世界金融の中心地ロンドンから、現代のゴールドラッシュとも言えるAI(人工知能)ブームに冷や水を浴びせる、極めて重大な警告が発せられた。英国の中央銀行であるイングランド銀行は、2025年10月8日に公表した金融政策委員会(FPC)の議事録において、AI関連テクノロジー企業への熱狂的な投資がもたらす「急激な市場調整」のリスクが増大していると公式に指摘したのである。この警告は、単に株価の過熱を懸念するだけではない。その根底には、2000年前後のドットコムバブル崩壊の記憶を呼び覚ます市場構造の歪み、巨大IT企業間で繰り広げられる「循環取引」という不透明な実態、そして米国の中央銀行の独立性や世界的な債務問題といった、金融システム全体を揺るがしかねない複数の時限爆弾の存在が横たわっている。

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金融政策の番人、イングランド銀行が鳴らす警鐘

中央銀行による警告は、その言葉一つ一つが重みを持つ。特に、世界最大級の金融センターを監督するイングランド銀行の公式見解は、市場参加者にとって無視できないシグナルとなる。今回、FPCが用いた表現は、極めて直接的かつ強い危機感を示すものであった。

公式記録が示す「急激な市場調整」リスクの高まり

FPCの議事録には、現在の金融市場が抱える脆弱性が明確に記されている。その核心は以下の二点に集約される。

第一に、「多くの指標において、特にAIに注力するテクノロジー企業の株価評価は割高に見える」という点だ。これは、現在の株価が企業の実際の収益力や将来の成長性を過度に織り込み、実態から乖離している可能性を示唆している。

第二に、この割高感が「市場インデックス内での集中度の高まりと結びつくことで、AIへの期待が後退した場合、株式市場は特に脆弱な状態に置かれる」という点である。実際に、S&P500指数における上位5社の市場シェアは過去50年で最も高い約30%に達しており、これらの巨大テクノロジー企業の株価が市場全体を牽引する構造となっている。これはつまり、一握りのAI関連企業の動向が、市場全体の安定性を左右する極めて不安定な構造を生み出していることを意味する。

イングランド銀行は「このような世界的なリスクが顕在化した場合、開かれた経済であり世界的な金融センターである英国に重大な影響を及ぼす可能性がある」と結論づけており、この問題が対岸の火事ではないことを強調している。

なぜ今「ドットコムバブル」が引き合いに出されるのか

イングランド銀行は、今回のAIブームを分析するにあたり、歴史的な類似例として「ドットコムバブル」に言及した。具体的には、株価の割高感を測る指標の一つである「CAPEレシオ(景気循環調整後の株価収益率)」から算出される株式益利回りが、「ドットコムバブルのピーク時に匹敵する」25年ぶりの低水準に近づいていると指摘している。

2000年前後に崩壊したドットコムバブルでは、インターネットという新技術への過剰な期待から、収益モデルが確立されていない多くのIT企業の株価が異常な高騰を見せた。しかし、その期待が持続不可能であることが明らかになると、市場は暴落し、多くの企業が倒産、投資家は巨額の損失を被った。

もちろん、当時と現在では状況が異なる部分もある。NVIDIAのような現在のAIブームを牽引する企業は、実際に巨額の利益を上げており、単なる期待先行のドットコム企業とは一線を画す。しかし、イングランド銀行が指摘するように、「AIの能力や導入の進展が期待外れに終わる」「競争が激化し、現在見込まれている高い将来収益が下方修正される」といったリスクシナリオが現実となれば、歴史は繰り返される可能性がある。さらに、「電力、データ、あるいは商品(コモディティ)のサプライチェーンにおける重大なボトルネック」も、AIの進展を阻害する要因として挙げられており、リスクは多岐にわたる。

警告の背景にある3つの時限爆弾

イングランド銀行の警告は、単なるAI株の過熱に対するものではない。その背景には、より根深く、相互に関連し合った三つの構造的なリスクが存在する。これらは、密かに時を刻む時限爆弾のように、世界経済の足元を脅かしている。

