太陽光発電の歴史における「次なるブレイクスルー」を模索する競争の中で、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学(UNSW)の研究チームが、一つの重要なマイルストーンを打ち立てた。2026年1月、同チームは有望な次世代材料として注目されながらも技術的な壁に阻まれていた「アンチモン・カルコゲナイド(Sb₂(S,Se)₃)」太陽電池において、ラボ変換効率11.02%、認証効率10.7%という世界記録を達成したのだ。

この成果は、2020年以来、約6年間にわたり同材料の効率が10%の壁を超えられずにいた停滞状況を打破するものであり、学術誌『Nature Energy』に掲載された。なぜ、彼らは長年の課題を克服できたのか。その鍵は、ナノスケールの世界における「元素の交通整理」にあった。

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2026年の夜明け:破られた「10%の壁」

停滞していた「ダークホース」

現在の太陽電池市場は、シリコン系が圧倒的なシェアを誇る一方で、理論限界(約29%〜33%)に近づきつつある。そのため、シリコンの上に別の材料を重ねて異なる波長の光を吸収させる「タンデム型」の開発が急務となっている。そのトップセル(上層太陽電池)の候補として、ペロブスカイト太陽電池が脚光を浴びているが、耐久性や鉛の毒性といった課題も残されている。

そこで「ダークホース」として注目されてきたのが、アンチモン・カルコゲナイド(Sb₂(S,Se)₃)である。この材料は、地殻に豊富に存在するアンチモン、硫黄、セレンから構成され、低コストかつ無機材料特有の安定性を持つ。さらに、わずか数百ナノメートル(髪の毛の1000分の1程度)の薄さで十分な発電が可能という特性を持つ。

しかし、この材料には致命的な課題があった。2020年に記録された効率10%を最後に、性能向上がピタリと止まってしまったのである。多くの研究者が挑んでは跳ね返されてきたこの「見えない壁」を、UNSWのXiaojing Hao教授率いるチームがついに突き崩した。

歴史的な認定記録

UNSWチームが開発した新型セルは、CSIRO(オーストラリア連邦科学産業研究機構)による独立認証試験において10.7%の変換効率を記録した。これは、アンチモン・カルコゲナイド太陽電池として世界で初めて、国際的に認知された「太陽電池効率テーブル(Solar Cell Efficiency Tables)」に掲載される基準を満たす成果である。研究室レベルの測定では11.02%に達しており、この分野における議論のフェーズを「可能性の模索」から「実用化への最適化」へと引き上げたと言える。

なぜ効率が上がらなかったのか?

6年間もの間、なぜ効率は頭打ちだったのか。その原因は、太陽電池の「膜」ができるプロセスそのものに潜んでいた。

水熱合成法という「ブラックボックス」

アンチモン・カルコゲナイドの製造には、一般的に「水熱合成法(Hydrothermal deposition)」が用いられる。これは、圧力鍋のような密閉容器(オートクレーブ)の中で、高温高圧の水溶液から材料を析出させる方法である。低コストで結晶性の高い膜が得られる反面、密閉された容器内で何が起きているかをリアルタイムで観察することが難しく、反応メカニズムは長らく「ブラックボックス」のままであった。

「元素の偏り」が招くエネルギーの障壁

UNSWチーム、特に筆頭著者のChen Qian博士らは、従来の方法で作られた膜の断面を詳細に解析した。その結果、驚くべき事実が判明した。膜の深さ方向に対して、構成元素である硫黄(S)とセレン(Se)の比率が均一ではなかったのである。

具体的には、膜の成長初期(下層)においてセレンが過剰に取り込まれ、後半(上層)になるとセレンが枯渇して硫黄が多くなるという「勾配」が生じていた。

車と坂道の物理学

この元素分布の勾配は、物理的には何を意味するのか。Qian博士はこれを「急な坂道を登る車」に例えている。

太陽電池内部では、光によって励起された「正孔(ホール)」が電極に向かって移動することで電流が生まれる。しかし、硫黄とセレンの比率が場所によって変わると、電子のエネルギー準位(特に価電子帯上端:VBM)が傾斜してしまう。

  • 従来のセル: 正孔にとって、移動経路が「上り坂」になっていた。電極にたどり着くには余計なエネルギーが必要であり、途中で捕獲されて消滅(再結合)してしまう確率が高かった。
  • 理想的なセル: 元素が均一であれば、移動経路は「平坦な道」となり、正孔はスムーズに流れることができる。

