2021年2月、冬の嵐Uriによって、テキサス州では天然ガスの凍結と風力タービンの停止が連鎖し、州内の発電容量の約半分にあたる4万6,000メガワットが同時に出力を失った。単一の設備故障ではなく、数百の故障が数時間のうちに雪崩のように重なったのだ。停電は4日間続き、246人が死亡した。

北米の送電網信頼性基準を定めるNorth American Electric Reliability Corporation(NERC)は、送電システムに対し「N-2基準」を義務づけている。これは、2件の故障が順次起きた後もシステムが安定運転を維持できなければならない、という要件だ。N-2の「N」は送電網を構成する要素(送電線、変圧器、発電機など)の総数、「2」は想定する故障の件数を指す。

この基準が策定された時代、送電網への脅威は主に単発の設備故障だった。しかし2020年代に入り、脅威の性質が変わった。気候変動による山火事とハリケーンの頻発、ランサムウェアや国家関与のサイバー攻撃、物理的破壊工作。これらは単独で起きるとは限らない。山火事が送電線を焼き、同時にサイバー攻撃が制御システムを狙う、という複合シナリオは机上の空想ではない。

Eatonのシニアチーフエンジニア、Sid Suryanarayanan氏は公式発表で「極端な気象、山火事、物理的・サイバー的脅威から、電力の信頼性と安全保障にかつてないリスクが生じており、多数の故障を同時に考慮するツールが必要だ」と述べている。

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300台の設備から4台が同時に壊れるとき、3億3,000万通りの計算が生まれる

N-2基準が抱える本質的な問題は、計算量にある。

送電網の構成要素を$N$個、同時に故障する要素の数を$k$個とすると、検討すべき故障の組み合わせは二項係数 で与えられる。平易に言えば、「$N$個の部品から$k$個を同時に選ぶ方法が何通りあるか」を数える計算だ。

具体的な数字で見よう。300個の構成要素を持つ送電システムで、4件同時故障(N-4)を解析する場合、組み合わせは約3億3,079万通りに達する。それぞれの組み合わせについて電力潮流計算(どの線にどれだけ電流が流れるかを解く非線形方程式)を解かなければならない。1回あたり1秒かかると仮定しても、全パターンを網羅するのに10年以上かかる計算だ。

解析基準 組み合わせ数(118バス系) 1回1秒とした総計算時間
N-1(単一故障) 166通り 約3分
N-3(3件同時故障) 79万通り以上 9日以上
N-4(300要素系) 3億3,079万通り 約10.5年

arXivに公開された研究(2310.04213)では、IEEE 118バス試験系統においてN-1解析が3分で終わるのに対し、N-3解析には単一のコンピュータで9日以上を要すると試算されている。これはあくまで小規模な試験系統の話であり、実際の北米送電網は100 kV以上の送電線が約52万7,000マイル(NERC 2025年信頼性報告)に及び、変圧器は約5,832台、送電回路は約30,014回線に達する。実系統でのN-4解析は、古典コンピュータでは事実上不可能なスケールだ。

米空軍が量子コンピュータを選んだ構造的な理由

2026年8月6日、電力管理大手Eaton(2025年売上高274億ドル、180カ国で事業展開)は、AFRLから700万ドル、24カ月の契約を獲得したと発表した。パートナーは中性原子型量子コンピュータを開発するInfleqtionと、機械学習と人工知能を担うペンシルベニア州立大学だ。

AFRLが量子コンピューティングに注目する背景には、この問題がNP困難(非決定性チューリング機械で多項式時間に解けるが、古典コンピュータでは最悪場合に指数的時間がかかる)な組み合わせ最適化問題であるという構造がある。量子コンピュータは、量子ビットの重ね合わせと干渉を利用して、膨大な候補空間を並列に探索する原理上の利点を持つ。

ただし、現時点の量子コンピュータはまだ「ノイズの多い中規模量子(NISQ)」世代にあり、大規模問題を古典コンピュータより高速に解けるという「量子優位性」が実問題で実証された例は限られる。このプロジェクトが「ハイブリッド量子古典」アプローチを採用しているのは、その現実を踏まえてのことだ。量子コンピュータが得意な部分(組み合わせ空間の探索)と古典コンピュータが得意な部分(電力潮流の精密計算、制約条件の検証)を分担させる。

Infleqtionが提供するハードウェアは、中性原子(ルビジウムとセシウム)を光ピンセットで配列し、リュードベリ励起によって量子ゲート操作を行う方式だ。同社のSqaleプラットフォームは100以上の物理量子ビットを搭載し、2量子ビットゲート忠実度99.73%を達成している。2026年中に30論理量子ビット(誤り検出付き)、2028年に100論理量子ビット、2030年に1,000論理量子ビットを目標とするロードマップを公開している。

