我々の足元にある、ごくありふれた液体、水。生命の源であり、日常に溶け込むこの物質が、いまだ底知れぬ謎を秘めていることを、一体どれほどの人が意識しているだろうか。2025年、韓国科学技術研究院(KRISS)を中心とする国際研究チームが、科学雑誌『Nature Materials』に発表した一つの論文が、その水の奥深さを改めて世界に突きつけた。室温でありながら、2万倍もの超高圧下で水が凍る過程で、これまで誰も見たことのなかった全く新しい氷の姿、「氷XXI」を発見したのだ。これは、人類が確認した21番目の氷である。この発見は、単に氷のカタログに新たな1ページを加えただけではない。水が固体へと姿を変える瞬間の、複雑でダイナミックな「隠された経路」を白日の下にさらし、遠い宇宙に浮かぶ氷衛星の内部構造から、未来の材料開発に至るまで、幅広い分野に新たな問いを投げかけるものなのだ。

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日常に潜む、水の深遠な謎

水は、水素原子2つと酸素原子1つ(H₂O)からなる、この上なくシンプルな分子だ。しかし、その振る舞いは驚くほど複雑怪奇である。液体、気体、固体という3つの相を持つことは誰もが知っているが、その固体の姿、つまり「氷」が、実は一つではないことをご存じだろうか。

我々が冷凍庫で作り、飲み物に浮かべる氷は「氷Ih相(ice one h)」と呼ばれる六角形の結晶構造を持つ氷だ。しかし、温度と圧力を変えていくと、水分子は驚くほど多様な配置を取り始め、異なる結晶構造を持つ氷へと相転移する。これまでに、氷IIから氷XX(20番目)まで、実に20種類もの氷の「ポリモーフ(多形)」が発見されてきた。その一つ一つが、異なる密度や物理的性質を持ち、地球の深部や、木星の衛星エウロパ、土星の衛星タイタンといった極限環境に存在すると考えられている。

科学者たちがこれほどまでに氷に魅了されるのは、水という最も基本的な物質の振る舞いを理解することが、宇宙の成り立ちそのものを理解する鍵となると信じているからに他ならない。そして今回、その氷のファミリーに、新たなメンバー「氷XXI」が加わったのである。

氷XXI」誕生の瞬間:2万気圧の超圧縮が生んだ新物質

この歴史的な発見を成し遂げたのは、韓国科学技術研究院(KRISS)、ヨーロッパX線自由電子レーザー(European XFEL)、そしてドイツ電子シンクロトロン(DESY)の研究者たちからなる国際チームだ。彼らは、通常では到底起こり得ない現象を、実験室の中に創り出した。

その舞台装置の中心となったのが、「動的ダイヤモンドアンビルセル(dDAC)」と呼ばれる装置である。これは、地球の中心部にも匹敵するほどの超高圧を、机の上で再現する、いわば「魔法の万力」だ。先端を鋭く磨き上げた2つのダイヤモンドの間に、ほんのわずかな水滴を挟み込み、巨大な力で押し潰す。

しかし、今回の実験の鍵は、圧力の大きさだけではなかった。「スピード」こそが、新発見への扉を開いたのだ。研究チームは、水滴をわずか10ミリ秒、つまり瞬きの10分の1ほどの時間で、大気圧の約2万倍に相当する2ギガパスカル(GPa)という超高圧状態まで一気に圧縮した。

なぜ、これほどの急速圧縮が必要だったのか。それは、水が本来凍るべき圧力を通り過ぎても、液体のままでいられる「過冷却」ならぬ「過加圧」状態、すなわち「超圧縮水」を作り出すためだ。安定な状態へ落ち着く暇を与えず、極限まで追い込むことで、水は通常とは異なる振る舞いを見せ始める。

そして、その一瞬の変化を捉えるために投入されたのが、ヨーロッパXFELが誇る世界最強のX線レーザーだ。この装置は、1秒間に数百万回という超高速で強力なX線パルスを発生させることができる、原子の世界を捉える究極のハイスピードカメラである。研究チームはこのX線レーザーをdDACと同期させ、水分子が結晶へと姿を変えるマイクロ秒(100万分の1秒)単位の現象を、分子レベルの解像度で「撮影」することに成功した。

