AmazonがAI企業Decartの買収に向けて協議しており、取引規模は約70億ドルになる可能性があると、Wall Street Journal(WSJ)が2026年10月11日に報じた。関係者に基づく交渉報道で、買収合意は確認されていない。DecartはすでにAmazonを顧客に持ち、自社の動画AIモデルをAWSの独自チップTrainium3で動かしている。提携から買収へ進むとすれば、Amazonが取り込めるのは動画を生成するモデルと、そのモデルからチップの性能を引き出す開発能力だ。
70億ドルの交渉で注目される、動画と計算基盤
Decartは2023年に創業し、2026年5月18日にRadical Ventures主導で3億ドルを調達したと発表した。NVIDIAも新たな投資家として加わり、同社が公表する累計調達額は4億5000万ドルを超える。WSJがPitchBookのデータを基に伝えた5月時点の企業評価額は約40億ドルだった。今回の70億ドルは買収交渉の規模であり、過去の資金調達額や企業評価額とは区別する必要がある。
Decartの事業は、AIの学習と推論を速く動かす「Decart Optimization Stack(DOS)」、ライブ映像を編集する「Lucy」、環境を生成する世界モデル「Oasis」からなる。モデルを作り、動かす仕組みも自社で作る。この組み合わせが買収報道を読む手がかりになる。
交渉が成立するかは、なお分からない。Bloombergは9月8日、Anthropicが約60億ドル規模で検討していたDecart買収を、資産・事業の調査を実施した後に見送ったと報じている。今回もWSJは、交渉の決裂や別の買い手の登場で状況が変わり得るとしている。高額の取引に向けた交渉が伝えられたことと、企業が実際に傘下へ入ることの間には距離がある。
DOSが担う、チップとモデルの最適化
DOS 2.0についてDecartは、NVIDIAのGPU、GoogleのTPU、AmazonのTrainiumに対応すると説明している。自社のLucyやOasisを動かすだけでなく、クラウド企業やAI開発企業にもライセンスを提供する。顧客は異なるチップで使える最適化技術を得られるが、その内容は汎用的な変換ソフトという説明だけでは捉えきれない。
DOSの公式説明には、顧客ごとの処理と評価指標に合わせたカーネル開発やコンパイラーの調整が並ぶ。カーネルはチップ上で実行する個々の計算処理、コンパイラーはプログラムをそのチップで実行できる形へ変換する仕組みだ。モデルが動くことに加え、どの計算をまとめ、どこへデータを置くと速くなるかまで調整する。
さらにDecartは、チップに合わせてモデル側も変える。Lucy 2の技術説明では、アクセラレーターの細かな性能を測定し、その結果に沿ってモデルの構造を設計するとしている。既存のモデルを別のチップへ載せ替えるだけではなく、モデルとハードウェアを合わせて調整する開発手法である。
この違いはTrainiumを使う開発者にとって大きい。学習済みモデルを実行できても、計算装置がデータの到着を待っていれば、その能力を使い切れない。DOSが提供しようとしているのは、こうした待ち時間や処理の無駄を減らす技術だ。複数チップへの対応から、無調整で移植できることや、どのチップでも同じ性能が出ることまで保証されたとは読めない。
ライブ動画を支える、計算と通信の短縮
Decartが7月16日に発表したLucy 2.5は、1080p・毎秒30フレームで、配信中の映像の人物や服装、周囲の環境を編集するモデルだという。完成した動画を後から返す使い方と違い、視聴者の動きや指示に合わせて映像を更新し続ける必要がある。
30フレームを1秒間に表示する周期は、1000ミリ秒を30で割ると約33ミリ秒になる。これは表示の間隔であり、モデルの推論時間や通信を含む往復遅延そのものではない。それでも、ライブ映像で短い待ち時間を保つには、計算以外の負担も無視できないことが分かる。
Lucy 2の説明では、複数の計算を大きなカーネルへまとめ、処理を起動する負担とメモリー転送を抑える仕組みが示されている。高速メモリーであるHBMとの間でデータを何度も往復させず、計算する場所の近くに保つ。映像を送受信するWebRTCの仕組みも調整し、余分なバッファリングや通信の遅延を減らすという。速さは、計算装置の演算能力だけで決まるわけではない。
