量子コンピュータ開発競争が激化する中、その心臓部である量子ビットの安定性確保は最大の課題の一つだ。この難題解決の鍵を握ると期待される「トポロジカル超伝導体」。オックスフォード大学とユニバーシティ・カレッジ・コーク(UCC)を中心とする国際研究チームが、この謎多き物質の有力候補「二テルル化ウラン(UTe2)」の正体に迫る画期的な成果を科学誌『Science』に発表した。彼らが開発した新技術は、UTe2が持つ特異な量子状態を初めて直接可視化し、フォールトトレラント量子コンピュータ実現への重要なマイルストーンとなる可能性を秘めている。これは、数十年にわたる材料探索に終止符を打ち、安価で高性能な量子コンピュータの大量生産への道を開くかもしれない。
量子計算の「アキレス腱」克服へ:トポロジカル超伝導体への期待
現代のコンピュータとは比較にならない計算能力を持つとされる量子コンピュータ。しかし、その実現には乗り越えるべき大きな壁が存在する。その一つが、量子ビットの「エラー」だ。量子ビットは非常に繊細で、外部からのわずかなノイズや環境の変化によって容易に情報を失ってしまう。このエラーの問題を根本的に解決し、計算の信頼性を飛躍的に高める「フォールトトレラント(誤り耐性)」な量子コンピュータの実現が、研究者たちの長年の悲願となっている。
この夢の実現に向け、近年大きな注目を集めているのが「トポロジカル超伝導体」と呼ばれる特殊な物質だ。これについては、物質内部では超伝導状態(電気抵抗がゼロになる現象)を示し、その表面や端には「マヨラナ粒子」という奇妙な性質を持つ準粒子が現れると理論的に予測されている。マヨラナ粒子は、それ自体が情報を安定に保持できるため、これを利用した量子ビット(トポロジカル量子ビット)は、従来の量子ビットに比べて格段にエラーに強いと考えられているのだ。
もし実用的なトポロジカル超伝導体が見つかれば、それは量子コンピュータ開発におけるブレイクスルーとなり得るだろう。しかし、その探索は困難を極め、決定的な物質は未だ見つかっていなかった。そんな中、2019年に発見された二テルル化ウラン(UTe2)は、その特異な超伝導特性から、有力な候補として大きな期待が寄せられていた。
世界に3台の「眼」が捉えたUTe2の素顔:Andreev走査型トンネル顕微鏡の威力
UTe2が真にトポロジカル超伝導体としての資質を持つのか? その謎を解き明かすため、オックスフォード大学物理学科のJ.C. Séamus Davis教授が率いる研究グループ(ユニバーシティ・カレッジ・コーク(UCC)のDavisグループも含む)は、彼らが開発した革新的な可視化技術を用いた。
その技術とは、「Andreev(アンドレーエフ)走査型トンネル顕微鏡(STM)」だ。STMは、鋭く尖った探針を試料表面に近づけ、流れるトンネル電流を測定することで、原子レベルの表面構造や電子状態を観察する顕微鏡である。Davis教授のチームは、このSTMを独自に改良し、超伝導体の表面に現れる特殊な量子状態、特にマヨラナ粒子の存在を示唆する「アンドレーエフ束縛状態」を直接可視化する新しい測定モードを開発した。この高度な装置は、現在、Davis教授の研究室があるUCC、オックスフォード大学、そして米コーネル大学のDavis Labにしかない、まさに世界最先端の「眼」と言えるだろう。
今回の研究の中心となったのは、UCCのDavisグループに所属する博士課程研究者のJoe Carroll氏と、マリー・キュリー博士研究員のKuanysh Zhussupbekov氏である。彼らは、このAndreev STMを用いて、UTe2の(0-11)劈開表面を極低温(280ミリケルビン、約マイナス273℃)環境下で詳細に観測した。
「従来、トポロジカル超伝導体の探索では、金属製の探針が用いられてきました。金属は単純な物質なので、測定結果に余計な影響を与えにくいと考えられていたからです」とCarroll氏は説明する。「我々の新しい技術のポイントは、探針自体にも超伝導体(ニオブ)を用いた点にあります。これにより、試料表面の通常の電子の影響を排除し、マヨラナ粒子に由来する信号だけを選択的に捉えることが可能になったのです」。
