2026年2月28日金曜日、午後5時01分。この時刻を境に、AI産業と米国の安全保障政策の関係は決定的に変わる可能性がある。フロンティアAI企業Anthropicに対し、Pete Hegseth国防長官が突き付けた最後通牒の期限だ。争点はきわめてシンプルだが、その射程は途方もなく広い。「AIモデルClaudeを、軍が合法と判断するすべての用途に制限なく使用させよ」というペンタゴンの要求に、Anthropicが応じるか否か。それだけだ。

AD

2億ドル契約の裏で進んだ対立の構造

Anthropicは2025年7月、国防総省(DoD)と最大2億ドルの契約を締結し、フロンティアAI企業として初めて機密ネットワーク上にモデルを統合した。Palantirとの提携を通じてClaudeは情報分析、シミュレーション、作戦計画、サイバー作戦に投入され、2026年1月のベネズエラのNicolás Maduro大統領の身柄確保作戦でも使用されたとWall Street JournalやAxiosが報じている。

ここで注目すべきは、Anthropicが決して「軍への協力」を拒否しているわけではないという点だ。同社が設定した「レッドライン」は、あくまで二つだ。一つは米国市民に対する大規模な国内監視。もう一つは人間の関与を排した完全自律型兵器への利用である。ミサイル防衛やサイバー防衛への使用は12月の交渉段階で既に容認しており、Anthropicの広報担当は「あらゆる契約案において、ミサイル防衛や類似の用途を支援できるようになっていた」とNBC Newsに述べている。

にもかかわらず交渉は膠着した。ペンタゴンが求めたのは「あらゆる合法的な目的」への無制限アクセスであり、これは特定のユースケースに対する明文的な制限を一切認めないという立場を意味する。

「妥協」の正体と信頼の断絶

ペンタゴンの技術担当トップであるEmil Michael国防次官(研究・エンジニアリング担当、元Uber幹部)は、CBS Newsの取材に「非常に良い譲歩をした」と語った。具体的には、国内監視を制限する既存の連邦法を契約書面で「明示的に認知する」こと、自律型兵器に関するペンタゴンの既存ガイドラインを書面で認めること、そしてAnthropicを軍のAI倫理委員会に招くこと——この3点だという。

Anthropic側はこれを即座に退けた。「一晩で届いた契約文言は、Claudeの大規模監視や完全自律型兵器への利用を防ぐことについて、実質的に何の進展もなかった」と同社は声明で述べている。「妥協として提示された新たな文言には、それらのセーフガードを任意に無効化できる法律用語が付随していた」。つまりペンタゴンの「譲歩」とは、既存の法律やガイドラインの存在を「認知する」という宣言的な文言に過ぎず、それがClaudeの利用をどう制限するかについては何も拘束しない構造だったのだ。

この応酬の直後、MichaelはXへの投稿でDario Amodei CEOを「嘘つき」で「神コンプレックスの持ち主」と非難し、「彼は米軍を個人的にコントロールしたいだけだ」と書いた。交渉プロセスにおける米政府高官による、AI企業CEOへの公の場での人格攻撃は前例がない。

AD

国防生産法と「サプライチェーンリスク」という矛盾する二つの脅し

Hegseth長官がAnthropicに対して持ち出した制裁手段は二つある。一つは「サプライチェーンリスク」の指定。これは通常、中国やロシアなど敵対国の企業に適用されるものであり、指定されればBoeingやLockheed Martinを含むすべての国防契約企業がAnthropicの技術を使用していないことを証明しなければならなくなる。AxiosによればペンタゴンはすでにBoeing、Lockheed Martinなど主要防衛企業に対し、Anthropicへの依存度を評価するよう要請を始めている。

もう一つは国防生産法(DPA)の発動である。朝鮮戦争時代に制定されたこの法律は、大統領に対して、国防上不可欠な製品の生産や供給を民間企業に強制する権限を与える。Georgetown大学のLawfareでAlan Z. Rozenshteinが分析したところによれば、ここには二つのシナリオがあり得る。第一に、ペンタゴンがAnthropicに対し「契約上の利用制限を外した同じモデル」の提供を求める場合。製品自体は変わらないため、法的根拠は比較的強い。第二に、Claudeを再訓練して安全ガードレール自体をモデルから取り除くことを求める場合。これは実質的に新製品の開発を強制することになり、DPAの射程を超える可能性がある。さらに、もしモデルの訓練方針が「編集上の判断」に該当するならば、合衆国憲法修正第1条(言論の自由)に抵触するおそれも生じる。

Amodei自身が指摘しているように、この二つの脅しは論理的に矛盾している。一方はAnthropicを安全保障上の脅威とみなし、もう一方はAnthropicを国防に不可欠な存在として位置づけている。両方を同時に成立させることは困難だ。

