberry Pi 5 (4GB)$60$70$85
Raspberry Pi 5 (2GB)$50$55$65
Raspberry Pi 5 (1GB)$45$45
Raspberry Pi 4 (8GB)$75$85$115
Raspberry Pi 4 (4GB)$55$60$75
Raspberry Pi 500+ (16GB)$180$180$259

特にRaspberry Pi 500+(16GB)に至っては259ドルという価格に達しており、もはやエントリークラスのx86ミニPCと真っ向から競合する価格帯に突入している。

AIが飲み込むLPDDR4サプライチェーンの深層

なぜ、これほどまでの値上げが必要だったのか。Eben Upton氏は、その理由をAIデータセンター需要による「LPDDR4メモリのコスト増騰」に求めている。

現在、半導体メーカー各社は、空前のAIブームに対応するため、データセンター向けの高性能なチップやメモリの生産に全力を注いでいる。この影響で、汎用的なメモリの製造ライン(ファブの生産能力)がAI向けインフラ製品に優先的に割り当てられ、結果としてLPDDR4のような既存のメモリ供給が極端に絞られているのだ。

市場全体の状況を見れば、この影響はRaspberry Piだけに留まらない。標準的な32GBのDDR5メモリキットは、2026年に入ってから300%以上の価格上昇を記録しているという報告もある。PCメーカーのFrameworkや、GPU大手のNVIDIAなどのパートナー企業であるZotacも、メモリ価格の高騰が経営や製品供給に及ぼすリスクについて警鐘を鳴らしている。

Raspberry Piにとって不幸だったのは、製品の「要」であるメモリの調達コストが、この四半期だけで2倍以上に膨れ上がったことだ。利益率の低い教育用ハードウェアというビジネスモデルにおいて、このコスト増を内部で吸収することは不可能であり、消費者に転嫁せざるを得なかったのが実情だろう。

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戦略的維持:1GBモデルと「レガシー資産」の活用

一方で、Raspberry Pi財団は、ブランドの生命線である「低価格な入り口」を死守しようとする姿勢も見せている。

2025年12月に投入されたばかりのRaspberry Pi 5の1GBモデルは、45ドルの価格が据え置かれた。1GBというメモリ容量は、デスクトップPCとしての代替用途には心許ないが、組込みシステムや特定の軽量なプロジェクトには十分機能する。財団は、このモデルを維持することで、エコシステムへの参入障壁が完全に崩壊することを防いでいる。

また、Raspberry Pi 3やRaspberry Pi Zero、Zero 2W、さらにはキーボード一体型のRaspberry Pi 400といった旧世代、あるいは特定のモデルについても、今回の価格改定の対象から外れている。

これらのモデルが価格を維持できている背景には、巧妙な在庫管理戦略がある。これらの製品は、より古い世代のLPDDR2メモリを使用しており、Raspberry Pi財団は数年分に相当するLPDDR2の在庫を確保しているのだ。最先端のAI需要に直接さらされていない「旧世代のパーツ」が、皮肉にも現在の価格高騰局面において強力な防護壁として機能している。

産業界とホビーユーザーに与える影響

今回の価格高騰は、Raspberry Piを巡る市場構造を根本から変える可能性がある。

第一に、産業用ユーザーへの影響だ。Raspberry PiのCompute Module 4および5も今回の値上げ対象に含まれている。Raspberry Piを自社製品のコンポーネントとして組み込んでいる企業にとって、数ドルのコスト増でも利益率に直撃する。特に16GBモデルを前提とした高度なエッジAI処理などを計画していた企業は、大幅な予算の見直しや、代替プラットフォームへの移行を検討せざるを得ないだろう。

第二に、x86ミニPCとの境界線の消失である。Raspberry Pi 5(16GB)に公式の電源アダプター、ケース、ストレージなどを追加すれば、総コストは容易に250ドルから300ドルを超える。この価格帯では、IntelAMDのプロセッサを搭載した再生品、あるいは新品のミニPCが十分に射程圏内に入る。

x86プラットフォームは電力効率の面ではArmベースのRaspberry Piに劣るものの、CPUの絶対的なパワーやソフトウェアの互換性、そして「最初から完成されたPCである」という利便性で勝る。Raspberry Piの最大の武器であった「コストパフォーマンス」という魔法が、今まさに解けようとしている。

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2026年、耐え忍ぶ一年と「一時的」という約束

Eben Upton氏は、現在の状況について「2026年はメモリ価格にとって非常に厳しい一年になるだろう」と予測している。しかし同時に、この状況は「一時的なもの」であるとも強調しており、市場が落ち着き次第、価格を引き下げる用意があることを示唆した。

一度上がった価格を企業が自発的に下げることは稀だが、Raspberry Pi財団はそのミッションとして低価格を掲げているため、この約束には一定の信頼性がある。しかし、その「いつか」がいつ訪れるのか、それは誰にも分からない。AIへの投資がいつ沈静化するのか、あるいはメモリメーカーが生産能力をどれだけ速やかに拡張できるのか。その答えは、Raspberry Pi財団の手中にはない。

Raspberry Piは今、創業以来最大の試練に立たされている。AIという巨大な潮流が、皮肉にもかつてそのAIの学習や実験に使われていたはずの小さな基板を、高級品へと押し上げてしまった。我々ユーザーにできることは、この「200ドルのPi」が、それでもなお自分たちのプロジェクトにとって価値があるのかを、冷徹に再評価することだけだ。


Sources