電池の研究者たちが、ある粒子を10年近く「厄介者(troublemaker)」と呼び続けてきた。水系亜鉛イオン電池の電極に潜り込むプロトン()のことだ。プロトンは極めて小さく、電極内を素早く移動できる。一見すると理想的な電荷の運び手だ。ところが実際には、プロトンが電極表面に殺到すると塩基性硫酸亜鉛などの副生成物が析出し、亜鉛イオンの通り道を塞いでしまう。容量は落ち、電池は劣化する。だから研究者たちは、プロトンを電極から締め出す方法を競って開発してきた。
2026年7月、KAIST化学科のSarah S. Park教授率いる研究チームは、この常識を真逆からひっくり返した。プロトンを排除するのではなく、亜鉛イオンの「あとから」入れるよう分子レベルで順番を制御すれば、プロトンもまたエネルギーを蓄える主役になれる。チームが開発した2次元導電性MOF電極は、0.5 A/gの電流密度で368.7 mAh/gという高容量を記録し、充放電速度を16倍に上げても初期容量の46.9%を維持した。500回以上の急速充放電サイクル後も性能は崩れていない。論文は査読付き国際誌Chemに掲載された(DOI: 10.1016/j.chempr.2026.103129)。
安全で安いが「遅くて少ない」、水系亜鉛イオン電池の二重の壁
水系亜鉛イオン電池は、有機溶媒の代わりに水を溶媒とする電解液を使う。不燃性であり、リチウムイオン電池のような発火リスクがない。亜鉛は地殻に豊富に存在し、コバルトやニッケルのような供給不安もない。大規模な電力系統向けエネルギー貯蔵(グリッドスケールESS)の候補として、2010年代半ばから研究が加速してきた分野だ。
ただし、実用化を阻む壁が二つあった。第一に、容量が足りない。第二に、充電が遅い。この二つは本来、トレードオフの関係にある。亜鉛イオン()は2価の電荷をもち、電極の結晶格子内を移動する際に強い静電相互作用を受ける。そのため拡散が遅く、高速充放電には向かない。一方、プロトンは半径が小さく移動が速いので、高速応答には有利だ。しかし前述の通り、プロトンが電極に入りすぎると副反応が起きる。
このジレンマに対して、従来の研究は主に二つの路線で対処してきた。一つは電極材料のナノ構造化やドーピングで亜鉛イオンの拡散を加速する手法。もう一つは電解液の添加剤や被覆でプロトン反応を抑制する手法だ。2025年にChemical Society Reviewsに掲載されたレビュー(DOI: 10.1039/D4CS00810C)が整理しているように、プロトンの関与は「容量と速度を上げる一方で、副生成物による劣化を招く」という両義的な役割として理解されてきた。プロトンを「使う」か「抑える」かの二択が、この分野の暗黙の前提だったのだ。
Park教授のチームは、この二択自体を問い直した。問題はプロトンが「入ること」ではなく、「いつ入るか」ではないか。
アミン基が電圧で開閉する「門番」になり、プロトンの入場を管理する
チームが選んだ材料は、2次元導電性MOFのだ。金属有機構造体(MOF)とは、金属イオンと有機分子が規則正しく結合して微細な細孔をもつ結晶性材料の総称で、2025年に北川進(京都大学)、Richard Robson(メルボルン大学)、Omar M. Yaghi(UC Berkeley)の3氏がノーベル化学賞を受賞したことで一般にも知られるようになった。は、銅イオンとHHTATP(2,3,6,7,10,11-ヘキサヒドロキシ-1,5,9-トリアミノトリフェニレン)という有機配位子が平面状に連結した構造をもつ。
この材料の要点は、配位子に組み込まれた3つのアミン基()にある。アミン基はプロトンを受け取ってになりうる塩基性部位であり、特定の電圧以下でのみプロトンと反応する。アミン基は「電圧が下がったときだけ開く門」としてふるまう。
充放電の過程を追うと、こうなる。まず高電圧側で、がMOFの細孔に嵌入する。この段階では電圧がまだ高いため、アミン基はプロトンと反応せず、プロトンは電極の外にとどまる。亜鉛イオンが所定の位置に収まったあと、電圧が下がるとアミン基が活性化し、プロトンが細孔の残りスペースに入り込む。亜鉛イオンがすでに構造を占めているため、プロトンは表面副反応を起こす余地がない。
この順序が逆になると、プロトンが先に電極表面で反応して副生成物を形成し、後から来る亜鉛イオンの移動を妨げる。Park教授はKAISTの公式発表で「これまで電池性能を劣化させる『厄介者』と見なされてきたプロトンが、より多くのエネルギーを蓄えるために使えることを示した。この原理をさまざまな電極材料に応用すれば、より多くのエネルギーを急速に蓄えられる電池の開発につながるだろう」と述べている。
