2025年6月、DRAM(記憶用半導体)市場で、常識を覆す歴史的な事件が起きている。旧世代の規格である「DDR4」メモリの現物(スポット)価格が、最新世代の「DDR5」の価格を上回り、ついには約2倍にまで高騰したのだ。これはDRAMの歴史上、前例のない異常事態である。
テクノロジーの世界では、新製品が登場すれば旧製品の価値は下がるのが自明の理であった。しかし今、その法則は破られた。なぜ、本来なら陳腐化していくはずのDDR4が、最新鋭のDDR5を凌駕するほどの価値を持つに至ったのか。
この現象は、単なる品不足で片付けられる単純な話ではない。背景には、AI(人工知能)ブームを起点とする大手半導体メーカーの壮大な生産戦略の転換、地政学的な市場構造の変化、そして特定の産業分野における根強い需要という、複数の要因が複雑に絡み合った「パーフェクト・ストーム」が存在するのだ。
データが示す異常事態:わずか数週間で起きた価格の「大逆転」
今回の価格高騰がいかに異常であるかは、市場データを見れば一目瞭然だ。

台湾の市場調査会社TrendForce傘下のDRAMeXchangeが示す2025年6月23日時点のデータによると、汎用的なDDR4 16Gbチップの現物価格が平均12.00ドルに達したのに対し、同じ16Gb容量でより高性能なDDR5チップの価格は6.014ドルに留まった。その価格差は実に1.99倍。旧世代製品が新世代製品の2倍の値段で取引されるという、まさに「歴史的瞬間」である。
この価格逆転劇は、極めて短期間で進行した。
- 2025年初頭: DDR4 8Gbチップの価格は1.63ドル前後で推移していた。
- 2025年6月初旬: DDR4の価格がDDR5を上回る「価格逆転」現象が初めて観測され、市場に衝撃が走る。
- 2025年6月下旬: そこからわずか2週間あまりで、価格差は一気に2倍近くまで拡大。DDR4 8Gbチップは5.2ドルへと、年初から3倍以上の高騰を見せた。
ある業界関係者が「市場の狂気」と表現するように、この急騰はとどまることを知らない。台湾のメモリメーカーADATAは、顧客からの注文が殺到し、2025年第3四半期のDDR4契約価格はさらに30%から40%上昇する可能性があると予測している。このデータは、今回の現象が一部のスポット取引に留まらず、大口の契約価格にも波及する大きなうねりであることを示唆している。
供給の崖:なぜDDR4は市場から意図的に消されたのか
この異常な価格高騰の最大の引き金は、供給サイドの劇的な変化にある。具体的には、世界的なDRAM大手3社による、まるで示し合わせたかのようなDDR4からの「一斉撤退」だ。
Samsung、SK hynix、そしてMicron Technologyという市場の巨人たちが、2025年後半までにDDR4の生産を段階的に終了、あるいは大幅に縮小する方針を明確にした。Micronは6〜9ヶ月以内の生産終了を明言し、Samsungはすでに最終発注の通知を開始している。
これは、技術の陳腐化に伴う自然な世代交代ではない。彼らの狙いは、より収益性の高い製品へ経営資源を集中させるための戦略的な生産能力の再配分である。その結果、市場には「意図された品薄」という、人為的な供給の崖が出現したのだ。
この供給構造の変化をさらに加速させたのが、地政学的な要因、すなわち中国市場の変貌である。かつて、長鑫存儲技術(ChangXin Memory Technologies, CXMT)をはじめとする中国メーカーは、政府の補助金を背景にDRAM市場へ参入し、DDR4を時に50%もの割引価格で供給することで、市場の価格破壊者となっていた。この安価な供給が、大手3社をDDR4市場からさらに遠ざける一因ともなった。
しかし、その状況も一変した。AI技術での覇権を目指す中国政府が、国内半導体メーカーに対し、DDR4のような汎用品から、AIに不可欠なDDR5やHBM(High-Bandwidth Memory)への生産シフトを指示。これにより、市場における最後の安価なDDR4供給源が事実上断たれ、品薄状態に拍車をかけることになったのである。
主役交代の裏側:AIブームという名の巨大な引力
大手メーカーがDDR4生産から撤退する最大の動機、それこそが現在のテクノロジー業界を席巻するAIブームだ。
AIサーバーやアクセラレーターに不可欠なHBMは、DRAM市場の新たな「ドル箱」となっている。HBMは、DDR5と比較して3〜5倍という圧倒的な高価格で取引される。製造にはより大きなシリコンダイ(面積比で35〜45%増)を必要とするものの、その収益性はDDR4とは比較にならない。Samsung、SK hynix、Micronの3社は、2025年までのHBM生産分がすでに完売状態にあるとされ、HBMが出荷ビット数で全体の5%に過ぎなくても、売上高では20%を占めると予測されている。
