中国のデジタル言論空間が、新たな転換点を迎えている。2025年10月下旬、中国政府はソーシャルメディアのインフルエンサーに対し、医学、法律、教育、金融といった専門性の高いトピックについて発信する際に、大学の学位や専門資格の保有を義務付ける新規則を施行した。この動きは、インターネット上に蔓延する偽情報への対策という世界共通の課題に一石を投じる一方、国家による言論統制をさらに強化するものではないかとの深い懸念も生んでいる。

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中国、インフルエンサーに「資格証明」を義務化―新時代の幕開け

この規制を主導するのは、中国のサイバーセキュリティとオンラインコンテンツを監督する強力な機関、国家インターネット情報弁公室(Cyberspace Administration of China, CAC)だ。 2025年10月25日もしくは26日から施行されたこの新規則は、影響力の大きいオンラインクリエイターが特定の専門分野について語る際、その発言の信頼性を「資格」によって担保することを求めるものだ。

規制の対象となるのは、以下の4つの主要分野である。

  • 医療・健康: 医師免許などを持たない者が、病気の診断や治療法について発信すること。
  • 金融: 投資アドバイスや市場分析など、専門知識を要する情報。
  • 法律: 法的解釈や判例解説など。
  • 教育: 教育理論や学習指導法に関する内容。

インフルエンサーは、これらの分野でコンテンツを公開する前に、関連する学位、専門的なライセンス、あるいは公式な認定証をプラットフォームに提示し、認証を受けなければならない。

この義務はインフルエンサー個人に留まらない。Weibo(微博)、Douyin(抖音、TikTokの中国版)、Bilibili(哔哩哔哩)といった中国の主要ソーシャルプラットフォームもまた、コンテンツクリエイターの資格情報を検証し、不適格な者による専門的コンテンツの公開を制限するという「門番」としての重い責任を負うことになる。

さらに、今回の規制はコンテンツの透明性確保にも踏み込んでいる。

  • AI生成コンテンツの明示: AIを用いて生成されたコンテンツは、その旨を明確に表示することが義務付けられた。
  • 引用元の明記: 科学的な研究や論文などを参照する場合は、その出典を正確に示す必要がある。
  • 広告の厳格化: 特に医療分野において、健康食品やサプリメントなどを「教育的コンテンツ」と偽って宣伝する、いわゆるステルスマーケティングが厳しく禁止された。

これは、単なる個人の発言を規制するに留まらず、情報が生成され、流通し、消費されるプロセス全体にわたって、国家が介入し基準を設けるという、より包括的なデジタルコンテンツ管理体制への移行を示唆している。

規制の狙いは「偽情報対策」とのことだがオンラインの健全化は進むのか

中国当局が公式に掲げる規制の目的は、一貫して「オンライン上の偽情報の撲滅」と「国民を有害なアドバイスから保護すること」である。 実際、資格を持たないインフルエンサーが誤った医療情報を広め健康被害を誘発したり、無責任な投資アドバイスで経済的損失をもたらしたりするケースは、世界的な問題となっている。

この規制を支持する声は、中国国内のソーシャルメディア上でも少なくない。「ようやく本物の専門知識を持つ人々が議論をリードする時が来た」というWeiboユーザーの声は、その代表的なものだろう。 資格制度によって、情報の質が向上し、ユーザーはより信頼性の高い情報にアクセスできるようになるという期待がそこにはある。

インド工科大学グワーハーティー校で社会学を教えるRituparna Patgiri助教授も、この動きを「専門知識にとって稀な勝利」と評価し、歓迎の意向を示している。 彼女は、学術的な知見がしばしば軽んじられる風潮に対し、この規制が「正式な資格は厳格な訓練と努力の証である」という価値観を再確認させるものだと指摘。さらに、大学に所属する研究者が、その専門性を武器に一般社会へ向けて信頼性の高い情報を発信する好機となり得ると分析している。

世界的な文脈で見ても、この問題は深刻だ。UNESCOの委託でボウリング・グリーン州立大学が実施した調査によれば、デジタルコンテンツ制作者のうち、情報を共有する前にその真偽を検証しているのはわずか36.9%に過ぎないという。 中国の今回の措置は、こうした「専門家ではないインフルエンサー」がもたらす情報汚染に対する、最も直接的で強力な介入策の一つと位置づけることができる。

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「言論統制への新たな一歩」―拭えぬ懸念と批判の声

しかし、この規制は諸刃の剣である。偽情報対策という大義名分の裏で、政府による言論統制がさらに強化されることへの懸念は根強い。最大の問題は、「専門的なトピック」や「有効な資格」の定義と判断を、最終的に国家、すなわち中国共産党が独占する点にある。