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プロジェクトが実際にやること

24カ月の研究期間で、チームは以下の4つの作業を進める。

第一に、新しい量子アルゴリズムの開発。送電網の脆弱性探索を量子回路が処理できる形式(ハミルトニアン、すなわちエネルギー関数として符号化する問題)に変換する手法を設計する。先行研究では、QAOA(Quantum Approximate Optimization Algorithm、量子近似最適化アルゴリズム)がこの種の問題に適用されており、IEEE 9バスおよび14バス系統での検証が行われている。ただし14バス系統のN-k解析でQAOAを適用したところ、古典計算機で約48時間を要したという報告もあり、現行ハードウェアの限界は明確だ。

第二に、ハイブリッド量子古典計算向け回路の最適化。量子回路の深さ(ゲート操作の段数)を最小化しつつ、問題の構造を正確に表現する回路設計が求められる。

第三に、複数の量子ハードウェアプラットフォームでの実験。Infleqtionの中性原子方式に加え、他の方式(超伝導、イオントラップ等)でも検証し、アルゴリズムのハードウェア依存性を評価する。

第四に、誤り軽減と訂正。現在の量子コンピュータはノイズが大きく、計算結果に誤差が含まれる。この誤差をどう抑え、どこまで信頼できる答えを出せるかが実用化のボトルネックになる。

最終成果物は、既存の量子ハードウェアと新規アルゴリズム、機械学習を組み合わせて実世界の送電網課題に取り組む概念実証デモンストレーションだ。電力事業者が複雑な系統状態を可視化し、複数の脅威シナリオを評価し、緊急時の意思決定を高速化する様子を再現する予定とされている。

量子×送電網の競争地図

EatonとAFRLのプロジェクトは、量子コンピューティングを送電網に適用する動きの一部にすぎない。

Infleqtion自身も、米国エネルギー省のARPA-E(エネルギー高等研究計画局)から620万ドルのENCODE(Enhancing Neutral-atom Computers for Optimizing Delivery of Energy)プロジェクトを受託しており、Argonne国立研究所、EPRI、ComEdと協力して量子計算による送電網最適化を進めている。ARPA-Eの量子エネルギープロジェクトとしては初のもので、送電網の「配送最適化」に焦点を当てる。

IonQとオーク・リッジ国立研究所は2025年7月、36量子ビットのイオントラップ型量子コンピュータを使ったハイブリッド手法で、発電機の起動停止計画(Unit Commitment)問題の解を求めた成果を発表した。26台の発電機、24時間分のスケジュールを量子古典ハイブリッドで最適化する実験で、DOEのGRID-Qプロジェクトの一環だ。

DOEは2026年3月、Quantum World Congressと共催で量子アルゴリズムコンペティションも立ち上げている。送電網計画の課題を量子・ハイブリッド計算で解くアルゴリズムを広く募集するもので、国立研究所の専門家が審査にあたる。

プロジェクト 資金 量子方式 対象問題 時期
Eaton/AFRL(本件) 700万ドル 中性原子(Infleqtion)+他方式 N-k同時故障の脆弱性解析 2026年8月〜2028年
Infleqtion/ARPA-E ENCODE 620万ドル 中性原子 送電網配送最適化 2025年〜
IonQ/ORNL GRID-Q 非公開(EPBとの別件は2,200万ドル) イオントラップ Unit Commitment 2025年7月に成果発表
DOE量子アルゴリズムコンペ 非公開 方式問わず 送電網計画全般 2026年3月開始

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2年後のデモが直面する3つの未解決問題

このプロジェクトの成否は、2年後の概念実証デモで「実用的に意味のある規模の問題を、古典計算より意味のある精度・速度で解けるか」にかかっている。その前に立ちはだかる課題は少なくとも3つある。

第一に、量子ビット数の壁。実規模の送電網(数千から数万の構成要素)のN-4解析を量子回路に符号化するには、現在の100物理量子ビットでは桁違いに足りない。Infleqtionのロードマップ通り2026年に30論理量子ビットが実現しても、扱える問題規模は依然として試験系統レベルにとどまる可能性が高い。

第二に、QAOAの表現力限界。先行研究では、浅い回路深度のQAOAが大規模問題の解空間を十分に探索できず、最適解から7%程度の誤差が残ることが報告されている。回路を深くすれば精度は上がるが、ノイズも比例して増える。このトレードオフをどう突破するかがアルゴリズム設計の核心だ。

第三に、サイバー脅威の動的性。物理的な設備故障は比較的静的にモデル化できるが、サイバー攻撃は敵が適応する動的な問題だ。攻撃者が防御側の解析手法を学習し、回避する可能性をどう扱うか。この点についてEatonの発表は具体的な手法を示していない。

NERCのサイバーセキュリティ事件報告(CIP-008-6)によれば、2021年から2025年の5年間に報告されたサイバーセキュリティ事象は合計17件で、いずれも大規模停電には至っていない。しかし2024年の報告では攻撃の「洗練度の向上(increased sophistication)」が指摘されており、報告件数が少ないのは被害が小さいからではなく、報告基準の曖昧さが原因である可能性もNERC自身が認めている。脅威の実態が把握しにくい中で、防御側のツールだけ高度化しても十分なのか。この問いは、量子コンピュータの性能とは別の次元で残り続ける。