共通の言葉を知らない者同士でも、身振りや指さしを繰り返すうちに、特定の言葉が何を指すのか理解できるようになる。ベルギーのブリュッセル自由大学(VUB)とナミュール大学(UNamur)の研究チームは、こうした言語の成立過程をAIエージェントの集団で再現することに成功した。中央管理者も共通の辞書も存在しない環境で、エージェント同士が局所的な対話を繰り返すだけで、観測データに基づいた共通の語彙体系を形成できるという。研究成果は査読付き学術誌『Transactions of the Association for Computational Linguistics』(TACL)第14巻に掲載され、大学側も2026年10月14日に発表した。ただし、今回実証されたのは計算機シミュレーション上での語彙形成であり、AIが人間のような言語能力を獲得したわけではない。

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共通の辞書を持たないAIが、独自の語彙を形成する仕組み

今回の研究成果は、論文「Emergent Communication in Continuous Worlds: Self-Organisation of Conceptually Grounded Vocabularies at Scale」(DOI: 10.1162/TACL.a.799)にまとめられている。著者はJérôme Botoko Ekila、Lara Verheyen、Jens Nevens、Katrien Beuls、Paul Van Eeckeの5氏で、ブリュッセル自由大学人工知能研究所とナミュール大学情報学部の研究者が参加した。論文は2026年4月の投稿、5月の改訂を経て、Daniel Fried氏がアクションエディターを務める査読プロセスを通過した。クリエイティブ・コモンズ表示4.0(CC BY 4.0)ライセンスで公開されており、先行するプレプリント(arXiv:2401.08461)も閲覧できる。

研究チームが取り組んだのは、AIエージェントの集団が、人間のように対話を通じて共通の言葉を獲得できるかという問題だ。従来の創発的コミュニケーション研究でも、エージェント同士が新しい記号や言葉を生み出す仕組みは検討されてきた。しかし、色や位置といった限られた特徴を持つ単純な環境や、あらかじめ定義されたカテゴリを扱う研究が多く、複雑な観測データを使った分散型の語彙形成には課題が残っていた。

今回の研究は、現実の観測データを反映した高次元の特徴空間を扱いながら、集団全体で共通の語彙を形成できるかを調べた点に特徴がある。対象となるデータには連続的な数値だけでなく、カテゴリを表す離散的な特徴も含まれる。さらに、エージェントごとに観測できる情報が異なる場合や、途中でセンサーに相当する入力が失われる場合についても検証した。中央管理者による調整や共有辞書に頼らず、個体間の対話だけで共通の規約が成立するかを、複数の条件を組み合わせて調べている。

この仕組みでは、集団全体に共通の語彙や概念を配布することはない。エージェントはそれぞれ独立した内部状態を持ち、集団からランダムに選ばれた2個体が対話を繰り返す。個々の対話が成功したかどうかに応じて、各エージェントが自分の単語と概念の対応関係を更新する。その積み重ねによって、集団全体で通用する語彙が徐々に形成されるという設計だ。

2体のエージェントが対話を重ね、共通の言葉を獲得する

実験環境では、エージェントに「犬」や「車」といった既存のカテゴリは与えられない。観測対象は多次元の特徴ベクトルとして表現され、各エージェントはその数値から対象の特徴を捉える。例えば、ある対象は色や形状、位置などの数値の組み合わせとして表されるが、それをどのような概念に分類し、どの言葉で呼ぶかは最初から決まっていない。エージェントは対話を通じて、必要な概念と単語を自ら形成していく。

研究チームが用意したのは、新しい単語を作る仕組み、観測データから概念を表現する仕組み、対話の成否に応じてそれらを更新する規則だ。概念の表現には、特徴ごとの重要度を示す重みや、観測値の分布を表すパラメータが使われる。これらを組み合わせた「概念プロトタイプ」によって、ある単語がどのような特徴を持つ対象に当てはまるかを判断する。単語と概念の対応関係は各エージェントが個別に保持するため、全員が同じ内部パラメータを共有する必要はない。

対話は「話者(Speaker)」と「聞き手(Hearer)」の2体で行われる。話者は複数の対象から一つを選び、それがどれなのかを聞き手に伝えるための単語を発する。聞き手は受け取った単語と自分の概念プロトタイプを照合し、話者が指している対象を推測する。正しく特定できれば対話は成功となり、間違えた場合には正解が伝えられ、それを基に単語や概念の対応関係を更新する。