Lucy 2.5では、計算に使う数値の精度を抑える量子化と、不要な注意計算を省く手法も加えた。注意計算は、映像内のどの情報を参照するかを決める処理である。モデルの処理量を減らす工夫と、チップ上で処理を効率よく回す工夫を重ねている。
ただし、映像が物理的に自然に見えることは、物理現象を正確に計算している証明にはならない。Lucy 2は、明示的な3Dメッシュや物理エンジンに依存しない拡散モデルだとDecartは説明する。ロボット向けのデータ生成にも用途を広げているが、映像の説得力と実世界での訓練効果は別に検証すべきものだ。
AWSとの関係は、すでにチップから販売まで進んでいる
Decartの5月18日の発表では、Amazonは戦略顧客として登場する。AWSとは商業契約と共同販売で提携し、AWSのチップ開発部門Annapurna Labsとも協業している。発表に記載された関係を、計算基盤への適合、モデルの稼働、顧客への販売という役割で分けると、次のようになる。
| 接点 | 公表済みの内容 | Amazonにとっての意味 |
|---|---|---|
| チップへの最適化 | Decartがモデル構造をTrainiumの設計に合わせた | 自社チップの特性を使い切る開発経験 |
| モデルの稼働 | Lucy 2がTrainium3上で動く | リアルタイム動画を実際に動かす用途 |
| 顧客への販売 | AWSとの商業契約と共同販売 | AWSの顧客へモデルを届ける経路 |
表の事実はDecartの2026年5月18日発表に基づき、役割と意味の分類は本誌による。DecartとAWSの接点は、Trainium3へのモデル最適化、Lucy 2の稼働、商業契約と共同販売の3層に及ぶ。すでに提携で進んでいる仕事であり、買収後の組織や契約を示す表ではない。
AWS自身にも、モデルをTrainiumで動かす開発環境がある。2025年12月2日のTrn3 UltraServers提供開始発表では、Neuron SDKのPyTorch統合に加え、性能を詰める技術者がカーネルを調整できるよう、チップへ深くアクセスする機能を説明している。DOSの価値を考える際は、この開発環境の上で特定のモデルや処理をどこまで最適化できるかを見る必要がある。
Decartの5月発表に寄せたコメントで、Annapurna Labsの副社長Nafea Bshara氏は、Lucy 2の「モデル演算性能の利用率」が80%を超えると述べた。モデルの演算がチップの理論的な能力をどれだけ使うかという指標であり、すべての顧客の費用が80%減るという意味ではない。対象はLucy 2で、測定の詳しい条件は示されていない。
AWSの顧客事例ページでは、DecartのDean Leitersdorf CEOが初期試験で遅延を40ミリ秒から10ミリ秒へ短縮したと説明している。ただし、比較したGPUの機種やTrainiumの世代などは特定されていない。この数字を、Lucy 2の利用率と同じ測定として扱ったり、あらゆるモデルでTrainiumが優位に立つ根拠にしたりすることはできない。
Amazon傘下で、他社チップへの対応はどうなるか
NVIDIAはDecartに出資し、Amazonは同社の戦略顧客となっている。DOSは両社のチップに加え、GoogleのTPUにも対応する。Decartは、チップメーカーをまたいで性能を引き出す立場と、特定のチップに深く合わせる立場を併せ持つ企業なのである。
Amazonが買収すれば、チップ設計とモデル開発をさらに近い体制で進められる可能性がある。例えば動画モデルを改良する際、チップのメモリー構成を踏まえて計算を組み直し、その結果を次のハードウェアやソフトウェアの改良へ戻す。公表済みの共同設計を所有によってどこまで深められるかが、技術面での判断材料になる。
一方、GPUやTPUを使う顧客への技術提供をどう続けるかも問われる。Trainiumへの集中は自社チップの改良を進め得るが、複数のチップで得られる開発経験や外部の顧客との関係をどう扱うかで、DOSの事業も変わる。他社チップへの対応終了や独占化が決まったと伝えられているわけではなく、買収が実現する場合の論点だ。
70億ドルの妥当性を測るには、収益や契約条件、統合による効果が必要になる。現時点の公表情報だけで、その価格を正当化することはできない。今後、正式な合意とともに他社チップへの対応方針が示され、最適化がLucy以外の顧客の処理にも広がるなら、AWSが取り込む開発能力と、チップをまたいで使えるDOSの価値を具体的に評価できるようになる。



