1982年3月1日、ソ連の探査機ベネラ13号が金星の地表に着陸した。設計寿命は32分。実際には127分間、カメラと分光計を動かし続けたが、やがて465℃の熱と92気圧の大気圧に屈した。それから40年以上が経った今も、金星の地表で数時間以上動き続ける電子回路は存在しない。

原因は単純だ。シリコンという材料そのものが、高温で「半導体」であることをやめてしまう。シリコンのバンドギャップは1.12 eV。温度が上がると熱エネルギーで電子が価電子帯から伝導帯へ飛び出し、本来絶縁されているべき領域に電流が漏れ始める。おおむね250℃を超えると、トランジスタのオンとオフの区別がつかなくなり、集積回路としては機能しなくなる。

この壁を越える候補として、炭化ケイ素(SiC)が研究されてきた。4H-SiCのバンドギャップは約3.26 eVと、シリコンの約3倍に達する。熱で励起される電子の数が指数関数的に少ないため、原理的にははるかに高い温度まで半導体としての性質を保てる。実際、NASA Glenn Research CenterのPhilip Neudeckらは1998年にSiC JFET(接合型電界効果トランジスタ)によるデジタル論理ゲートの600℃動作を初めて報告し、2017年には460℃、9.3 MPaの金星模擬環境で521時間の連続動作を達成した。

しかし、これらの成果には共通の制約があった。エピタキシャル成長膜を用いた特注プロセスに依存しており、量産ラインへの移植が困難だったのだ。

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イオン注入が抱えていた「2つの致命傷」

半導体の量産において、不純物を結晶中に導入する標準的な手法はイオン注入である。加速したイオンを結晶表面から打ち込み、所望の領域にドーピングを行う。シリコン集積回路の製造では数十年にわたって使われてきた成熟技術であり、既存の製造装置がそのまま使える。

SiCに対してもイオン注入は試みられてきたが、JFETの作製には2つの深刻な問題があった。

第一に、閾値電圧の制御不能。イオンを結晶に打ち込む際、イオンが結晶軸に沿って深部まで貫入する「チャネリング」という現象が起きる。設計通りの深さに留まるはずの不純物が、想定より深くまで入り込む。従来のトップゲート構造(ゲートをチャネルの上に置く設計)では、この貫入分がチャネルの不純物濃度を変え、閾値電圧が設計値から2V以上もずれていた。トランジスタの閾値電圧は、回路の動作点を決める最も基本的なパラメータである。これが2Vもぶつければ、複数のトランジスタを組み合わせた集積回路の設計は成立しない。

第二に、高温での基板リーク。従来の素子は半絶縁性SiC基板上に作製されてきた。半絶縁性基板は室温では高い絶縁性を示すが、温度が上がると基板自体に熱的に生成されたキャリアが増え、素子間を流れるリーク電流が膨らむ。600℃近傍では、このリークが信号電流に匹敵する規模になり、回路としての機能が失われる。

この2つが、イオン注入によるSiC高温集積回路の実用化を阻み続けていた。

ゲートを「下に置く」という逆転の発想

金子准教授と柴田峻弥修士課程学生(研究当時)、木本恒暢教授の研究グループは、この2つの問題を同時に解く構造を考案した。2026年8月17日にAPL Electronic Devicesに招待論文として掲載された成果である(DOI: 10.1063/5.0346734)。

核心的な工夫は、ゲート電極をチャネルの「下」に置くことだ。

従来のトップゲート構造では、イオン注入でチャネル領域を形成する際、チャネリングによって不純物がチャネルより深い位置まで貫入すると、チャネルの実効的な不純物濃度が設計からずれる。ボトムゲート構造では、ゲート層をチャネルの下方に予め形成しておく。イオンがチャネリングで設計より深く入っても、そこにはゲート層が待ち受けている。貫入した不純物はゲート層の一部として吸収され、チャネルの濃度プロファイルには影響しない。