この革新的なアプローチにより、研究チームはUTe2の表面における超伝導電子対の波動関数の対称性、すなわち「超伝導秩序パラメータ(Δk)」に関する決定的な情報を得ることに成功した。
UTe2は「非カイラル」なトポロジカル超伝導体:予想外の発見とその意義
実験の結果、UTe2は確かに「内因性のトポロジカル超伝導体」であることが明らかになった。これは、UTe2が単一の物質でありながら、その内部構造に由来してトポロジカルな性質を持つことを意味する。これは大きな前進だ。
しかし、その性質は、多くの研究者が期待していたものとは少し異なっていた。詳細な解析の結果、UTe2のトポロジカル超伝導状態は、「カイラル(chiral)」ではなく「非カイラル(non-chiral)」であることが判明したのである。
カイラルなトポロジカル超伝導体では、マヨラナ粒子は物質の端を一方向に動き回り、時間反転対称性(物理法則が時間の向きを逆にしても変わらない性質)が破れている。一方、非カイラルな場合は、時間反転対称性が保たれた状態でマヨラナ粒子が存在し得ると考えられる。
今回の実験では、UTe2表面のゼロバイアス・コンダクタンスピーク(超伝導ギャップ内に現れる、マヨラナ粒子の存在を示唆する信号)が、探針と試料間のトンネル接合抵抗を変化させる(つまり、探針を試料に近づける)と、明確に分裂する様子が観測された。この「ピーク分裂」こそが、UTe2のトポロジカル超伝導状態が時間反転対称性を破らない「非カイラル」であることを示す決定的な証拠となった。研究チームは、観測された電子散乱のパターンなどから、UTe2の超伝導秩序パラメータは「B3u」と呼ばれる対称性を持つ可能性が最も高いと結論付けている。
この「非カイラル」という結果は、一部の理論予測とは異なるものであったが、UTe2がトポロジカル超伝導体であるという基本的な事実は揺るがない。そして何より重要なのは、今回の研究で用いられたAndreev STM技術が、物質のトポロジカルな性質をこれまでにない精度で評価できることを証明した点である。
量子コンピュータ開発への新たな道筋:材料探索の加速と未来展望
今回の発見は、フォールトトレラント量子コンピュータの実現に向けて、いくつかの重要な示唆を与えている。
第一に、UTe2のような単一物質でトポロジカル超伝導を実現できる可能性が示されたことだ。近年、Microsoftなどが「合成トポロジカル超伝導体」を用いた量子ビットの開発を進めているが、これは複数の異なる材料を精密に積み重ねる必要があり、製造プロセスが複雑であった。単一物質で同様の機能が実現できれば、よりシンプルで効率的な量子チップの設計・製造に繋がり、集積度向上やコストダウンも期待できる。
第二に、新開発されたAndreev STM技術が、他の候補物質の評価にも応用できるという点である。これにより、トポロジカル超伝導体の探索が飛躍的に加速し、より理想的な特性を持つ材料が発見されるかもしれない。Davis教授は、「この技術は、ある物質がトポロジカル量子コンピュータのマイクロチップに効果的に使用できるかどうかを最終的に決定する方法を、初めて研究者にもたらしました」と述べている。
UTe2自体が、そのまま実用的な量子ビット材料となるかは今後の研究次第だが、今回の成果は、量子コンピュータ材料科学における大きなブレークスルーと言えるだろう。安価で安定した量子コンピュータが手の届く未来は、着実に近づいているのかもしれない。
オックスフォード大学とUCCを中心とするこの国際共同研究には、理論計算でカリフォルニア大学バークレー校のDung-Hai Lee教授、高品質なUTe2試料の合成でワシントン大学セントルイス校のSheng Ran教授(現所属)およびメリーランド大学のJohnpierre Paglione教授がそれぞれ貢献しており、学際的な協力体制が今回の成功を支えた。
科学者たちの飽くなき探求心と、それを実現する革新的な技術が、量子という未知の世界の扉を少しずつ押し開いている。UTe2、そしてそれに続くであろう新たな物質の発見が、量子コンピュータの夜明けを早めることを期待せずにはいられない。
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