研究チームはX線回折やX線吸収分光などの分析手法を用い、亜鉛イオンが先に、プロトンが後に蓄えられるという二段階の蓄積過程を実験的に確認した。プロトンの嵌入と脱離が繰り返し可能であることも示されている。
電流密度10倍の条件で容量が228から368.7へ増えた
この成果の位置づけを把握するには、同一材料ファミリーの先行研究との比較が有用だ。2019年にNature Communicationsに掲載された研究では、アミン基をもたない類似MOFの(HHTP = 2,3,6,7,10,11-ヘキサヒドロキシトリフェニレン)が水系亜鉛電池の正極として報告されている。その容量は50 mA/g(0.05 A/g)で228 mAh/gだった。
今回のは、0.5 A/gという10倍の電流密度で368.7 mAh/gを達成している。電流密度を上げると容量が下がるのが電池材料の一般的傾向であることを考えると、より厳しい条件で6割以上容量が増えた事実は、アミン基によるプロトン貯蔵の寄与が大きいことを示唆する。
| 指標 | (2019年, Nat. Commun.) | (2026年, Chem) |
|---|---|---|
| 容量 | 228 mAh/g(0.05 A/g) | 368.7 mAh/g(0.5 A/g) |
| 高速率保持率 | 57.9%(80倍の電流密度、4 A/g) | 46.9%(16倍の電流密度、8 A/g) |
| 高速サイクル寿命 | 500サイクル(4 A/gで初期の75%維持) | 500サイクル以上(安定動作確認) |
| プロトン利用 | 意図的な制御なし | アミン基による電圧制御で順序管理 |
他の正極材料系とも比べておこう。二酸化マンガン()は理論的に約308 mAh/g(1電子反応)が上限とされ、実際にはマンガン溶出や構造崩壊が課題だ。バナジウム系酸化物は0.2〜0.3 A/gで400〜500 mAh/gに達する報告があるが、バナジウムの毒性とコストが実用化の障壁になる。は、銅と炭素、窒素、水素、酸素からなる非毒性材料で368.7 mAh/gに到達しており、材料の持続可能性という軸で優位に立つ。
もう一つ数値を補足する。16倍の充放電速度(8 A/g)での容量は368.7 × 0.469 ≈ 173 mAh/gに相当する。これは2019年のが低速(0.05 A/g)で出した228 mAh/gには届かないものの、高速条件下での値としては水系亜鉛電池の正極材料の中で高い水準にある。
グリッドの壁まで残る距離
今回の成果が直接目指すのは、電気自動車ではなく定置型の電力貯蔵だ。水系亜鉛イオン電池は重量あたりのエネルギー密度でリチウムイオン電池に及ばないが、安全性とコストの面でグリッドスケールESSに適する。再生可能エネルギーの出力変動を吸収する用途では、電池1セルあたりのエネルギー密度よりも、システム全体のコストと寿命、安全性が重視される。
ただし、実用化までの距離はまだ長い。まず、500サイクル以上の安定動作は確認されたが、電力系統向けエネルギー貯蔵では数千から数万サイクルの寿命が求められる。今回の論文ではフルセル(正極と負極を組み合わせた完全な電池)での長期評価は報告されていない。半電池(ハーフセル)での結果がフルセルで再現される保証はなく、亜鉛負極側でのデンドライト成長や水素発生といった問題は別途対処が必要だ。
次に、この「イオン蓄積順序の制御」という設計原理が以外の材料系でも成立するかは未検証である。Park教授は「さまざまな電極材料への応用」に言及しているが、現時点でそれは仮説の段階にとどまる。アミン基に代わる官能基で同様の電圧依存ゲートが実現できるか、プロトン以外のイオン(例えばや)にも順序制御を拡張できるかは、今後の研究課題だ。
第一著者のGeunchan Park(POSTECH博士課程)とGyuwon Lee(修士課程)が共同で筆頭著者を務め、査読付き論文としてChemに掲載された事実は、この成果が専門家による検証を経たものであることを示す。それでも、他研究室による追試や、より厳しい条件(高温、高電流密度、長期放置)での再現確認が積み重なるまでは、一つの有力な設計指針として位置づけるのが妥当だろう。
「厄介者」を締め出すのではなく、入場タイミングを管理する。この発想の転換が、水系電池の設計言語そのものを変えつつある。