この「上り坂」こそが、効率10%の壁の正体だったのだ。

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水硫化ナトリウムによる「反応速度論」の制御が突破の鍵に

原因を特定した研究チームは、解決策としてある添加剤に目をつけた。それが水硫化ナトリウム(Na₂S)である。

化学反応の「交通整理」

従来の水熱合成では、セレン源となる前駆体(セレノ尿素)の分解速度が速すぎる一方、硫黄源(チオ硫酸ナトリウム)の反応は遅いというミスマッチがあった。これが、初期にセレンがドッと析出してしまう原因だった。

ここで水硫化ナトリウム(Na₂S)を添加すると、溶液内で以下のような高度な化学的調整が行われることが、今回初めて明らかになった。

  1. pHのバッファリング効果: Na₂Sは水中で加水分解し、溶液のpHを安定化させる。これにより、酸性化に伴うセレノ尿素の急激な分解が抑制される。
  2. 中間体の形成(Path iiの促進): 研究チームが解明した新たな反応経路では、硫黄とセレンがいきなり結晶になるのではなく、一度SeSO₃²⁻という中間体を経由するよう誘導される。
  3. 反応速度の同期: この中間体を経由することで、セレンの供給速度がマイルドになり、硫黄の取り込み速度と同期(シンクロ)するようになる。

結果:原子レベルでの均質化

この制御技術(Reaction Kinetics Regulation)を用いて作製された膜は、深さ方向に対して硫黄とセレンの比率が驚くほど一定になった。電子顕微鏡による断面分析でも、従来見られた空隙(ボイド)が消失し、緻密で高品質な結晶が成長していることが確認された。

これにより、正孔の移動を妨げていたエネルギー障壁(上り坂)は平坦化され、さらに結晶の乱れに起因する「深い準位の欠陥(Deep-level defects)」も大幅に減少した。これが、11.02%という記録的な効率向上の直接的な要因である。

産業的・社会的インパクト:なぜこの数字が重要なのか

単に「記録を更新した」というだけではない。本研究成果は、太陽光発電の未来地図において重要な意味を持つ。

1. 「タンデム型」のトップセルとして

シリコン太陽電池の限界を超えるために開発が進む「タンデム太陽電池」。下層のシリコンが吸収しきれない短波長の光を吸収する「トップセル」には、バンドギャップが広い材料(ワイドバンドギャップ材料)が必要とされる。

アンチモン・カルコゲナイドは、組成を調整することでバンドギャップを1.1eV〜1.7eVの範囲で調整可能であり、シリコン(1.1eV)との相性が極めて良い。現在主流のペロブスカイトと比較して、鉛を含まず、水分や熱に対する安定性が高い点は大きなアドバンテージとなる。今回の効率向上により、実用的なトップセル材料としての適格性が証明されたことになる。

2. 低照度・屋内用途への展開

この材料は、可視光に対する吸収係数が非常に高い。つまり、薄暗い場所や室内の照明でも効率よく発電できるポテンシャルを持つ。IoTセンサーやウェアラブルデバイスの自立電源として、電池交換不要の社会を実現するキーデバイスになり得る。

3. シースルー太陽電池(窓発電)

アンチモン・カルコゲナイドは、その薄さゆえに半透明(セミスモーク状)に加工することが容易である。ビルの窓ガラスそのものを発電装置に変える「建材一体型太陽光発電(BIPV)」への応用において、意匠性と発電性能を両立できる材料として期待が高まる。

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12%、そしてその先へ

UNSWのHao教授は、今回の成果を「出発点」と位置づけている。

次の目標は12%

研究チームは、次のマイルストーンとして効率12%の達成を掲げている。今回の研究で結晶内部の欠陥は大幅に減ったが、界面(膜の表面)における欠陥はまだ残されている。今後は「パッシベーション(不活性化処理)」技術を駆使して、表面でのエネルギーロスを極限まで減らす研究が進められる予定だ。

製造プロセスのスケーラビリティ

本研究で用いられた水熱合成法は、高温真空プロセスを必要とせず、比較的低温(200℃以下)で、溶液中での反応によって成膜できる。これは、製造コストの削減と、大面積化への容易さを意味する。実験室レベルの小面積セルから、実用サイズのモジュールへのスケールアップが、次の産業的な課題となるだろう。

科学が拓くエネルギーの未来

ニューサウスウェールズ大学による今回の発見は、単なる数値の更新にとどまらない。長年「ブラックボックス」とされてきた複雑な化学反応を解き明かし、ナノレベルでの材料制御がマクロな発電性能に直結することを実証した点にこそ、科学的な真価がある。

アンチモン・カルコゲナイドという、かつて停滞していた材料が再び息を吹き返した。安定で、毒性が低く、安価なこの材料が、シリコンやペロブスカイトと並ぶ、あるいはそれらを補完する「第3の柱」として、我々の再生可能エネルギー社会を支える日は、そう遠くないかもしれない。


論文

参考文献