原子核の直径はおよそ数フェムトメートル(1フェムトメートルは10のマイナス15乗メートル)。ネオン20原子核なら、その大きさは約6フェムトメートルだ。この微小な空間に10個の陽子と10個の中性子が詰め込まれている。物理学の教科書は、この核子をほぼ均一な球として描く。電子がその周囲を回る姿は、原子の標準的なイメージとして定着してきた。
しかし、すべての原子核が球ではない。1937年、ドイツの物理学者Wilfried Wefelmeierは、陽子数と中性子数が等しい偶偶核(、、など)がα粒子(ヘリウム4の原子核)の分子状的な配置で安定化している可能性を提唱した。John Archibald Wheelerもほぼ同時期に類似のクラスター模型を発展させている。以来およそ90年、αクラスター構造は核構造物理学の重要なテーマであり続けた。
については、4個のα粒子が正四面体の頂点に配置する構造が1979年にD. Robsonによって実験的に示唆された(Phys. Rev. Lett. 42, 876)。は、この正四面体構造に5番目のα粒子が対称軸上に付加した形、すなわちボーリングのピンのような形状を持つと予測されている。
量子力学が課す「見えない壁」
問題は、この形状を直接観測するのが極めて難しいことだ。原子核は量子力学的な対象であり、角運動量がゼロの基底状態では、すべての向きが等確率で重ね合わされる。実験室系で静止した原子核を測定しても、非球状の核は常に球として見える。これは量子力学の基本原理から来る制約で、測定技術の精度を上げても解決しない。
従来の低エネルギー核分光実験は、クーロン励起による四重極モーメントの測定などを通じて間接的に変形を推定してきた。の分光四重極モーメントは ebと測定され、これは変形パラメータに対応する。核図表全体で見ても最大級の変形だ。比較すると、の変形パラメータはにすぎない。ネオン20はウラン238の約3倍の変形を持つ。
しかし、低エネルギー実験は励起状態への遷移を経由するため、基底状態の幾何学的形状を直接「撮像」しているわけではない。核構造模型による解釈が介在する。
衝突の「飛び散り方」に形状が刻まれる
では、どうすれば基底状態の形状をより直接的に探れるか。2020年、パリ=サクレー大学のGiuliano Giacaloneは、超相対論的重イオン衝突の集団フローが核の変形に敏感であることを理論的に示した(Phys. Rev. C 102, 024901)。この手法の原理は次のようなものだ。
二つの原子核が光速に近い速度で正面衝突すると、衝突領域にクォーク・グルーオンプラズマ(QGP)と呼ばれる高温高密度の物質が生成される。この物質は流体として振る舞い、初期の空間的非対称性を運動量の非対称性に変換する。つまり、衝突前の核の形状が、衝突後に飛び出す粒子の角度分布に「転写」される。
具体的には、生成粒子の方位角分布をフーリエ展開したときの係数、すなわちフロー調和 が観測量になる。二次の係数 (楕円フロー)は初期衝突領域の楕円性に、三次の係数 (三角フロー)はエネルギー密度のゆらぎに敏感だ。
この手法の初の実証は、米国BNLのRHIC加速器でSTAR共同実験が衝突について行った。とほぼ球形のの衝突を比較し、、三軸性パラメータを抽出した。低エネルギー実験の結果と一致し、さらに基底状態の三軸性を初めて直接測定した成果となった。
質量が近く形が違う、酸素とネオンの「対照実験」
2025年7月、LHCは数日間にわたり酸素-酸素(OO)およびネオン-ネオン(NeNe)の衝突運転を実施した。核子あたり重心系エネルギーは5.36 TeV。CMS検出器はOO衝突で7 nb、NeNe衝突で0.8 nbの積分ルミノシティを収集した。
とが比較対象として選ばれた理由がある。両者は質量数が近く(16と20)、衝突後の流体的進化が類似している。したがって、両者のフローの比を取れば、終状態の効果の多くが相殺され、初期状態の幾何学的差異が浮かび上がる。しかも、両核の構造は第一原理計算(ab initio)によってよく制約されている。は正四面体型、はボーリングのピン型。この予測の差異が、フロー比にどう現れるかが焦点だった。
CMS共同実験は、荷電粒子の二粒子相関および四粒子相関から と を抽出し、衝突の中心度(衝突の正面度合い)の関数として測定した。
