Synapticsは2026年10月20日、Google ResearchのCoral NPUを採用したAIプロセッサー「Astra SR200」シリーズを発表した。低消費電力のマイクロコントローラー(MCU)に、数百MBまで拡張可能なメモリを組み合わせ、音声や画像のAI処理を端末内で実行することを目指す。同日、GoogleもCoral NPUの32ビット設計の完成と、新しいコンパイラーの公開を発表し、両社は開発ボードのラインアップも拡充した。周囲の音や映像を常時監視する機器にAIを組み込むには、演算性能だけでなく、モデルを格納するメモリの容量や、待機中を含む消費電力が重要になる。SR200は、これらの課題をプロセッサーの設計段階から解決しようとする製品だ。
MCUで画像と音声のAI処理を可能にするメモリ設計
Astra SR200シリーズは、常時音声認識やセンシング向けのSR210、画像処理とディスプレイ出力に対応するSR230、さらに高い処理性能を求める用途向けのSR250という3系列で構成される。AI演算性能の公称値は、それぞれ200 GOPS、300 GOPS、400 GOPSだ。GOPSは毎秒10億回の演算を表す単位である。3系列はピン互換性を備え、共通のソフトウェア開発キット(SDK)に対応するため、機器メーカーは基板設計やソフトウェアの資産を生かしながら、用途に応じて性能を選択できる。
AI演算を担うのは、Coral NPUを組み込んだSynapticsの「Torq AIエンジン」だ。NPUは、ニューラルネットワークの演算を効率よく実行するための専用プロセッサーを指す。ただし、AIモデルのパラメーターや処理途中のデータを格納するメモリが不足したり、必要な速度でデータを供給できなかったりすれば、演算性能を高めても十分な処理速度は得られない。Synapticsもアーキテクチャの技術解説で、メモリがボトルネックとなる処理では、演算能力を増強するだけでは問題を解決できないと説明している。
そこでSR200は、最大8MBのSRAMに加え、数百MBまで拡張できる高帯域のカスタムDRAMを組み合わせた。製品資料によると、演算回路や電源管理回路、大容量メモリなどを複数の半導体ダイで構成し、単一のパッケージに収めるSiP(System in Package)方式を採用している。DRAMをプロセッサーと同じシリコンダイに集積するわけではなく、パッケージ内で接続する構造だ。これにより、メモリの容量と帯域幅を確保しながら、外付け部品を含むシステム全体の構成を簡素化することを狙っている。
Synapticsは発表文で、メモリを後から追加する要素ではなく、システム設計の基盤として扱う方針を強調している。画像と音声を組み合わせたAI処理では、モデルそのものに加え、入力データや中間データを十分に格納できることが重要になる。従来のMCUではメモリ容量が制約となっていた処理にも対応できる余地を広げることが、SR200の設計上の特徴といえる。
常時監視と高負荷処理を分離する省電力設計
SR200は、最大800MHzで動作するArm Cortex-M85と、200MHzのCortex-M52を組み合わせている。Synapticsによると、Cortex-M52が低消費電力で常時監視などの処理を続け、より高い演算性能が必要になったときにはCortex-M85が処理を実行し、終了後は休止状態に戻る仕組みだ。音声処理向けにはHiFi 5 DSPも選択でき、処理内容に応じて適切な演算器を使い分けられる。すべての処理を高性能なCPUで実行するのではなく、用途に合わせて役割を分担することで消費電力を抑える設計となっている。
電源管理は、常時稼働、超低消費電力、低消費電力、高性能の4つの領域に分かれている。監視に必要な回路だけを動かし、より複雑な処理が発生したときに追加のCPUコアやメモリを稼働させる構成だ。例えば、センサーが変化を検知した場合にだけ画像認識を実行する機器なら、画像処理に必要な回路を常に高性能モードで動かしておく必要はない。このように、常時稼働するAI機器であっても、すべての回路を常に動かすわけではない点が重要になる。
カスタムDRAMについても、Synapticsは一般的なシステムDRAMと比較して、約3分の1の電力でワークロードを処理できると主張している。ただし、発表資料には比較対象となるDRAMの型番や処理負荷など、詳細な測定条件は示されていない。メモリ単体の省電力効果を、そのまま端末全体の消費電力やバッテリー駆動時間の改善率とみなすことはできない。実際の効果を判断するには、CPUやNPUだけでなく、カメラ、センサー、無線通信なども含めた実機での測定が必要だ。
想定用途はウェアラブル機器にとどまらず、ネットワークカメラや産業機器における画像・音声処理にも広がる。産業用途向けの製品にはギガビットEthernetと2系統のCAN-FDが用意され、センサーから取得した情報やAIの処理結果を他の機器とやり取りできる。大容量メモリと省電力制御を組み合わせることで、音声や映像の入力からAI推論、機器間通信までを小型のプロセッサーで担う構想だ。
GoogleのCoral NPU設計公開とSR200への実装は別
