レーザー科学の分野で新たな金字塔が打ち立てられた。ミシガン大学に設置された「ZEUS(Zettawatt Equivalent Ultrashort pulse laser System)」レーザー施設が、初の公式実験で2ペタワット(2,000兆ワット)という驚異的なピークパワーを達成したのだ。これは、現在の世界の総電力出力の100倍以上にも匹敵する瞬間的なパワーであり、米国におけるレーザー技術の記録を大幅に塗り替える快挙である。この画期的な成果は、医療、国家安全保障、材料科学、宇宙物理学、そして量子物理学といった多岐にわたる分野に、これまで想像もしなかった新たな地平を切り開く可能性を秘めている。
米国最強レーザー「ZEUS」誕生:2ペタワットが照らす科学の最前線
ミシガン大学のジェラール・ムールー超高速光科学センター (Gérard Mourou Center for Ultrafast Optical Science) に設置されたZEUSは、米国科学財団(NSF)からの1600万ドル(約25億円)の資金提供を受けて建設され、今回2ペタワットという出力の壁を打ち破った。
「ペタワット」という単位に馴染みのない方もいるかもしれない。1ペタワットは1000兆ワットに相当し、ZEUSが達成した2ペタワットはその倍、つまり2京ワットという途方もない数値である。ミシガン大学の発表によれば、この瞬間的なパワーは、地球全体の総発電量の100倍を超える規模という。 もちろん、これはあくまでごく短時間の話であり、レーザーパルスが持続するのはわずか25アト秒(2京5000兆分の1秒)という、想像を絶する短さだ。 この極めて短い時間にエネルギーを集中させることで、物質の根源的な振る舞いや宇宙の極限状態を地上で再現し、研究することが可能になる。
同センターのディレクターであるKarl Krushelnick氏は、「このマイルストーンは、米国の高強度場科学にとって未踏の領域へと進む実験の始まりを印すものです」と、その意義を強調している。
ZEUSが拓く未来:医療から宇宙物理学まで広がる応用の可能性
ZEUSのような超高出力レーザーは、基礎科学の探求はもちろんのこと、我々の生活に直結する様々な分野での革新的な応用が期待される。
- 医療分野: より鮮明な軟組織の画像化技術や、レーザーを利用した新しいがん治療法の開発などが進むと期待される。例えば、レーザーによって加速された粒子線は、従来の手法よりも副作用の少ないがん治療に繋がる可能性がある。
- 材料科学: 極限的な高温・高圧状態をレーザーで作り出し、物質がそのような環境下でどのように振る舞うかを研究することで、これまでにない特性を持つ新素材の開発が期待される。
- 宇宙物理学: ブラックホール周辺や超新星爆発といった、宇宙でしか起こりえない高エネルギー現象を実験室で再現し、その謎を解き明かす手がかりが得られるかもしれない。
- 国家安全保障: 高度なセンサー技術や物質検知など、安全保障分野への応用も視野に入っている。
- 基礎物理学: プラズマ科学や量子物理学の根源的な問いに迫る研究が可能になる。例えば、何もないはずの真空から粒子と反粒子が対生成される現象など、極めて高強度の電磁場でのみ観測される現象の研究が進むと期待される。
NSF物理学部門のプログラムディレクターであるVyacheslav Lukin氏は、「NSF ZEUS施設で行われる基礎研究は、軟組織のより良い画像化手法や、がんなどの病気の治療に使われる技術の進歩など、多くの応用可能性を秘めている。ZEUS独自の能力を利用する科学者たちは、人類の知識のフロンティアを新たな方法で拡大し、米国のイノベーションと経済成長に新たな機会を提供するだろう」と述べている。
「ウェイクフィールド加速」で粒子加速器の常識が変わるか
記念すべき2ペタワットでの最初の実験は、カリフォルニア大学アーバイン校のFranklin Dollar教授率いるチームによって行われた。 彼らの狙いは、ヘリウムガスを満たしたセルにZEUSの強力なレーザーパルスを照射し、「ウェイクフィールド加速」と呼ばれる現象を利用して、高エネルギーの電子ビームを生成することだ。
「ウェイクフィールド加速」とは、超強力なレーザーパルスがプラズマ(原子から電子が剥ぎ取られ、電子とイオンが飛び交う状態のガス)中を進む際に、まるで高速ボートが水面に引き波を立てるように、その後ろに強力な電場(ウェイクフィールド)を形成する現象である。この電場に捉えられた電子は、サーファーが波に乗るように急加速される。
Dollar氏のチームとZEUSチームは、この方法で、従来の巨大な粒子加速器で生成されるものと同等のエネルギーを持つ電子ビームを、より小型の装置で実現することを目指している。今回の実験では、ZEUS施設でこれまでに生成された電子ビームの5倍から10倍のエネルギーを持つ電子ビームの生成が目標とされている。 ミシガン大学の電気・コンピュータ工学の研究科学者であり、実験エリア開発を率いるAnatoly Maksimchuk氏は、「我々は2つの別々のレーザービームを用いて、より高い電子エネルギーに到達することを目指している。1つは誘導チャネルを形成し、もう1つはそれを通して電子を加速するためだ」と説明している。
この実験が成功すれば、基礎物理学の研究はもちろん、医療用画像診断や産業用アプリケーションなど、様々な分野で利用されるコンパクトで高性能な粒子加速器の実現に道が開かれるかもしれない。
ZEUSを支える最先端技術と開発の舞台裏