このやり取りを繰り返すうちに、同じ対象を指すときに使われる単語がエージェント間で徐々に一致していく。既存の単語では対象を十分に区別できない場合、話者は新しい単語を作ることもできる。一方、聞き手は対話の結果を基に概念の適用範囲を調整し、相手の言葉を理解できるようになっていく。こうして各個体が異なる経験から学習していても、集団として意思疎通できる語彙が形成される。

大学側の発表で、ナミュール大学のKatrien Beuls教授は、中央で規則を決めるコンピューターが存在しない点を強調している。個々のエージェントが局所的に対話し、その結果を反映するだけで、集団全体に共通する規約が自然に成立するという。重要なのは、各エージェントの内部で形成された概念が完全に一致しなくても、同じ単語を使って対象を正しく伝えられることだ。共通するのは内部の知覚表現そのものではなく、相手と意思疎通するための記号の使い方なのである。

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37種類のデータセットで検証、100万回の対話で成功率99%超

研究チームは提案手法の有効性を確かめるため、合計37種類の公開データセットを使用した。対象にはワインの物理化学的分析値、NASAの太陽系外惑星に関するデータ、キノコの特徴、画像から抽出した特徴量などが含まれる。画像データには、物体の属性を扱うCLEVRのほか、MS COCO、CelebA、鳥類の画像データセットも採用された。実画像については、事前学習済みの画像認識モデルDINOv2で特徴ベクトルを抽出し、エージェントの入力として使用している。

標準的な実験では、10体のエージェントが100万回のペア対話を行い、形成された語彙の有効性を評価した。訓練に使わなかった対象についても、別途10万回の対話で検証している。結果は10回の独立した試行から集計され、通信成功率に加え、エージェント間で単語の使い方がどれほど一致するかを表す「規約の一致度」や、形成された語彙の数も測定した。

代表的な3つのデータセットでは、100万回の訓練後に、未学習の対象を用いた評価で約99.7%の通信成功率を記録した。内訳はCLEVRが99.76%、ワインの分析データが99.76%、太陽系外惑星のデータが99.67%だった。これは、共通の辞書を持たない状態から出発したエージェントが、対話を通じて高い確率で対象を正しく伝えられるようになったことを意味する。ただし、すべてのデータセットで同じ成功率が得られたわけではない。

例えば、キノコのデータセットでの成功率は98.10%、実画像を扱うMS COCOでは95.77%、CelebAでは96.66%、鳥類の画像では95.88%だった。代表的な7種類の実験では、いずれも高い成功率が得られたものの、データの性質によって結果に差が生じている。したがって、約99.7%という数値を37種類すべてのデータセットに当てはめることはできない。

研究チームはさらに、エージェントごとに観測条件が異なる場合の頑健性も調べた。実験には、センサーの較正誤差を模した数値のずれ、観測値へのノイズの混入、使用できるセンサーの組み合わせが異なるエージェントの混在、対話の途中でセンサーが故障する状況などが含まれる。これらは実物のセンサーを故障させたのではなく、入力データを変化させることで再現した条件だ。

結果として、観測条件に違いが生じても、多くの設定で語彙体系を維持できることが確認された。ただし、影響がまったくなかったわけではない。例えばCLEVRで強いノイズを加えた条件では通信成功率が87.67%に低下し、エージェント間で利用できるセンサーの違いを大きくした条件では83.47%となった。センサーに相当する入力の半分を途中で失わせた条件でも93.82%の成功率を維持したが、試行間のばらつきは大きくなっている。提案手法には一定の適応力がある一方、観測条件の違いが大きくなるほど性能低下のリスクも高まることが分かる。

また、CLEVRを使った10エージェントの実験では、通信成功率や語彙の形成過程を10回の独立試行で評価し、平均値と標準偏差の2倍(±2σ)に相当する範囲を示している。単一の成功例だけではなく、試行ごとのばらつきも考慮した検証となっている。ただし、ここまでの成果はいずれも計算機シミュレーションによるものであり、実際のロボットや自動運転車、工場の産業用センサーを使って確かめた結果ではない。