Googleが2025年10月15日にCoral NPUを発表した時点では、行列演算ユニットはまだ開発中だった。今回の技術解説では、このユニットの追加によって32ビット設計の開発段階が完了したと説明している。これにより、AI推論で頻繁に使われる行列計算を専用回路で効率よく処理するための設計資産が公開されたことになる。
新しい行列演算ユニットは、重みや入力データを演算器の近くにあるレジスターで再利用する設計を採る。Googleが重視しているのは、演算そのものだけでなく、演算に必要なデータを繰り返し移動させる際の消費電力を削減することだ。データを演算器の近くに保持して再利用すれば、メモリとの間で発生する転送を減らせる。この考え方は、メモリの容量や帯域幅をプロセッサー設計の中心に据えるSR200の方針とも共通している。
ただし、今回公開されたCoral NPUの設計全体と、SR200に実際に搭載されている機能は区別する必要がある。Googleによると、SR200は第2世代のCoral NPU IPを採用し、RISC-Vベクトルコアに対応している。しかし、新たに公開された行列演算ユニットを含むすべての機能が、SR200に実装されていると確認できる説明にはなっていない。また、Coral NPUが掲げる推論時の平均消費電力10mWという目標値も、SR200や開発ボード全体で測定された消費電力を意味するものではない。
ソフトウェア面では、IREEとMLIRを基盤とする「Coral Compiler v1.0」が公開された。このコンパイラーは、JAX、PyTorch、TensorFlowで作成したAIモデルを受け取り、CPUとNPUに処理を振り分けるほか、大きな行列をメモリに収まるサイズに分割するなどの最適化を行う。ハードウェアが対応していない演算をCPU側で処理すると、データの受け渡しや追加の演算によって遅延や消費電力が増える場合がある。そのため、NPUの回路設計とコンパイラーの最適化を組み合わせることが、効率的なAI推論には欠かせない。
共通の開発ツールを整備する狙いは、チップが変わるたびにモデルの変換処理や演算の実装を作り直す負担を減らすことにある。設計資産やソフトウェアが公開されていれば、開発者が内部の処理を確認し、用途に応じて調整できる利点もある。ただし、モデルのサイズや対応する演算、利用可能なメモリ容量はハードウェアによって異なるため、共通のコンパイラーを使えることが、すべての機器でモデルを無調整で動かせることを意味するわけではない。
Linux向けとMCU向け、2種類のCoralboardを展開
SynapticsとGoogle Researchは10月20日、開発ボード「Coralboard SL」の一般提供開始と、新製品「Coralboard SR」の発表も行った。Synapticsの発表によると、両製品は共通のCoral開発環境を活用しながら、異なる用途を対象としている。Coralboard SLはLinuxを使うIoT機器やロボティクス向けで、Coralboard SRはMCUを使った低消費電力の端末内AI開発を想定した製品だ。主な仕様と提供状況は以下のとおりである。
| 比較項目 | Coralboard SL | Coralboard SR |
|---|---|---|
| 主な開発対象 | LinuxベースのIoT・ロボティクス | MCUベースの端末内AI(SR200はZephyr RTOS対応) |
| 搭載プロセッサー | Astra SL2619 | Astra SR250 |
| 主なCPU | 2GHz Cortex-A55 × 2、Cortex-M52 | 800MHz Cortex-M85、Cortex-M52 |
| AI演算性能(公称値) | 1 TOPS | 400 GOPS |
| メモリ | 2GB DDR4 | 最大8MB SRAM、最大256MBカスタムDRAM |
| 2026年10月20日時点の提供状況 | DigiKeyを通じて世界向けに一般提供開始 | 新製品として発表。一般販売開始日は未公表 |
両製品の公称AI演算性能は、そのまま実際の推論速度の差を表すものではない。同じAIモデルを同一条件で実行した比較ではなく、OSやメモリ構成、想定される処理内容も異なるためだ。また、Coralboard SLは既存のAstra SL2619を搭載した製品であり、今回発表されたSR200シリーズを採用するCoralboard SRとは別の開発ボードである。SLの一般提供が始まったことをもって、SR200搭載ボードも購入可能になったと判断することはできない。
開発者にとって重要なのは、実行したいAIモデルが選択したメモリ構成に収まり、常時監視から推論処理への切り替えに必要な応答速度と消費電力を満たせるかどうかだ。カメラや無線通信などの周辺機器も含めて実機で測定し、必要なモデルの最適化や調整がどの程度発生するかを確認する必要がある。
Astra SR200は、従来のMCUではメモリや電力の制約によって難しかった画像・音声AI処理を、小型機器で扱えるようにすることを目指している。ただし、その実用性を評価するには、公称演算性能だけでなく、実際に動作するモデルの規模、推論時と待機時の消費電力、応答速度を確かめなければならない。今後はSR200搭載機器での検証結果に加え、Coralboard SRの一般提供がいつ始まるかが注目点となる。