製造コストの観点からも、DDR4の維持は魅力的ではない。DDR5は1α(アルファ)や1β(ベータ)といった最先端の製造プロセスで生産され、ビット密度が高く(Micronの1βプロセスは従来比35%増)、コスト効率が良い。一方、DDR4は1yや1zといった旧世代のプロセスに留まっており、生産効率で劣る。
さらに、1台2億ドル以上もするEUV(極端紫外線)リソグラフィ装置の導入も、この流れを決定づけている。DDR5生産ではEUVの活用が進み、長期的なコスト競争力が高まる一方、もはや製品ライフサイクルの終焉が見えているDDR4のために高価なEUVへの投資を行うメーカーはいない。限られた生産能力を、より収益性が高く、将来性のあるHBMやDDR5に振り向けるのは、企業として極めて合理的な経営判断なのだ。
消えぬレガシー需要:なぜ古いDDR4が今も必要なのか
供給が絞られる一方で、DDR4への需要は驚くほど根強い。特に、コンシューマー向けPCとは異なる時間軸で動く産業分野が、この需要を下支えしている。
- 産業・組み込みシステム: 工場の制御装置やネットワーク機器、医療機器などの分野では、一度採用した部品を長期間使い続けるのが一般的だ。システムの信頼性や互換性を維持するため、最新のDDR5へ安易に移行することはできない。これらのレガシーシステムが、安定したDDR4需要を生み出している。
- 自動車分野: 近年の自動車に搭載されるADAS(先進運転支援システム)やインフォテインメントシステムは、開発・認証に長い時間を要する。多くがDDR4をベースに設計されており、モデルチェンジまでの数年間、同じメモリを供給し続ける必要がある。
- コンシューマー市場: 最新のPCプラットフォームはDDR5に移行しつつあるが、世界にはまだ膨大な数のDDR4対応システムが存在する。2023年時点でDDR4の世界シェアは60%を超えていたとのデータもあり、これらのシステムの修理やアップグレード需要は依然として大きい。また、コストを重視する自作PCユーザーや中価格帯PC市場でも、DDR4は魅力的な選択肢であり続けている。
このように、最先端からは取り残されつつも、社会の基盤を支える多様な分野でDDR4は「必須」の部品であり続けている。このしぶとい需要と供給の崖との間に生まれた巨大なギャップが、今回の歴史的な価格高騰の核心なのである。
勝者の戦略:Nanya Technologyはいかにして「黄金」を掘り当てたか
この市場の地殻変動の中で、漁夫の利を得ている企業がある。台湾のDRAMメーカー、Nanya Technology(南亞科)だ。
大手3社がDDR4から撤退する流れを読み、同社はDDR4の生産を維持、あるいは強化するという逆張りの戦略をとった。市場がDDR4を「赤字在庫」と見なしていた時期に積み上げた在庫は、2025年第1四半期に過去最高の375.9億台湾ドルに達した。それが今や、供給不足で価格が高騰する中で「黄金」へと姿を変えたのだ。まさに錬金術である。
Nanya Technologyは、DDR4の在庫が逼迫したことで一時的に見積もりを停止するほどの活況を呈しており、今や世界最大のDDR4サプライヤーとしての地位を確立した。同社の戦略は、大手メーカーが去ったニッチ市場に商機を見出し、見事に成功を収めた好例と言えるだろう。同じく台湾のWinbondなども、このDDR4特需の恩恵を受けている。
技術の陳腐化が価値を生む、DRAM市場の新たな教訓
DDR4の価格がDDR5の2倍に達した今回の現象は、半導体市場の力学がいかに複雑で、時に直感に反する結果を生み出すかを鮮やかに示した。これは、技術的な優劣だけで製品価値が決まるわけではないという、重要な教訓を我々に突きつけている。
この歴史的な価格逆転は、以下の要因が奇跡的に重なり合って生まれた。
- 戦略的撤退: 大手3社による、AI向けHBMへの生産能力シフトを目的とした意図的な供給削減。
- 地政学的変化: 中国メーカーの生産方針転換による、安価な供給源の消滅。
- 根強い需要: 産業・自動車分野を中心とした、代替の効かないレガシー需要の存在。
短期的には、DDR4の高騰は2025年第3四半期まで続くと見られる。しかし長期的には、PCプラットフォームの世代交代が進むにつれて、市場の主役がDDR5へと完全に移行することは間違いない。
だが、DDR4が完全に消え去ることもないだろう。むしろ、特定の産業用途向けに供給が続けられるニッチな市場で、安定した高価格を維持する「レガシー・プレミアム」製品として生き残る可能性が高い。今回の出来事は、半導体サプライチェーンにおけるリスク管理の重要性と、技術のライフサイクル全体を見据えた戦略の必要性を、全ての業界関係者に改めて認識させるものとなった。我々は、テクノロジーの未来を予測する上で、単線的な進化論だけでは見誤る、複雑な市場のダイナミズムを常に念頭に置く必要があるのだ。
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