人間の言葉に頼らず、センサーに適した言語を作る利点

今回の研究が目指すのは、人間の言葉をそのままAIエージェントに教えるのではなく、エージェントが扱う情報に適した記号体系を形成することだ。人間が使う言語は、視覚や聴覚、触覚など、人間の感覚と経験を基に発達してきた。しかし、ロボットや自律システムが利用するセンサーには、赤外線、LiDAR、ソナー、化学分析装置など、人間が直接知覚できない情報を取得するものも多い。そうした情報を必ず人間の単語に置き換えようとすると、機械同士の通信に必要な特徴や区別を十分に表せない可能性がある。

ブリュッセル自由大学の博士課程研究者Jérôme Botoko Ekila氏は、AIシステムをセンサーに適さない人間言語に合わせるのではなく、それぞれが観測する情報に基づいて独自の概念を形成できるようにする意義を説明している。人間には理解しにくいデータであっても、エージェント同士が共通の記号で参照できれば、情報交換に役立つ可能性がある。

同大学のPaul Van Eecke教授は、この仕組みを「赤い車」という言葉で説明している。人間同士でも、同じ赤い車を見たときに知覚する色の値が完全に一致しているわけではない。それでも「赤い車」という言葉を共有していれば、相手がどの車を指しているのか理解できる。言語が個々の知覚の違いを吸収する抽象化の役割を果たしているためだ。研究チームは、このような仕組みをAIエージェントにも自律的に形成させようとしている。

大規模言語モデル(LLM)との違いも、この点にある。一般的なテキスト中心のLLMは、大量の文章から単語や概念の関係を学習する。一方、今回の研究では、エージェント自身に与えられた観測データと対話の成否から、単語と意味の対応関係を形成する。両者は目的や扱う課題が異なるため、性能を単純に比較することはできないが、言語を獲得する方法には明確な違いがある。

比較項目 一般的なテキスト中心のLLM 今回の創発的コミュニケーション手法
言語の獲得方法 人間が作成した大量の文章などを使った事前学習 エージェント同士の対話と成否のフィードバック
意味と観測データの関係 主にテキストから概念間の関係を学習 観測データの特徴と単語を直接対応づける
システム構成 大規模なニューラルネットワークを中心とする 個別の内部状態を持つ多数のエージェント
言語の更新 追加学習などによってモデルの振る舞いを調整 対話を通じて個々の語彙や概念を更新
内部表現の解釈 ニューラルネットワーク内部の表現を直接解釈するのは難しい 単語と特徴量の対応関係を追跡しやすい
観測条件の違い 利用するモデルや学習方式によって対応が異なる 異なる特徴量やセンサー構成を持つエージェントを想定

なお、近年のマルチモーダルLLMには画像や音声などの情報を直接扱えるものもあり、LLM全般が観測データと結びついていないわけではない。この比較は、あくまで一般的なテキスト中心の学習方式と、今回の分散型語彙形成の違いを整理したものだ。今回の研究はLLMを置き換える技術というより、異なる感覚情報を持つ複数のエージェントが、どのように共通の記号体系を形成できるかを調べる研究として位置づけられる。

もう一つの特徴は、形成された語彙の意味を追跡しやすいことだ。本手法では、単語に対応する概念が、特徴量ごとの重みや確率分布を使って表現される。研究者は、ある単語がどの特徴を重視し、どのような観測対象に適用されるのかを調べられる。さらに、次元削減による可視化を用いれば、対話を重ねるにつれて概念がどのように変化し、異なる単語が特徴空間の中で使い分けられるようになるかも確認できる。

論文では、こうした概念の使い分けが進む過程で、それぞれの単語が特定の領域や対象に対応するようになる様子も示されている。研究チームは、この現象を概念空間における「ニッチ」の形成として分析した。内部表現が完全に一致していなくても、対話によって単語の使い方が調整されることは、言語の慣習性や適応性が個体間の相互作用から生まれ得るという仮説を支持する。ただし、こうした結果が人間言語の進化全体を説明するわけではなく、限定されたコミュニケーション課題における実験的な証拠として捉える必要がある。

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「AIが独自の言語を獲得」という表現には注意が必要

ブリュッセル自由大学とナミュール大学は、今回の研究を自動運転車やロボット、産業用センサーなど、自律システム間の通信につながる重要な成果と位置づけている。確かに、異なるセンサーを持つ機械同士が中央管理者なしに共通の記号を形成できれば、分散型システムの協調動作に役立つ可能性がある。しかし、これらは大学側が想定する将来的な応用分野であり、今回の研究で実証された用途ではない。論文で行われたのは、公開データセットを使った計算機シミュレーションである。