その結果、超圧縮された水が安定な「氷VI」へと変化する過程で、これまで理論的にも予測されていなかった未知の結晶構造が一瞬だけ姿を現した。これこそが、新しく発見された「氷XXI」が誕生した瞬間だったのである。

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5つの顔を持つ水:凍結・融解の「隠された経路」

今回の研究成果の衝撃は、新種の氷の発見だけに留まらない。研究チームは、超高圧下で水が凍結し、そして融解する過程が、これまで考えられていたような一本道ではないことを明らかにした。そこには、少なくとも5つの異なる「隠された経路」が存在したのだ。

研究チームは、dDACによる圧縮・減圧のサイクルを1000回以上も繰り返し、その際の圧力と時間の変化を精密に記録した。その圧力-時間(P-t)カーブは、毎回同じ形を描くわけではなく、特徴的な5つのタイプに分類できることが判明した。

  1. タイプ1(直行ルート): 超圧縮水(SW)が、この圧力領域で最も安定な「氷VI」に直接変化し、減圧すると融けて水に戻る、最もシンプルな経路。
  2. タイプ2〜5(寄り道ルート): 状況によって、水は全く異なる運命をたどる。ある時は、別の準安定な氷「氷VII」を経由し、またある時は、今回発見された「氷XXI」という未知の中間地点を経由してから、最終的に氷VIへと落ち着いたり、あるいは直接水に戻ったりした。

これは、水という物質が持つ「準安定性」が鍵を握っている。物質は常に最もエネルギー的に安定な状態(この場合は氷VI)になろうとするが、そこへ至る道筋は一つではない。まるで、山の頂上を目指す登山家が、最短ルートを通らずに、途中の景色の良い休憩所(準安定相)に立ち寄るようなものだ。どの休憩所に立ち寄るかは、登り方(圧縮の速さや度合い)によって変わってくる。

この現象は「オストワルドの段階則」として知られる物理化学の法則とも一致する。物質は、最終的な安定状態に達する前に、構造的に近い、あるいは生成しやすい準安定な中間相をしばしば経由する。今回の発見は、室温の水という極めて身近な系で、この法則が驚くほど複雑で多様な経路を生み出していることを劇的に示したのである。

氷XXIの肖像:その構造と特異な性質

では、新たに発見された氷XXIとは、一体どのような物質なのだろうか。ヨーロッパXFELとDESYのPETRA IIIでの詳細なX線回折データの解析から、その驚くべきプロフィールが明らかになった。

  • 結晶構造: 氷XXIは「体心正方晶(I42d)」と呼ばれる、非常に特殊な対称性を持つ結晶構造をしている。我々が知る通常の氷(氷Ih)が美しい六角形であるのに対し、これは直方体を少し引き伸ばしたような形を基本としている。
  • 巨大な繰り返し単位: 最も驚くべきは、その結晶の繰り返し単位(単位格子)の大きさだ。氷XXIの単位格子には、実に152個もの水分子が含まれている。これは、他の多くの氷の相と比較して桁外れに大きく、その構造が極めて複雑であることを物語っている。
  • 沈む氷: その密度は、1.6ギガパスカルの圧力下で1.413 g/cm³と計算された。これは、液体水(約1 g/cm³)や通常の氷(約0.92 g/cm³)よりもはるかに重い。もし氷XXIをコップの水に入れることができれば、それは間違いなく底に沈むだろう。
  • はかない運命(準安定性): 氷XXIは、あくまでも準安定な存在だ。一度生成されると、より安定な氷VIや氷VIIへと姿を変えることはあっても、再び氷XXIに戻ることはない。いわば、安定な世界へと向かう一方通行の道を歩む、はかない存在なのである。

この複雑で高密度な構造は、水分子が超高圧という極限状態下で、いかに効率的に空間を埋めようとするかの苦闘の結果、生み出された奇跡的な配置と言えるかもしれない。

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分子レベルの探求:なぜ氷XXIは生まれたのか?

