洋上風力や太陽光の発電量を増やすたびに、英国は余った電力をどこに溜め込むかという壁にぶつかってきた。季節をまたいで大量の電力を貯める手段がなければ、再生可能エネルギーの拡大はいずれ頭打ちになる。その答えになりうる場所が、皮肉にも石油とガスを掘り尽くした後の北海の海底だ。英ダラム大学(Durham University)の研究チームは、枯渇した油田・ガス田をグリーン水素の貯蔵庫に転用すれば、英国の2040年時点の年間電力需要の7年分以上に相当する3,659TWhを蓄えられると試算した。だが現時点で具体化しているCentricaのRoughガス田転用計画の貯蔵容量はわずか10TWhで、理論値の0.3%に満たない。

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北海の枯渇油田が秘める英国7年分の水素

英ダラム大学のエネルギー研究拠点Durham Energy Instituteに所属するZongtai Zhang氏を筆頭著者とする6人の研究チームが、学術誌Applied Energyに発表した論文で、北海の枯渇油田・ガス田に建設可能な水素貯蔵設備の総容量を3,659TWhと算出した。この数値は英国の2040年時点で想定される年間電力需要の7年分以上に相当するという。研究チームは半時間単位の発電・需要データを用い、電気自動車やヒートポンプ、データセンターの普及拡大を織り込んだ英国電力システムのデジタルツインを構築してモデル化したと報じられている。この研究自体は2026年6月中旬に発表されており、今回参照したTech Xploreの記事は同年8月24日にThe Conversation経由で再掲載されたものだ。

試算によれば、貯蔵容量を最大限活用する高貯蔵シナリオでは、2040年までに従来型のガス火力発電所を完全に廃止できる可能性がある。一方、塩洞窟を中心とする現行の貯蔵計画のままでは容量が不足し、余剰となった再生可能エネルギーの電力を十分に活かしきれないという。全シナリオに共通して、ガス火力が英国の発電量に占める割合は2030年までに約1%まで落ち込むとの試算もある。

「7年分」という表現の規模感を掴むために、単純計算で逆算してみる。英国の年間電力消費量は2024年時点で約280〜320TWhとされる。3,659TWhがこの7年分以上に相当するという研究の説明を割り戻すと、2040年時点の想定年間需要はおよそ520TWh超となり、現在の1.6〜1.8倍程度への拡大が前提になっている計算だ。この数値自体は研究チームが直接公表した値ではないが、これらの需要増加要因によって電力需要そのものが今より大きく膨らむという想定が、貯蔵規模の議論の土台にあることがうかがえる。

枯渇油田はなぜ水素の貯蔵庫になり得るのか

枯渇した油田・ガス田が貯蔵候補になるのは、数百万年にわたって石油や天然ガスを地下に閉じ込めてきた地層そのものが、気体を漏らさない構造を証明済みだからだ。石油や天然ガスが長期間逃げずに溜まっていたということは、上部を覆う遮蔽層が高い気密性を持つことを意味し、既存の坑井やパイプラインをそのまま転用できれば新規の掘削・敷設コストも圧縮できる。北海ではこの発想に基づき、枯渇した炭化水素貯留層を天然ガスの貯蔵に再利用してきた実績がある。

ただし、この実績は天然ガスに限られており、水素での長期運用実績はまだ存在しない。水素貯蔵をめぐっては、地層内に生息する微生物が水素を代謝してメタンや硫化水素に変換してしまう懸念、貯留層の遮蔽層が水素分子のように小さな分子まで長期間閉じ込め続けられるかというシール性の懸念、そして地層内の圧力を一定に保つために常時残しておく緩衝用のガス(クッションガス)の確保量といった技術的な論点が存在する。天然ガスでの転用実績はこうした水素固有の課題を検証したものではない。3,659TWhという理論値の大きさと、実際に運用できるかどうかは切り分けて捉える必要がある。

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Roughガス田の10TWhが映す実装の距離

北海で水素貯蔵に向けた開発が具体的に動いているのは、現時点でRoughガス田の転用計画だけだ。英エネルギー大手Centricaは、英政府との規制支援の枠組み合意を条件に20億ポンド(約4,340億円、2026年8月25日時点のGBP/JPYレート換算)を投じ、Roughを天然ガスと水素双方の長期貯蔵拠点に転用する方針を示しており、実現すれば水素貯蔵容量が10TWh増える見通しだという。規制の枠組みが固まっていない段階であり、投資は確定済みではない。研究が示した理論的な潜在能力3,659TWhと比べると、この10TWhは0.3%に満たない規模にとどまる。

同ガス田は英国最大の天然ガス貯蔵基地として稼働してきたが、2017年に安全上の懸念から一度閉鎖され、2022年に縮小した容量で部分再開した経緯がある。枯渇した炭化水素貯留層の再利用自体に技術的な前例はあるものの、それは天然ガス向けの話であり、水素での転用を具体的に検討していると公表した北海の油田・ガス田は、現時点でRough以外に見当たらない。3,659TWhの理論値をどこまで具体的な開発計画に落とし込めるかは、Rough以外の油田・ガス田でも同様の転用が採算に乗るかどうかにかかっている。少なくとも今回参照した資料の範囲では、北海全体を開発する場合の総コスト試算は確認できない。