楕円フローが語る変形、三角フローが残す謎
結果は明瞭だった。 のNeNe/OO比は、周辺衝突ではほぼ1だが、中心衝突に向かって上昇し、最も正面に近い衝突で約1.08に達した。これは、の変形した形状が衝突領域の初期幾何に追加の楕円性をもたらし、それが流体応答を通じて楕円フローを増強するという描像と整合する。
| 観測量 | 周辺衝突(50%) | 中心衝突(0〜5%) | 物理的含意 |
|---|---|---|---|
| 比(NeNe/OO) | ≈1.0 | ≈1.08 | の変形が楕円フローを増強 |
| 比(NeNe/OO) | ≈1.06 | ≈1.0に低下 | 初期ゆらぎの記述が不十分 |
| (PbNe/PbAr, LHCb) | (未測定) | 1.40 ± 0.06 | 別手法でも変形を確認 |
一方、 の比は周辺衝突で約1.06から始まり、中心衝突に向かって低下した。この傾向自体は観測されたが、流体モデルによる定量的な予測とは一致しなかった。CMS共同実験は論文で「三つの模型計算のいずれも、測定された 比を定量的に再現できておらず、小型衝突系における初期状態ゆらぎの改善された扱いが必要である」と述べている。
この不一致は、 が主として核子配置の事象ごとの統計的ゆらぎに由来するため、核の平均的な形状よりも微視的な構造の詳細に敏感であることを示唆している。の正四面体構造が特定のゆらぎパターンを生む可能性も指摘されているが、定量的な理解には至っていない。
LHCbの固定標的実験が独立に確認した変形
同じ時期に、LHCb共同実験も独立した手法での形状に迫っている。LHCbはSMOG2ガス標的システムを用い、鉛ビームとネオンガス、およびアルゴンガスの固定標的衝突( = 70.9 GeV)を2024年11月に収集した。アルゴン40はほぼ球形と期待されるため、PbNeとPbArの比較がの変形を分離する。
結果、最も中心度の高い衝突で (PbNe)は (PbAr)の1.40 ± 0.06倍に達した。この大きな差は、のボーリングのピン型形状がもたらす初期衝突領域の強い楕円性と整合する。LHCbの結果は2025年9月にarXiv(2509.12399)で公開された。
| 実験 | 手法 | 衝突系 | エネルギー | 主な結果 |
|---|---|---|---|---|
| CMS(本研究) | ビーム-ビーム衝突 | OO / NeNe | 5.36 TeV/核子対 | 比が中心衝突で≈1.08に上昇 |
| LHCb | 固定標的(SMOG2) | PbNe / PbAr | 70.9 GeV/核子対 | がPbNeで1.40 ± 0.06倍 |
| ALICE | ビーム-ビーム衝突 | OO / NeNe | 5.36 TeV/核子対 | 幾何駆動フローを初めて観測 |
| STAR(先行研究) | ビーム-ビーム衝突 | U+U / Au+Au | 193〜200 GeV/核子対 | を抽出 |
粒子加速器が核構造の探針になる日
本研究が示したのは、高エネルギー衝突の集団フローが核の基底状態幾何に対して本当に敏感であるという事実だ。の変形という、低エネルギー分光で間接的に推定されてきた性質が、まったく異なるエネルギー領域の実験で独立に確認された。
ただし、現時点で得られているのは定性的な確認にとどまる。フロー測定から変形パラメータの精密値を抽出するには、初期状態の事象ごとのゆらぎ、流体的進化の模型、核構造の入力(ab initio計算の精度)のすべてを改善する必要がある。CMS論文の著者たちは「これらの結果は、軽イオン衝突における集団フローが初期幾何と流体的媒質応答の両方に敏感であることを確立した」と記す一方、「変形の定量的決定には、さらなる専用研究が必要である」と留保を付けている。
残された問いは三つある。第一に、 の不一致を解消する初期状態ゆらぎの理論的記述。第二に、フロー測定から変形パラメータをモデル依存的に抽出する手法の確立。第三に、この手法を他の核種(の三角構造やの八重極変形など)へ拡張した場合の検証だ。
1937年にWefelmeierが紙の上で描いたα粒子の幾何学的配置が、約90年後にテラエレクトロンボルトの衝突で読み出される。核物理学と素粒子物理学の境界に、新しい実験領域が生まれつつある。
