フィンランドのヘルシンキ大学は2026年10月20日、固体の管を使わず、超音波によって液体を空中で誘導する装置を発表した。円筒状の装置に配置した256個の超音波振動子が、液体の流れを取り囲むように音場を形成し、管壁に触れさせることなく水平方向へ流すことに成功した。さらに、超音波の制御を変えることで、液体を流しながら経路の形状や方向を変えることもできるという。通常の配管では付着や腐食が問題になる物質を、固体の壁に触れずに輸送できる可能性がある。ただし、今回開発された試作機の長さはわずか8cmであり、実際の工場や研究施設で使うには、輸送距離や安定性などの検証が必要となる。

今回の成果は、Dmitrii Nikolaev氏らによる研究論文「Contactless continuous guidance of matter in its main states using curved elongated Bessel-like acoustic fields」として、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)』に掲載された(DOI: 10.1073/pnas.2614959123)。研究にはヘルシンキ大学のほか、スペインのナバラ州立大学と米ミシガン大学の研究者も参加している。以下で紹介する装置の仕様や実験結果は、主にヘルシンキ大学の公式発表に基づいており、論文本文や補足資料に記載された詳細な測定条件までは確認できていない。

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256個の超音波振動子で、形を変えられる「見えない管」を形成

研究チームが開発した装置は、液体の流れを取り囲む円筒状の構造を持ち、その内側に256個の小型超音波振動子を配置している。各振動子から約40kHzの超音波を発生させ、液体の周囲に特定の音場を形成することで、固体の壁に触れさせずに流れを誘導する仕組みだ。大学の説明によると、液体の流れと周囲の円筒状の装置は約5cm離れており、その間に物理的な管壁は存在しない。実験では、空中を水平方向に流れる液体を超音波によって支え、一定の経路に沿って移動させることに成功した。

この装置の特徴は、液体を流す経路を物理的な管の形状に制約されずに変更できる点にある。通常の配管では、流れる方向を変えるには曲がった管やバルブなどが必要になるが、今回の方式では超音波の制御を変えることで流路そのものを調整できる。研究チームを率いたヘルシンキ大学の博士研究員Dmitry Nikolaev氏は、大学の発表で「振動子の制御方法を変えることで、必要に応じて管の形状や向きを変えられる」と説明している。液体が流れている途中でも進行方向を変えられるほか、必要に応じて1滴単位で液体を分注することも可能だという。

超音波による輸送の対象は、液体だけに限らない。ヘルシンキ大学は、気体や粉体、プラズマなども、この技術によって誘導できると説明している。ただし、物質の状態によって必要な音場の形状は異なり、同じ設定のまま、あらゆる物質を輸送できるわけではない。Nikolaev氏も、固体を移動させる場合には、液体や気体とは異なる音場を形成する必要があると述べている。

さらに研究チームは、放電を狙った経路に沿って誘導できることも紹介した。これは、超音波によって空気中の放電経路を制御するというもので、電気エネルギーをどれだけ効率よく送れるかを実証したものではない。大学が公開した映像では、液体や粉体、霧状の物質、放電などを案内する様子が紹介されているが、それぞれの物質について輸送量や安定性を同じ条件で比較したデータが示されているわけではない。

発想の原点は「汚れが付着する管壁をなくすこと」

この技術は、配管の内側を超音波で洗浄する研究から生まれた。装置の開発を主導したヘルシンキ大学の電子工学教授Ari Salmi氏によると、研究チームは以前、超音波を使って管の内面に付着した汚れを除去する装置を開発していた。その研究について同僚と話す中で、そもそも汚れが付着する表面がなければ便利ではないか、という発想が生まれたという。Salmi氏は、その後の犬との散歩中に、固体の壁の代わりに超音波で管を形成するというアイデアを思いついたと振り返っている。

もっとも、発想を実際の装置にするのは容易ではなかった。研究チームは、256個の振動子をどのように制御すれば、液体を安定して誘導できる音場を形成できるか、試行錯誤を繰り返した。ナバラ州立大学とミシガン大学の研究者も開発に参加し、最終的に液体を空中で連続的に誘導できる試作機の完成に至った。

大学が将来の用途として挙げているのは、腐食性や粘着性のある物質の輸送だ。通常の配管では、腐食性の物質が管の内面を傷めたり、粘着性の高い材料が壁に付着して流れを妨げたりすることがある。固体の壁との接触を避けられれば、こうした問題を軽減できる可能性がある。また、汚染に敏感な物質についても、配管の内面に残った別の物質との接触を避けられる点が利点になると考えられている。

ただし、これらは現時点では想定される応用先であり、実際に腐食性の液体や粘着性の高い材料を長時間輸送した性能が公表されているわけではない。従来の配管と比べて、どの程度付着や汚染を減らせるのかという定量的な比較結果も示されていない。さらに、固体の壁に触れないことと、輸送中の物質が汚染されないことは同義ではない。空気中を移動する以上、周囲の環境による影響も考慮する必要があり、実際の製造工程で利用するには、対象物質と運転条件に応じた評価が欠かせない。

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長さ8cm、消費電力50Wの試作機から実用化へ

今回完成した試作機の長さは8cmで、装置の直径よりも短い。ヘルシンキ大学によると、この8cmの区間を動作させるために必要な電力は約50Wで、従来型の白熱電球と同程度だという。超音波で物質を誘導する装置として、具体的な消費電力が示された点は重要だが、この数値だけで従来のポンプや配管より効率が高いと判断することはできない。大学の発表には、一定時間にどれだけの液体を輸送できたのかという流量のデータが示されておらず、輸送量あたりのエネルギー消費を比較できないためだ。

Nikolaev氏は、同じ構造のモジュールを直列につなぐことで、必要な長さの超音波管を作れるとの見通しを示している。各モジュールが連続した音場を形成できれば、物理的な配管を設置せずに、より長い距離を輸送する仕組みへ発展する可能性がある。しかし、今回公表された成果は8cmの試作機による実証であり、複数のモジュールを接続した状態での輸送距離や安定性は確認されていない。モジュール同士の境界で液体の流れを保てるか、長距離化によって必要な電力がどの程度増えるかも、今後の検証課題となる。

再現性の評価にも未確認の点が残る。大学の発表では、輸送した試料の詳しい組成や粉体の粒径、実験の試行回数などが明らかにされていない。そのため、異なる材料や流量でどの程度安定して動作するか、測定結果にどれほどのばらつきがあるかは判断できない。研究成果は査読付き学術誌『PNAS』に掲載されているものの、今回の装置について独立した研究チームによる追試が完了したとの情報も確認できていない。

安全性についても検討が必要だ。装置が使用する約40kHzの超音波は通常、人間の可聴域を超えているが、聞こえないからといって人体や周囲の環境への影響を考慮する必要がないわけではない。Nikolaev氏は、装置内部の超音波は非常に強く、人間には聞こえなくても動物には影響を及ぼす可能性があると説明している。一方、大学の発表には定量的な音圧測定値や曝露条件、安全基準との比較は示されておらず、工場や研究施設で使用する際の安全性まで確認されたわけではない。

今回の研究は、超音波によって液体の流れを空中で支え、さらにその経路を動的に変更できることを示した点に意義がある。固体の管壁がない輸送方式は、従来の配管では扱いにくかった材料に対し、新たな選択肢となる可能性がある。ただし、8cmの試作機から実用的な輸送設備へ発展させるには、長距離化した際の流れの安定性、対応できる材料の範囲、輸送量あたりの消費電力を確かめる必要がある。今後、これらの性能が具体的な測定値として示され、独立した実験でも再現されるかが、実用化の可能性を判断するうえで重要になる。