例えば、自動運転車に搭載されたLiDARやカメラの観測値を使い、複数の車両が自律的に語彙を形成できるかは、今回の実験では検証されていない。実環境では、センサーの劣化や周囲の環境変化だけでなく、通信遅延やパケット損失、観測対象の急激な変化なども生じる。また、各エージェントが常に同じ対象を観測できるとは限らず、相手の発言が何を指しているかを確認すること自体が難しい場合もある。数値データ上で成立した仕組みが、こうした条件でも安定して機能するかは今後の検証が必要だ。

「AIが独自の言語を話すようになった」という表現にも注意したい。今回のエージェントが獲得したのは、特定の対象を指し示すための「指示規約(referring convention)」を中心とした語彙体系だ。人間の言語に見られる複雑な文法、時制、比喩、文脈に応じた含意などを自由に扱えるようになったわけではない。論文では複数の単語を組み合わせる発話も検証しているが、それも対象を正しく識別するという限定された目的に沿ったものだ。AIが人間並みの言語能力や知能を獲得したと解釈するのは適切ではない。

通信成功率についても、実験条件を踏まえる必要がある。約99.7%という高い成功率は、特定のデータセットで100万回の訓練を行った後に得られたものであり、異なる観測条件では成功率が低下している。37種類のデータセットを用いた検証は手法の汎用性を評価するうえで重要だが、現実世界のあらゆる環境で同等の性能を発揮することを保証するものではない。今回の成果は、設計された条件の下で分散型の語彙形成が成立し、一定の変化にも適応できることを示した段階にある。

AI同士の言語形成、実世界への応用に向けて残る課題

今回の研究の重要な成果は、中央管理者の存在しない分散環境で、複数のエージェントが連続的な特徴を含む観測データから共通の語彙を形成できることを示した点にある。さらに、集団全体での語彙の共有、異なる観測条件への対応、環境の変化に応じた概念の更新という複数の課題を、一つの実験枠組みで検証している。エージェントが共有するのは完成済みの辞書ではなく、相互作用を通じて徐々に成立する言葉の使い方だ。この仕組みは、言葉の意味がどのように観測対象と結びつくのかという「記号接地問題」を研究するうえでも、新たな手掛かりとなる。

今後の課題の一つは、エージェントの数をさらに増やした場合の拡張性だ。研究チームはすでにCLEVRを用いて2体、10体、25体、50体、100体の集団を比較し、最大1000万回の対話による検証を行っている。100万回の対話後の成功率は10体で99.76%だったのに対し、100体では92.69%に低下した。一方、100体の集団でも対話を1000万回に増やすと99.16%まで改善している。集団が大きくなるほど各エージェントが対話に参加する機会が減るため、共通の語彙が形成されるまでに多くの対話が必要になるという結果だ。

したがって、今後は数百体から数千体以上の集団でも効率的に語彙を共有できるかが重要になる。集団が大規模になれば、一部のエージェント間だけで使われる独自の単語や、地域的な方言に相当する規約が生まれる可能性もある。対話の頻度やエージェント同士の接続関係が変化した場合に、集団全体で意思疎通を維持できるかについても、さらに検証する必要がある。

もう一つの課題は、静的なデータセットから実際の物理環境へ移行することだ。実験ではセンサーの故障やノイズを数値的に再現しているが、実機では予測できない変化が複数同時に発生する。異なるメーカーのセンサーを搭載したロボットが、観測値のずれを吸収しながら共通の記号体系を形成できるか、通信が一時的に途切れても語彙の共有を維持できるかなど、確認すべき点は多い。

今回の論文はACL Anthologyから全文を閲覧でき、実験条件や評価結果も公開されている。また、arXivのプレプリントには、論文の構想と執筆に生成AIツールを使用していない旨の著者注記もある。今後は、こうした公開情報を基に研究結果を再現し、異なる環境でも同じ特性が得られるかを確かめることが重要になる。

AIエージェントが人間の言葉に頼らず、自らの観測情報に基づいて共通の記号を形成できるという成果は、分散型AIシステムの研究に新たな可能性をもたらす。ただし、その実用性を判断するには、シミュレーション上の高い通信成功率だけでは不十分だ。実際のセンサーや通信環境を使った検証を通じて、異なる知覚を持つ機械同士が安定して情報を交換できるかが、次の重要な焦点となる。