宇宙の質量の約85%を占めるとされながら、その正体がいまだ謎に包まれているダークマター(暗黒物質)。この宇宙最大のミステリーの一つに、ダートマス大学の研究チームが新たな光を当てる革新的な理論を発表した。彼らの発表によれば、ビッグバン直後の初期宇宙では「光」のように振る舞っていたほぼ質量のない粒子が、まるで水蒸気が急速に冷却されて水滴になるかのように凝縮し、現在の「冷たく重い」ダークマターへと姿を変えたというのである。この驚くべきシナリオは、超伝導という現象との意外なアナロジーに基づいており、さらに宇宙マイクロ波背景放射(CMB)に残された痕跡を通じて検証可能であるとされているのだ。
ダークマターとは何か? 宇宙に遍在する見えざる質量の正体
私たちが夜空に見上げる星々や銀河、それら全てを合わせたとしても、宇宙に存在する物質・エネルギー全体のごく一部でしかないことは、現代宇宙論の常識だ。最新の観測によれば、宇宙の構成要素のうち、私たちが直接観測できる通常の物質(バリオン物質)はわずか5%程度。残りの約25%がダークマター、そして約70%が宇宙の加速膨張を引き起こすとされるダークエネルギーで占められている。
ダークマターの存在は、直接目で見ることはできないものの、その重力効果を通じて間接的に示唆されてきた。例えば、銀河の回転速度は、見える物質の量だけでは説明がつかず、目に見えない大量の質量が存在しなければ、銀河はバラバラに飛び散ってしまうはずである。また、銀河団内のガスの振る舞いや、遠方銀河からの光が重力によって歪められる重力レンズ効果なども、ダークマターの存在を強力に裏付けている。
これまで、ダークマターの正体として様々な候補が提唱されてきた。代表的なものには、WIMP(Weakly Interacting Massive Particles:弱く相互作用する重い粒子)やアクシオンといった素粒子、あるいは初期宇宙に形成されたマイクロブラックホールなどが挙げられる。しかし、世界中の研究機関による長年の探索にもかかわらず、これらの候補を直接捉える決定的な証拠はいまだ得られておらず、ダークマターの正体は依然として現代物理学における最大の未解決問題の一つであり続けている。この膠着状態を打破する可能性を秘めているのが、今回紹介するダートマス大学の新理論なのだ。
ダートマス大学発:「凝縮するダークマター」という斬新なアイデア
この革新的な理論を提唱したのは、米国ダートマス大学の物理学・天文学教授であるRobert Caldwell氏と、同大学で物理学と数学を専攻する優秀な学部生(論文発表時シニア)であるGuanming Liang氏である。彼らの研究成果は、物理学分野で最も権威のある学術雑誌の一つである『Physical Review Letters』誌に掲載され、その独創性と検証可能性から大きな注目を集めている。
彼らの理論の核心は、ダークマターの起源を初期宇宙における粒子の劇的な「相転移」に求める点にある。それは、従来のダークマター像とは一線を画す、まさにコペルニクス的転回とも言える発想だ。
初期宇宙の主役は「光る粒子」だった?
Robert Caldwell教授は、「ダークマターはその始まりにおいて、ほとんど光のような、質量がほぼゼロの相対論的な粒子だったのです」と語る。これは、一般的に考えられている「冷たくて重い塊」としてのダークマターのイメージとは全く異なる。
ビッグバンによって宇宙が誕生してから間もない頃、宇宙は超高温・超高密度のエネルギーの海であった。この灼熱のスープの中では、光子(光の粒子)のような、質量を持たないか、あるいは極めて軽い粒子が光速に近い速さで飛び交っていたと考えられている。Liang氏とCaldwell教授の理論によれば、この時期のダークマター候補粒子もまた、そのような「熱く、速い」状態にあったというのだ。
「蒸気が水になるように」質量を獲得したメカニズム
では、どのようにしてこれらの「光る粒子」は、現在の「見えざる重い塊」へと変貌を遂げたのだろうか? 研究チームは、宇宙が膨張し冷却するにつれて、これらの粒子間に特定の相互作用が働き、まるで水蒸気が急激に冷やされて水滴へと凝縮するように、粒子同士がペアを形成し、その過程でエネルギーを失い、代わりに大きな質量を獲得した、というシナリオを描き出す。
Liang氏は、「私たちの数学モデルで最も予想外だったのは、高密度のエネルギー状態と、塊状の低エネルギー状態とを橋渡しする、エネルギーの急激な低下でした」と、この劇的な変化の発見について述べている。 まさにこの「エネルギーの急降下」こそが、質量のない状態から質量のある状態への転換点であり、ダークマターがその特徴的な性質を獲得した瞬間だったのかもしれない。研究チームは、これらの粒子が互いに引き合ったのは、それぞれのスピン(粒子の自転のような性質)が反対方向を向いていたためであり、磁石のN極とS極が引き合うのに似ていると説明している。