なぜ水は、安定な氷VIに直接なるだけでなく、わざわざ氷XXIのような複雑な準安定相を経由するのだろうか。その答えのヒントは、液体状態の水そのものの構造変化にあった。

研究チームは、実験と並行して、スーパーコンピュータを用いた分子動力学(MD)シミュレーションを行い、高圧下での水分子の振る舞いを追跡した。その結果、圧力を上げていくと、液体の水の局所的な構造が、単に密度が上がるだけでなく、質的にも変化することが示された。

常圧の水の構造から、まず「高密度水(HDW)」へ、そしてさらに圧力をかけると「超高密度水(VHDW)」へと、分子の配置が段階的に変わっていくのだ。そして重要なのは、この超高密度水(VHDW)の局所構造が、最終目的地である安定な氷VIの構造よりも、むしろ準安定な氷XXIや氷VIIの構造と「似ている」ということだった。

結晶化とは、ある意味で、液体中の分子の並びと、結晶の規則的な並びの「相性」で決まる。液体の段階で、すでにある結晶構造に近い「芽」のようなものができていれば、その結晶が生成されやすくなる。つまり、超圧縮水は、その内部構造をVHDWへと変化させることで、氷XXIが「生まれやすい」土壌を自ら作り出していたのだ。このシミュレーション結果は、複数の凍結経路が生まれる根本的なメカニズムを見事に説明している。

発見が拓く未来:惑星科学から材料開発まで

この氷XXIの発見と、それに伴う複数の凍結経路の解明は、科学の様々な分野に大きな波紋を広げている。

惑星科学へのインパクト:
最大の期待が寄せられるのが、惑星科学の分野だ。木星の衛星ガニメデや土星の衛星タイタンといった「氷衛星」は、その内部に厚い氷の層を持つと考えられている。その深部では、まさに今回の実験で再現されたような超高圧環境が広がっている。これまでの惑星内部のモデルは、既知の安定な氷の相(主に氷VI)を前提としていた。しかし、氷XXIのような未知の準安定相が存在し、複雑な相転移が起こっている可能性が示されたことで、これらの衛星の内部構造、熱の伝わり方、そして生命存在の可能性に至るまで、モデル全体を再検討する必要が出てくるかもしれない。DESYの研究者Rachel J. Husband氏は、「この発見は、氷衛星の組成に関する新たな洞察をもたらす可能性がある」と語る。

基礎科学の深化:
水は、物理学、化学、生物学といったあらゆる科学分野の根幹をなす物質だ。その水の相図(状態図)に、新たな座標が書き加えられたことの意義は計り知れない。水の基本的な性質に関する我々の理解が、まだ不完全であったことを示しており、さらなる未知の相の探索や、相転移メカニズムの解明に向けた研究を加速させるだろう。

材料科学への応用:
物質がどのように結晶化するかを精密にコントロールする技術は、半導体ウェハーの製造から医薬品の開発まで、現代のテクノロジーを支える基盤である。今回の研究で示されたように、圧縮速度という動的なパラメータを制御することで、生成される結晶相(安定相か準安定相か)を選別できる可能性は、新しい機能を持つ材料を意図的に作り出す「マテリアルズ・デザイン」に新たな道を開くかもしれない。

一杯の水に秘められた宇宙

KRISSのGeun Woo Lee博士は、「水は宇宙で最も神秘的な物質の一つです」と語る。今回の発見は、その言葉を雄弁に証明した。我々が毎日何気なく目にし、口にしている一杯の水の中には、地球の深部を、そして遠い惑星の内部を支配する物理法則が凝縮されている。それは、条件次第で21もの異なる顔を見せ、予測不能な経路をたどってその姿を変える、複雑でダイナミックな小宇宙だ。

「氷XXI」の発見は、科学の探求が、日常の中に潜む非日常的な世界を、そして既知と思い込んでいたものの未知なる側面を暴き出す営みであることを、改めて我々に教えてくれる。この小さな氷の結晶は、人類の知の地平線を、また一つ押し広げたのである。


論文

参考文献