AIの「安全性」をめぐる産業生態系の地殻変動

この対立が単なる二者間の契約紛争にとどまらないのは、その波及効果がAI産業全体の構造を揺さぶり得るからである。

OpenAI、Google、xAIはいずれも同時期にDoDと最大2億ドルの契約を締結しており、全社が「あらゆる合法的な目的」での使用を受け入れている。xAIはさらに今週、機密ネットワーク上でのGrokの利用についても同条件で合意した。OpenAIとGoogleのモデルを機密環境に導入する交渉も加速しているとAxiosは報じている。つまり、Anthropicが折れなくても、ペンタゴンには代替手段がある。この構造は、安全性を最優先に掲げる企業に対して強烈な経済的圧力を発生させる。

ジョージタウン大学・安全保障新技術センター(CSET)のLauren Kahn上級研究員は「勝者はいない」と述べつつ、より深刻な懸念を示した。「民間企業が『防衛セクターと仕事をする価値がない』と判断するようになることを、本当に心配している」。もしペンタゴンの強硬姿勢が先例となれば、最先端技術を持つ企業ほど政府との取引を避けるインセンティブが生まれる。本当に苦しむのは前線の兵士だ、とKahnは続けた。

興味深いのは、競合であるはずのOpenAI CEOのSam Altman氏の反応である。Altman氏は「ペンタゴンがDPAでこれらの企業を脅すべきではないと個人的に思う」とCNBCに語り、「Anthropicとの間にどれだけ意見の相違があっても、彼らを企業として大体において信頼しているし、安全性を本当に気にかけていると思う」と述べた。自社の商業的ライバルを公に擁護するという行動は、この問題がAI産業全体にとって持つ意味の大きさを示唆している。

この連帯は個人レベルでも広がっている。GoogleとOpenAIの従業員330人以上が「We Will Not Be Divided(分断されない)」と題した公開書簡に署名し、「我々のモデルを国内の大規模監視や人間の監視なき自律的殺傷に使う許可を求めるペンタゴンの要求を拒否し続ける」よう各社の経営陣に求めた。

AD

「テクノロジーを信じろ」では済まない技術的現実

「ある程度は軍を信頼しなければならない」というMichael氏の発言は、この論争の本質を映し出している。ペンタゴンの主張は、既存の法律とポリシーが違法な利用を防いでいるのだから、民間企業が追加の制限を設ける必要はない、というものだ。

Amodei氏の反論は技術の能力と限界の双方に根差している。監視については、AIが「散在する、個々には無害なデータを統合して、あらゆる人物の生活の包括的な像を——自動的かつ大規模に——構築できる」と述べ、「法がAIの急速に成長する能力に追いついていないがゆえに」これが合法的に可能になっていると主張した。つまり「合法」であることが「適切」であることを意味しないという論点提起である。

自律型兵器についてはより直截だ。「今日のフロンティアAIシステムは、完全自律型兵器を動かすために十分な信頼性を持っていない」とAmodei氏は述べ、「高度に訓練された米軍の兵士たちが日々発揮している判断力を、自律型兵器は代替できない」と主張した。Anthropicはこのギャップを埋めるためのR&Dでペンタゴンと直接協力することを提案したが、ペンタゴン側はこの申し出を受け入れなかったという。

ここに表出しているのは、AIの能力に関する本質的な認識のズレである。ペンタゴンは「将来への備え」と「中国への対抗」を理由に、今後の利用拡大を制約されたくないと考える。Anthropicは、現時点の技術的信頼性では人間のループからの完全な排除は危険だと主張する。どちらの立場にも一理あるが、その帰結として問われているのは、「AIの利用限界を誰が決めるべきか」という、技術と民主主義統治の根幹に関わる問いである。

「AI安全性」ビジネスモデルの試練

Amodei氏は2021年、OpenAIを離れてAnthropicを創業した。OpenAIの安全性への取り組みが不十分だという信念がその動機だったとされる。以来、Anthropicは「責任あるAI開発」を企業アイデンティティの中核に据え、その差別化によって3,800億ドル(約57兆円)という巨額のバリュエーションを獲得してきた。

この対立は、まさにそのビジネスモデルの耐久試験となっている。ペンタゴンの要求に屈すれば、Anthropicの存在理由たるブランドが傷つき、従業員や顧客の離反を招く可能性がある。拒否すれば、短期的には2億ドル規模の契約を失い、長期的には政府取引に依存する他企業との協業機会からも締め出されるおそれがある。CNBCが報じたように、これは「どう転んでも負け」のシナリオである。

しかし視点を変えれば、Anthropicの選択は「安全性を掲げるAI企業が、その原則をどこまで維持し得るか」の試金石として、産業全体の信頼性の指標になり得る。合法であればすべて許容するのか、技術の能力と限界を踏まえた追加的な制約が必要なのか。その答えは、AIの軍事利用に限らず、民間における監視技術の普及や、自動化された意思決定の範囲というより大きな問いへと接続している。

Amodei氏は声明をこう結んだ。「国防省がAnthropicのオフボーディングを選択された場合、我々は他のプロバイダーへの円滑な移行を支援し、進行中の軍事計画や作戦、その他重要な任務の中断を回避する」。静かな言葉だが、その意味するところは明らかだ。この技術がなくても軍は機能するが、この原則がなければAI産業は機能しないと、Amodei氏はそう賭けている。


Sources