批判的な意見を持つ人々は、以下のような点を鋭く指摘する。

  • 定義の恣意性: 何が「専門的」で、何が「一般的な意見」なのか。その境界線は曖昧であり、政府が自らにとって不都合な議論を封じ込めるために、この定義を恣意的に拡大解釈する危険性がある。
  • 権威主義的乱用: 「”資格がない”という理由で、政府に批判的な専門家の声を排除することが可能になるのではないか」という懸念は深刻だ。 国家が公認した「専門家」だけが発言を許されるようになれば、多様な視点や健全な批判精神は失われ、言論の画一化が進むだろう。
  • 資格と能力の不一致: 学位や資格が、必ずしもその人物の能力や見識、倫理観を保証するわけではない。資格を持たないながらも、独自の調査や経験に基づいた価値ある洞察を提供する声が、制度的に排除されてしまう可能性もある。
  • 自由な意見表明の萎縮: 北京在住のあるクリエイターは、「そのうち、意見を投稿するのにライセンスが必要になるだろう」と皮肉交じりに語った。 どこまでが規制対象か分からないという不安が、インフルエンサー全体に自己検閲を促し、自由闊達な議論の場を狭めていくことは想像に難くない。

韓国・延世大学のTheodore Jun Yoo教授は、この規制が「公の議論をコントロールするもう一つの方法と見なされかねない」と警告する。 彼は、資格を重んじるアジア的な価値観に一定の理解を示しつつも、誰が「資格あり」と判断するのかという権力構造の問題を指摘している。

規制が変える中国のデジタル言論空間

今回の規制は、単発の政策ではなく、中国政府が進めるより広範な社会・思想統制の一環として捉えるべきである。特に、近年の中国経済が直面する不確実性と無関係ではない、と筆者は分析する。

The New York Timesによれば、CACは「過度に悲観的な感情を煽る」コンテンツや、「努力は無駄だ」といった考えを広める投稿を標的としたキャンペーンを既に行っており、経済や政府の福祉政策について「噂を広めた」として多数のアカウントを停止させている。

この文脈で考えると、今回の資格規制は二つの戦略的機能を持つ可能性がある。
第一に、経済の先行き不安や社会問題に対する民衆の不満が、専門的な装いをまとって拡散することを未然に防ぐ「安全弁」としての機能だ。政府の経済政策に対する専門的な批判や、社会問題に関するデータに基づいた分析は、資格というフィルターによってコントロールされ、国家の公式見解に沿わないものは「無資格」として排除されやすくなる。

第二に、これは「専門知」の独占と再定義の試みである。誰が専門家であり、誰の意見に価値があるのか。その認定権を国家が握ることで、政府は自らの正当性を強化し、国民の思考の枠組みそのものに影響を与えようとしているのではないだろうか。これは、インターネットという分散型の情報空間に、中央集権的な権威構造を再構築する試みとも言える。

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世界の潮流との比較—中国モデルは特殊解か、未来の標準か

インフルエンサーに対する規制の動きは、中国だけの現象ではない。例えばスペインでは2024年に、年間収益30万ユーロ以上またはフォロワー100万人以上のインフルエンサーに登録を義務付け、広告表示に関する厳格なガイドラインを課す「インフルエンサー法」を導入した。

しかし、中国の規制はこれらの欧米のモデルとは一線を画す。スペインの規制が主に経済活動(広告)の透明性確保に焦点を当てているのに対し、中国の規制はコンテンツの「内容」そのものに踏み込み、発言者の「適格性」を問うている。これは、表現の自由を最大限尊重しつつ事後的な責任を問う欧米のアプローチと、事前的な管理・統制を重視する中国のアプローチの根本的な違いを浮き彫りにしている。

この中国モデルが、単なる一国の特殊な事例で終わるのか、それとも偽情報という世界的課題に対する一つの「解決策」として他国に影響を与えていくのかは、注意深く見守る必要がある。特に、権威主義的な統治体制を持つ国々にとって、中国のやり方は魅力的な前例となるかもしれない。

誰が「真実」を定義するのか―我々に突きつけられた問い

中国のインフルエンサー資格規制は、デジタル社会における情報の信頼性確保という現代的な課題に対し、国家権力が強力に介入した一つの壮大な社会実験である。この実験は、短期的には質の低い情報や悪意ある偽情報を淘汰し、オンライン空間の健全化に寄与する側面を持つかもしれない。

しかし、その代償は大きい。誰が「専門家」を認定し、誰が「真実」を定義するのかという、情報の権威性をめぐる権力が、国家に一元的に集中するリスクをはらんでいる。健全な社会に必要な、多様な意見の衝突や、権威に対する健全な懐疑主義が育つ土壌は、やがて痩せ細っていくのではないだろうか。

この問題は、対岸の火事ではない。プラットフォーム、政府、そして私たち市民が、情報の質と表現の自由という二つの価値をいかに両立させていくのか。中国で始まったこの新たな規制は、国境を越え、すべてのデジタル社会に生きる我々一人ひとりに対し、重い問いを突きつけている。


Sources