研究チームはまた、塩洞窟中心の現行計画のままでは貯蔵容量が不足し、余剰となる再生可能エネルギーの電力を十分に活用できなくなると指摘している。枯渇油田がもつ3,659TWhという理論上の容量は、この不足分の受け皿になり得る選択肢として位置づけられる。どちらの経路が優先されるにせよ、今のところ具体的な開発計画として動いているのはRough1件だけであり、その先の展開は今後の個別プロジェクトの発表を待つしかない。

塩洞窟2,150TWhとの比較で見る英国の水素政策

英国の水素貯蔵政策はこれまで、地質的に技術実績のある陸上の岩塩層(塩洞窟)を中心に据えてきた。塩洞窟に適した岩塩層はCheshire・Wessex・東海岸(East Coast)の3地域に分布し、2022年の学術研究(Williams et al., Journal of Energy Storage誌)は、この3地域を合わせた英国全体の塩洞窟貯蔵容量を最大2,150TWh(水素量64百万トン超に相当)、東海岸地域だけでも1,465TWhと試算していた。ところが2026年に発表された別の研究(Garvey et al., Geoenergy誌)は、東海岸地域について既存・計画中の産業・社会・環境上の土地利用制約を組み込んで再評価し、実際に開発できる貯蔵容量を東海岸だけで22〜48TWhへ、約95%下方修正した。今回のダラム大学の研究が示した枯渇油田・ガス田の3,659TWhは、下方修正前の英国全体の理論値さえも上回る規模だが、両者は土地利用制約を組み込んだかどうかという算出条件が異なる数字であり、同じ土俵で比べた値ではない。

両者の適性が異なる点も見逃せない。岩塩層はソルーション採掘(水で岩塩を溶かして空洞を作る工法)によって空洞の形状を人為的に調整できるため、水素の出し入れを短い周期で頻繁に繰り返す用途に向くとされる。一方の枯渇油田は既存の地質構造をそのまま使うため空洞の自由度は低いが、坑井やパイプラインという地上設備を流用できる分、季節をまたぐ大容量・低頻度の貯蔵に適するとされる。両者は競合するというより、短期変動用と季節貯蔵用で役割が分かれる関係に近い。

英政府は2022年4月のエネルギー安全保障戦略で、2030年までに低炭素水素の生産能力を最大10GWとする目標(費用対効果などを条件とする野心)を掲げた。従来目標の5GWから倍増した水準で、少なくとも半分を電解水素で賄うとしており、貯蔵インフラの整備はこの生産目標全体を支える前提条件になる。

この目標はあくまで水素の生産能力に関するものであり、貯蔵容量に関する数値目標は示されていない。生産側の10GWという政府目標と、貯蔵側の3,659TWh・2,150TWhという学術研究の試算は、これまで異なる文書の中でそれぞれ語られてきたことになる。ダラム大学の研究が示した3,659TWhという数字は、この生産目標と貯蔵能力を接続する材料の一つになり得る。ダラム大学工学部のChris Groves教授は、水素は単独の燃料としてではなく再生可能エネルギー・電解・貯蔵・発電所を含む柔軟なシステムの一部として機能すべきだという趣旨を述べたとされる。

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日本企業が去った北海に見る、次のエネルギー転換

北海油田をめぐっては、日本企業もこの海域から撤退した経緯がある。ENEOSグループのJX石油開発は2021年11月26日、北海で原油生産を手がけていた完全子会社の全株式を英Neo Energyへ売却することで合意したと発表した。合意時点の企業価値ベースの基準額は16億5,500万ドル(当時約1,885億円)だったが、借入金・運転資金などを調整した実際の譲渡価額は4億3,300万ドル(約533億円)で、2022年3月29日に取引が完了し、低炭素社会に向けたポートフォリオ転換の一環と説明された。この譲渡価額は、CentricaがRough転用に投じるとする20億ポンド(約4,340億円)の1割強にとどまり、石油資産の売却額と水素インフラへの投資規模の間にある大きな差を映している。

今回のダラム大学の研究が示すのは、日本企業などが撤退した後の北海の油田・ガス田インフラが、次のエネルギー転換の舞台になり得るという可能性だ。3,659TWhという理論値を実際の開発計画に落とし込む次の一歩は、Centricaに続く事業者がRough以外の油田・ガス田でも同種の転用を具体化できるかどうかだ。

Stuart Jones教授(Durham Energy Institute共同所長)は、水素は英国にとって輸入に頼らない主権的資産になり得ると述べたと伝えられている。Groves教授が説いた「柔軟なシステムの一部としての水素」という位置づけを北海全体で実証するには、微生物によるガス変換やシール性、クッションガスの必要量といった技術的な論点について、Rough以外の地点でも地質調査とパイロット事業を積み重ねる必要がある。3,659TWhと10TWhの差を埋める最初の材料は、その先行事例がいつ・どこで動き出すかに集約される。