超伝導「クーパー対」との驚くべきアナロジー
この一見奇抜に聞こえる質量獲得のメカニズムを裏付けるものとして、研究チームが注目したのが「超伝導」という現象だ。特定の金属などを極低温に冷却すると電気抵抗がゼロになる超伝導状態では、「クーパー対」と呼ばれる電子のペアが形成されることが知られている。通常は反発し合うはずの電子が、物質中の格子振動を介して引力を及ぼし合い、ペアを組むのである。
Caldwell教授は、「私たちは、ある種の相互作用がエネルギーをこれほど急激に低下させることができるのか、その手がかりを超伝導に求めました。クーパー対の存在は、そのようなメカニズムが現実に存在することを証明しています」と語る。 つまり、初期宇宙のダークマター候補粒子も、クーパー対を形成する電子のように、ある種の相互作用によってペアとなり、その結果としてエネルギー状態が劇的に変化し、質量を持つに至ったのではないか、というわけである。
専門的な詳細に踏み込むと、彼らのモデルは「南部・ヨナラシニオ(Nambu-Jona-Lasinio, NJL)モデル」と呼ばれる、素粒子物理学における理論的枠組みに基づいている。このモデルは元々、ハドロン(陽子や中性子など)の質量がどのようにして生まれるのかを説明するために考案されたもので、まさに超伝導理論とのアナロジーから発展した。このNJLモデルを宇宙初期の状況に適用することで、彼らはダークマター形成の新たな道筋を示したのである。
理論の魅力:「驚くほどシンプル」な数学モデル
この新理論の特筆すべき点の一つは、その数学モデルのシンプルさだ。Liang氏は、「私たちの理論の数学モデルは、それが機能するために多くの要素をシステムに組み込む必要がないため、本当に美しいものです。それは、私たちが既に知っている概念とタイムラインに基づいています」と強調する。 複雑な現象を説明するために、いたずらに多くの仮定やパラメータを導入するのではなく、既存の物理法則の枠内で、エレガントな説明を試みている点が、この理論の大きな魅力と言えるだろう。
新理論の検証可能性:宇宙最古の光「CMB」に残された手がかり
どんなに美しくエレガントな理論であっても、それが科学的な検証を経なければ、単なるアイデアに過ぎない。その点で、Caldwell教授とLiang氏の理論は非常に有望である。なぜなら、彼らの理論は、既存の天文観測データ、特に「宇宙マイクロ波背景放射(CMB)」の精密な分析によって検証可能であると予測されているからだ。
CMBとは、ビッグバンから約38万年後、宇宙が十分に冷えて陽子と電子が結合し中性の水素原子が作られた「宇宙の晴れ上がり」の時代に放たれた光の名残である。この「宇宙最古の光」は、今もなお宇宙のあらゆる方向から地球に降り注いでおり、その温度のわずかな揺らぎや偏光の状態を調べることで、初期宇宙の姿や宇宙の進化の歴史に関する膨大な情報を得ることができる。
研究チームによれば、彼らが提唱するダークマター候補粒子が、初期の「熱く速い」状態から「冷たく重い」状態へと相転移する際に、CMBに特有の痕跡、いわば「指紋」のようなものを残すはずだという。具体的には、この理論が予測するダークマターの状態方程式(圧力とエネルギー密度の関係を示す式)は時間と共に変化するため、それがCMBの揺らぎのパターンにユニークな影響を与えると考えられている。
幸いなことに、CMBの観測は、これまでにプランク衛星などの大規模プロジェクトによって非常に高い精度で行われてきた。さらに現在、チリのサイモンズ天文台や、計画中のCMB Stage 4といった次世代の観測プロジェクトによって、より一層精密なデータが得られることが期待されている。これらの既存および将来の観測データを詳細に分析することで、Caldwell教授とLiang氏の理論が正しいかどうかを検証できる可能性があるのだ。
Caldwell教授は、「これはエキサイティングなことです。私たちは、ダークマターについて考え、そしておそらくは特定するための、まったく新しいアプローチを提示しているのです」と、今後の検証への期待を語っている。
この理論が解き明かすかもしれない宇宙の謎
この新理論は、単にダークマターの起源を説明するだけでなく、宇宙に関する他の長年の謎にも光を当てる可能性を秘めている。
エネルギー密度の変遷と質量密度の増加