【第1の爆弾】AIブームの心臓部で起きる「循環取引」という錬金術

現在のAIブームの異常なまでの拡大を支えているのが、主要プレイヤー間で交わされる「循環取引(Circular Deals)」と呼ばれる、一見すると異様なビジネスモデルである。これは、AI開発企業、半導体メーカー、クラウドプロバイダーが相互に巨額の投資や契約を結び、資金を還流させることで、互いの企業価値と売上を人為的に膨らませていると指摘される構造だ。

その典型的な例が、NVIDIAとOpenAIの関係である。NVIDIAは、OpenAIの巨大データセンター建設計画に最大1000億ドルを投資することに合意。その見返りとして、OpenAIはそのデータセンターをNVIDIA製のチップで埋め尽くす。さらにOpenAIは、クラウド大手のOracleと3000億ドル規模のデータセンター契約を結び、そのOracleはNVIDIAから数十億ドル規模のチップを購入している。

この構図は、さながら「NVIDIAがOpenAIに渡した資金が、Oracleを経由して再びNVIDIAに戻ってくる」という錬金術のようだ。このサイクルの中で、関与する各社の売上と契約額は天文学的に膨れ上がるが、それは必ずしも最終的な消費者や企業からの真の需要を反映したものではない可能性がある。

この循環はさらに広がりを見せる。AMDもまたOpenAIと数十億ドル規模のチップ供給で提携し、OpenAIはAMDの主要株主の一人となる見込みだ。クラウドインフラを提供するCoreWeaveもこのエコシステムに深く関与しており、NVIDIAは同社の主要株主であり、かつクラウドサービスの購入者でもある。そしてOpenAIはCoreWeaveからクラウドサービスを大量に購入している。

こうした相互依存の強い関係は、エコシステム全体を一つの運命共同体にする。もし一つの企業の成長期待に陰りが見えたり、収益化の遅れが露呈したりすれば、その影響はドミノ倒しのように連鎖し、業界全体の評価額を急落させるリスクをはらんでいる。ハーバード大学ケネディスクールの専門家は、今日の状況をドットコムバブル期と比較し、「当時のスタートアップは広告を相互に購入し合うことで成長を偽装していた。今日のAI企業には実体のある製品があるが、その支出は収益化のペースを依然として上回っている」と指摘する。これは、AIブームが砂上の楼閣である可能性を示唆する、極めて重要な指摘である。

【第2の爆弾】米国金融政策の不確実性―FRBの独立性への脅威

驚くべきことに、イングランド銀行の議事録は、英国の金融システムから遠く離れた米国の金融政策、特に連邦準備制度(FRB)の独立性についても懸念を表明している。これは、世界経済がいかに米国の動向に強く結びついているかを示す証左である。

議事録は、「FRBの信頼性に対する認識が急激または大幅に変化した場合、米国のソブリン債市場を含むドル建て資産の急激な価格再評価につながる可能性がある」と警告する。これは、政治的な圧力、例えば時の政権がFRBに対して利下げを強く要求するような事態が、市場の信頼を損なうことへの懸念である。FRBの独立性は、物価の安定と金融システムの安定を支える根幹であり、それが揺らげば、世界中の投資家がドル資産を敬遠し、大規模な資金流出と市場の混乱を引き起こしかねない。このリスクは、AIのようなリスク資産への投資マインドを急速に冷え込ませる直接的な引き金となりうる。

【第3の爆弾】世界に広がるソブリン債務危機のリスク

AIブームというミクロな視点から、イングランド銀行は世界経済というマクロな視点へと分析を広げ、世界的なソブリン債(国債)市場の脆弱性にも警鐘を鳴らしている。地政学的な緊張の高まり、貿易の分断、そして多くの先進国で増大し続ける政府債務が、世界金融システムに大きな圧力をかけていると指摘する。

IMF(国際通貨基金)の予測によれば、先進国のGDPに対する政府総債務残高比率は上昇を続け、2030年には113.3%に達する見込みだ。債務が増大すれば、各国政府は将来の経済ショックに対応する余力がなくなり、金利上昇圧力も高まる。特にフランスや日本のような国々での政治的な不確実性が財政改革を遅らせていることも、リスク要因として挙げられている。

世界的に金利が上昇し、国債市場が不安定化すれば、それは企業や家計の借入コストを押し上げ、経済活動全体を停滞させる。このようなマクロ経済環境の悪化は、いかに有望に見えるAIセクターであっても、その成長期待を根底から覆す破壊力を秘めている。