金子准教授は「ゲートをチャネルの下に置くことで、注入時のイオンチャネリングによる歪みを吸収できる」と説明している。

この設計により、400℃における閾値電圧の設計値と実測値の差は0.1V未満に収まった。従来構造の2V超のずれと比べれば、20倍以上の改善である。

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基板を「信頼しない」分離構造

もう一つの工夫は、ダブルウェル構造による素子分離だ。

従来の素子は半絶縁性SiC基板の絶縁性に依存して素子間を電気的に隔離していた。半絶縁性基板は、室温では十分に高い抵抗率を持つが、温度上昇に伴って真性キャリア濃度が増大し、絶縁性が劣化する。これは材料の固有性質であり、素子構造の工夫だけでは回避できない。

研究グループは、発想を転換した。基板を絶縁体として「信頼する」のをやめ、pn接合によって素子を能動的に囲い込む構造を採用した。各トランジスタをp型ウェルとn型ウェルの二重構造(ダブルウェル)で包み、基板との間に逆バイアスのpn接合を形成する。この接合が高温でも空乏層を維持し、基板経由のリーク電流を遮断する。

結果、600℃でのリーク電流は、従来構造の素子が400℃で示す値よりも1桁小さくなった(比較元・比較先の絶対値は、確認できた公表資料では示されていない)。残存するリークの活性化エネルギーが4H-SiCのバンドギャップの約半分(約1.6 eV)に一致することを確認した。これは、リークがSiCの真性熱生成、すなわち材料そのものが持つ理論的下限に到達したことを意味する。素子構造の改良でこれ以上リークを下げる余地は、原理的にほぼ残されていない。

項目 従来構造(トップゲート+半絶縁基板) 本研究(ボトムゲート+ダブルウェル)
閾値電圧の設計偏差(400℃) 2 V超 0.1 V未満
リーク電流(動作温度) 400℃で既に問題になる水準 600℃で従来400℃値の1/10以下(絶対値は未公表)
リークの律速要因 基板の半絶縁性劣化 SiCの真性熱生成(理論下限)
製造プロセス エピタキシャル成長(特注) イオン注入(標準量産工程と互換)
動作実証温度 500℃(NASA、回路レベル) 600℃(素子レベル)

NASAの5000時間実績と「量産互換性」という別の軸

高温SiC集積回路の分野で最も進んでいるのは、NASA Glenn Research Centerの実績である。Neudeckらのチームは、175個以上のトランジスタを集積したSiC JFET集積回路を500℃の大気中で5000時間以上連続動作させ、さらに460℃、9.3 MPaの金星模擬環境で521時間の動作を達成している。ただし、これらの素子はエピタキシャル成長膜と抵抗体を同じSiC層に形成する独自プロセス(JFET-resistor技術)で製造されており、量産設備への展開は想定されていない。

京都大学の成果は、動作温度の絶対値(600℃)でNASAの実証温度(500℃)を上回るが、現時点では単一素子の特性評価にとどまり、回路としての長時間動作は未実証である。両者は競合というより、異なる軸で課題を攻略している。NASAが「回路の長期信頼性」を、京都大学が「量産プロセスとの互換性」を、それぞれ正面から攻めている構図だ。

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600℃の先に残る3つの課題

このトランジスタは現在、ノーマリーオン(ゲート電圧ゼロで電流が流れる)で動作する。低消費電力の論理回路を構成するには、ゲート電圧ゼロで電流が止まるノーマリーオフ素子が必要だ。木本教授のグループはすでに350℃で相補型SiC JFET論理ゲートを実証しており、新構造でのノーマリーオフ化が次の目標となる。

第二に、長時間信頼性。600℃での連続動作が何千時間維持できるかは未検証である。NASAの素子が500℃で5000時間を超えても特性変化が10%未満だったのに対し、600℃では材料劣化や配線の酸化がより速く進む。

第三に、実装とパッケージング。素子自体が600℃に耐えても、それを囲む封止材や配線材料、基板が同じ温度に耐えられなければ意味がない。

金星の地表で数日間にわたって気象観測や地震観測を行うという構想は、まだ「材料の理論的可能性」の段階にある。しかし、標準的なイオン注入工程で閾値電圧を0.1Vの精度で制御できるという事実は、SiC高温集積回路が研究室の特注品から、設計ルールに基づく量産技術へと移行しうることを示す成果となった。600℃という数字の重みは、その温度自体よりも、そこに至る道が「既存の製造インフラの上にある」という点にある。