宇宙の歴史を通じて、エネルギー密度は宇宙膨張と共に減少してきたことが知られている。一方で、銀河などの構造を形成するためには、ダークマターによる質量密度が時間と共に相対的に増加していく必要がある。Liang氏は、「構造はその質量を冷たいダークマターの密度から得ていますが、エネルギー密度が今日私たちが見るものに近い値まで低下するメカニズムも存在しなければなりません」と指摘する。 彼らの理論は、初期宇宙の高温高エネルギー状態から、粒子が凝縮して質量を獲得し、同時にエネルギーを失うというプロセスを通じて、このエネルギー密度の減少と質量密度の増加という二つの側面を統一的に説明できる可能性があるのだ。
ダークエネルギーの候補にも? 一つの理論が宇宙の二大ミステリーに迫る
驚くべきことに、今回の研究では、彼らの理論的枠組みが、ダークマターだけでなく、宇宙のもう一つの大きな謎である「ダークエネルギー」の候補にもなり得ることが示唆されている。
論文によれば、相互作用するフェルミオン(物質を構成する基本的な粒子の一種)が、質量を持たない(あるいは極めて軽い)場合には、前述のようなメカニズムでダークマター(凝縮したクーパー対)となり得る。一方で、これらのフェルミオンがある程度の質量を持つ場合には、宇宙の冷却過程で相転移が完全には起こらず、粒子がエネルギーの高い「偽の真空」と呼ばれる準安定な状態に留まる可能性があるというのだ。この準安定状態が持つポテンシャルエネルギーが、現在の宇宙の加速膨張を引き起こすダークエネルギーとして機能するかもしれない、というのが彼らの主張である。
もしこのシナリオが正しければ、一つの理論的枠組みから、宇宙の二大構成要素であるダークマターとダークエネルギーの両方の起源を説明できる可能性が出てくる。これは、宇宙論における長年の課題である「偶然の一致の問題」(なぜダークマターとダークエネルギーの現在の密度が同程度なのか)の解決にも繋がるかもしれない。
バリオン非対称性やハッブル張力への示唆も
さらに論文では、このモデルにおけるカイラル非対称性(左手型と右手型の粒子の数の偏り)が、宇宙に存在する物質と反物質の量の非対称性(バリオン非対称性)と関連付けられる可能性や、宇宙の膨張速度の測定値間に見られる食い違い(ハッブル張力)の問題解決に寄与する可能性も示唆されている。 これらはまだ初期段階の考察ではあるが、この理論が持つ潜在的な射程の広さを示していると言えるだろう。
なぜこの理論が重要なのか?
長年、ダークマターの正体解明は停滞感を否めなかった。数多くの候補が提唱され、精力的な探索が行われてきたが、決定的な証拠は見つかっていない。そのような状況下で、ダートマス大学の研究チームが提示した「凝縮するダークマター」というアイデアは、いくつかの点で非常に重要かつ魅力的である。
第一に、その独創性である。従来の「冷たいダークマター」というパラダイムに囚われず、初期宇宙における粒子のダイナミックな相転移という、全く新しい視点からダークマターの起源に迫ろうとしている。これは、既存の探索が行き詰まりを見せる中で、新たな研究の方向性を示すものである。
第二に、検証可能性である。どんなに美しい理論も、実験や観測によって検証されなければ科学とは言えない。その点、この理論はCMBという具体的な観測対象に検証可能な痕跡を残すと予測されており、今後の観測技術の進展と共に、その真偽が明らかになる可能性がある。これは、理論物理学が観測可能な宇宙と密接に結びついていることを改めて示すものである。
第三に、超伝導とのアナロジーという着眼点の鋭さである。一見すると全く異なる分野の現象である超伝導と宇宙論を結びつける発想は、科学におけるセレンディピティ(偶然の幸運な発見)の重要性を思い起こさせる。Liang氏が、2023年4月に発表されたクーパー対の初期宇宙における痕跡に関する別の論文を読んだことが、今回の研究の直接的なきっかけになったと報じられている。 まさに、異なる分野の知見が交差する点にこそ、ブレークスルーが生まれるのかもしれない。
そして第四に、ダークマターとダークエネルギーという宇宙の二大ミステリーに同時に迫る可能性を秘めている点である。もしこの理論が発展し、観測によって裏付けられるようなことがあれば、それは宇宙論における革命的な進展となるであろう。
もちろん、この理論はまだ発表されたばかりであり、今後の詳細な理論的検討や、観測データの精密な分析による検証が必要である。しかし、それは私たち人類が、宇宙という壮大な書物を一ページずつ読み解いていく、知的な冒険の新たな始まりを告げるものかもしれない。
論文
- Physical Review Letters: Cold Dark Matter Based on an Analogy with Superconductivity
参考文献
- Dartmouth University: Did Dark Matter Form When Fast Particles Got Heavy?