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加熱する市場と当事者たちの見解―楽観論と懸念の交錯

イングランド銀行が示す深刻なリスクシナリオに対し、AIブームの渦中にいる当事者やアナリストたちの見解は、楽観と悲観の間で大きく揺れ動いている。

渦中のCEOたちが見る未来―Sam AltmanとJeff Bezosの視点

OpenAIのCEOであるSam Altman氏は、最近のインタビューで現在の市場がバブルである可能性を認めつつも、「ブームとバスト(好況と不況)はつきものだ」と、ある種達観した見方を示している。彼は、AIという巨大な技術革新の過程では、過剰な投資や失敗は避けられないという立場だ。

一方、Amazon創業者のJeff Bezos氏は、さらに踏み込み、たとえAIバブルが崩壊したとしても「社会は利益を得る」と主張する。彼の論理は、バブル崩壊という塵が収まった後には、真に価値のある企業や技術が残り、それが社会全体の便益に繋がるというものだ。これは、自らが生き残ったドットコムバブルの経験則に基づいた発言であり、今回のAIブームも長期的に見れば社会に巨大な利益をもたらすという強い確信の表れである。

アナリストたちの警鐘―「米国経済はAIへの一大ベット」

しかし、より客観的な立場のアナリストや経済学者からは、厳しい見方が相次いでいる。投資家のRuchir Sharma氏は、米Financial Times紙への寄稿で「米国経済はAIへの一つの大きな賭けと化した」と述べ、2025年の米国株上昇の80%がAI関連企業によるものだと指摘。このAI主導の株高が富裕層の消費を刺激し、経済成長を牽引している一方で、経済全体が極めて特定のセクターに依存する危険な構造になっていると警告した。

この見方を裏付けるように、元ホワイトハウス経済諮問委員会委員長のJason Furman氏は、2025年上半期の米国GDP成長の実に92%がAI投資によるものだと試算している。これは、AIブームがなければ米国経済は停滞していた可能性を示唆しており、まさに「AI一本足打法」とも言える状況だ。

さらに、AIの収益性に対する根本的な疑問も投げかけられている。マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者によるレポートでは、企業が導入したAIパイロットプログラムのうち、明確な収益向上に繋がったのはわずか5%に過ぎないと報告され、投資家の間に衝撃が走った。AIへの巨額投資が、果たしてそれに見合うだけの生産性向上や利益を生み出すのか。その答えは、まだ誰にも分かっていない。

我々は歴史の分岐点にいるのか?

イングランド銀行が発した警告は、単に市場の過熱を指摘する以上の、深い意味合いを持つ。それは、我々が今、テクノロジーと金融が複雑に絡み合う歴史的な転換点に立っていることを示唆しているからだ。

ドットコムバブルの崩壊は、多くの投機家を破滅させ、経済に大きな傷跡を残した。しかし、その瓦礫の中からAmazonやGoogleといった、その後の世界を定義する巨人が現れたこともまた事実である。歴史は、技術革新がしばしば過剰な期待と投機的なバブルを伴い、その後の「創造的破壊」を経て社会に定着していくことを教えている。

今回のAIブームも、同様の道を辿るのだろうか。イングランド銀行の警告は、その道のりが決して平坦ではないことを我々に突きつけている。特に、企業間で資金を還流させる「循環取引」という構造的な歪みは、ドットコムバブル期には見られなかった現代的なリスクであり、その崩壊がもたらす影響は未知数だ。

我々投資家、そして一人の消費者として今見極めるべきは、熱狂の先にある本質である。「AIは具体的にどのような生産性向上を社会にもたらすのか」「AI企業のビジネスモデルは、循環取引に依存しない、持続可能な収益化への道筋を描けているのか」「現在の株価は、その本質的な価値を正しく反映しているのか」。

イングランド銀行の警告は、決してAIの未来を否定するものではない。むしろ、この革命的な技術が健全な形で社会に根付くために、一度立ち止まり、足元に潜むリスクを直視せよという、冷静かつ責任あるメッセージである。熱狂が醒めた後に何が残るのか。その答えは、これからの市場と我々自身の判断に委ねられている。


Sources