体育館ほどの広さを持つZEUS施設は、まさに最先端技術の塊だ。 レーザーパルスは、まず初期の赤外線パルスとして生成され、その後、複数の「ポンプ・レーザー」によって段階的にエネルギーを増幅される。 しかし、あまりにも急激にエネルギーを集中させると、空気自体を引き裂いてしまうほどの強度になるため、「回折格子」と呼ばれる光学素子を使ってパルスを時間的に引き伸ばし、安全にエネルギーを注入できるように工夫されている。
増幅されたレーザーパルスは、最大で直径約30センチメートル(12インチ)、長さ数フィートにもなる。 その後、パルスは真空チャンバーへと導かれ、そこで別の回折格子群によって、直径約30センチメートルの円盤状でありながら、厚さはわずか8ミクロン(一般的なプリンター用紙の10分の1程度)にまで圧縮される。 この状態でも、空気があればプラズマ化してしまうほどの強度だが、実験の標的に最大のパワーを届けるために、最終的には幅0.8ミクロンという、髪の毛の太さの100分の1にも満たない極微小な点に集光される。
この驚異的なシステムを構成する上で最も重要な部品の一つが、チタン原子が注入されたサファイア結晶である。直径約18センチメートル(7インチ)にもなるこの特殊な結晶は、レーザーパルスを最終段階で最大出力まで増幅する心臓部であり、その製造には実に4年半もの歳月を要した。 ZEUSのプロジェクトマネージャーであるFranko Bayer氏は、「我々が保有するサイズのチタンサファイア結晶は、世界でも数えるほどしかありません」とその希少性を語る。
開発は常に順風満帆だったわけではない。当初、300テラワット級だった前身のHERCULESレーザーから、ZEUSで1ペタワットの出力を目指した際には、回折格子が黒ずむという問題が発生した。 原因究明の結果、これは強力なレーザービームが真空チャンバー内に浮遊する分子を分解し、炭素が付着したためと判明した。研究チームは、安全に運用できるレーザーショット数とクリーニングの最適な間隔を見つけ出す必要があった。
次なる目標は3ペタワット、そして前人未到の「ゼタワット」級の領域へ
2ペタワットの達成は、ZEUSにとって通過点に過ぎない。チームは既に、システムのフルパワーである3ペタワットの実現に向けてアップグレードを進めている。 そして、その先に見据えるのは、ZEUSの名前の由来ともなった「ゼタワット等価出力」実験である。
これは、ZEUSで加速された高エネルギーの電子ビームと、逆方向から来る3ペタワットの強力なレーザーパルスを正面衝突させるというものである。 このとき、光速に近い速度で運動する電子の視点から見ると、正面からやってくるレーザー光は、ドップラー効果によってそのエネルギーが極端に増強され、あたかも100万倍も強力な「ゼタワット(10の21乗ワット)級」のレーザーパルスに衝突しているかのように見える。 このような極限的な高強度場を生成することで、真空そのものの性質を探求したり、宇宙初期の高エネルギー状態を垣間見たりといった、基礎物理学の根源的な謎に迫る研究が可能になると期待される。 この特徴的な実験は、年内に予定されている。
現在、世界にはZEUSを上回る出力を持つレーザーも存在する。例えば、ルーマニアのヨーロッパELI-NP研究所のレーザーは10ペタワットのピーク出力を誇る。 しかし、ZEUSが目指すのは、単なるピークパワーの競争ではなく、ゼタワット級の等価出力を用いたユニークな実験であり、これにより新たな科学的発見が生み出されることが期待される。
開かれた研究拠点としてのZEUS – 世界の知性がここに集う
ZEUSは、ミシガン大学だけの施設ではない。NSFの支援のもと、「利用者施設」として、米国内はもちろん、世界中の研究チームに門戸を開いている。 最も有望な科学的目標を持つ実験提案が独立した選考プロセスを経て採択され、ZEUSを利用する機会が与えられる。
実際、ZEUSは2023年10月のグランドオープン以来、まだフルスペックに到達する前の1ペタワットの出力でも、既に11件の異なる実験プロジェクトを受け入れ、22の研究機関から合計58名の研究者がこの施設を利用している。 カリフォルニア大学アーバイン校のFranklin Dollar教授は、「このような国家的なリソースがあり、実験コンセプトが科学的優先事項の進展に最も有望な利用者に時間を提供するということは、まさに高強度レーザー科学を米国に取り戻すものだ」と、その意義を語っている。
ZEUSレーザーの建設を率いるミシガン大学の電気・コンピュータ工学の研究科学者John Nees氏は、「中規模施設として、我々は粒子加速器や国立点火施設のような大規模施設よりも機敏に運用できる。この開放性が、より広範な科学者コミュニティから新しいアイデアを引き寄せるのだ」と述べている。
ZEUSの一閃が照らし出す、人類の新たな可能性
ミシガン大学で産声を上げた米国最強のレーザーZEUS。その2ペタワットという圧倒的な出力は、医療、材料科学、宇宙物理学、そして基礎物理学の最前線に、これまでにない研究手段をもたらす。それはまるで、人類の知的好奇心を乗せて未知の領域へと進む強力な灯台の光のようである。
これからZEUSでどのような発見がなされ、我々の世界観がどのように塗り替えられていくのだろうか。世界中の科学者たちがこの施設に集い、知恵を絞り、新たな実験に挑む中で、想像もつかないようなブレークスルーが生まれるかもしれない。ZEUSが放つ一瞬の閃光は、科学技術の未来、そして人類の新たな可能性を明るく照らし出してくれるだろう。
Source
- University of Michigan: The US has a new most powerful laser