1694年、近代科学の父であるIsaac Newtonはある純粋な幾何学の問いについて、スコットランドの数学者David Gregoryと熱烈な議論を交わした。それは「1つの球体の周囲に、重なり合うことなく、同時に接することができる同じ大きさの球体は最大でいくつあるか」という問いである。直感的には単純に思えるこの問いは「接吻数問題(Kissing Number Problem)」と呼ばれ、その後300年以上にわたって数学者たちを魅了し、同時に苦しめてきた。
そして現在、この歴史的な難問に対し、最新の人工知能(AI)が劇的なブレイクスルーをもたらした。復旦大学(Fudan University)、北京大学(Peking University)、そして上海人工知能科学院(SAIS)の共同研究チームは、「PackingStar」と名付けられた独自の強化学習AIシステムを開発した。このAIは、人間の直感や事前知識を一切用いることなく、複雑極まりない高次元空間を探索し、13次元における半世紀ぶりの新記録樹立や、25次元から31次元にかけての既存記録の完全な塗り替えなど、幾何学の常識を覆す無数の新構造を発見したのだ。
ザクロの粒から多次元宇宙へ:接吻数問題の本質

接吻数問題の核心を理解するために、まずは私たちの生きる身近な3次元空間を想像してほしい。中心にある1つの球に、他の球をぴったりと隙間なく敷き詰めていく様子は、殻の中に種が密集するザクロの内部構造や、ビリヤードの球を立体的に配置する状況に例えることができる。
Newtonは、この3次元空間における最大の接吻数は「12個」であると主張した。対してGregoryは、球と球の間にわずかな隙間が残ることから、工夫次第では「13個」が配置可能であると考えた。驚くべきことに、Newtonの「12個」という推論が数学的に完全に証明されたのは、論争から250年以上が経過した1953年のことである。
問題の真の難しさは、空間の次元が上がるにつれて顕著になる。数学における次元とは、位置を特定するために必要な座標の数である。1900年、偉大な数学者David Hilbertが提示した「23の問題」のうち、第18問題にも関連づけられているこの球充填問題は、次元が増加するにつれて配置の候補が指数関数的に増大する「次元の呪い」に直面する。実際、何世紀にもわたる数学者たちの並々ならぬ努力にもかかわらず、接吻数が厳密に証明されているのは、現在に至るまで1次元、2次元、3次元、4次元(24個)、8次元(240個)、そして24次元(196,560個)というごく限られた次元のみであった。
なぜ高次元の「球充填」を探求するのか? 現代社会を支える不可視の技術
「なぜ私たちが知覚できない高次元空間の球の配置を考える必要があるのか」という疑問は極めて自然なものだ。しかし、接吻数問題は決して象牙の塔の中だけの知的遊戯ではない。その解は、情報理論、暗号理論、そして最先端の通信工学の根幹と深く結びついている。
現代のデジタル通信やデータストレージにおいて、情報は「0」と「1」のビット列として送受信される。この信号をノイズの多い通信経路で正確に伝えるためには、信号同士を互いに「可能な限り遠ざけて」配置する必要がある。通信エラーを防ぐこの仕組み(誤り訂正符号)を幾何学的に言い換えると、まさに「高次元空間において、球体(信号)同士が重ならないように、どれだけ高密度に詰め込めるか」という問題に帰着する。
限られた帯域幅の中で最大限の情報を、最小限のデータ量(ビット数)で圧縮して送る技術は、高次元の球充填問題の最適解と直結している。PackingStarの共同開発者の一人であり、復旦大学の教授およびSAISのチーフサイエンティストを務めるQi Yuan氏が指摘するように、最適な球の配置を導き出すことは、通信信号の最適な分散方法を決定することと同義だ。この知見は、次世代の量子コーディング(量子暗号通信)や、大容量のデータを宇宙空間でやり取りする高度な衛星通信システムの設計において、決定的な役割を果たす基盤技術となる。
「PackingStar」のアルゴリズム的革新:行列補完ゲームへの昇華
高次元空間の探索において、これまでの数学的アプローチは、既知の対称性の高い格子(例えば24次元のLeech格子)に基づく人間の直感や設計に大きく依存していた。また、近年登場した「AlphaEvolve」のようなAIシステムも、空間内の「座標」を直接最適化しようと試みたが、次元が上がるにつれて計算の不安定性と組合せ爆発を引き起こし、より高次元へのスケールアップは原理的に不可能であった。
これに対し、研究チームが開発したPackingStarは、問題を扱う「視点」そのものを根本から転換させた。彼らは、球体の絶対的な座標を求めるのではなく、球体同士の中心角のコサイン(余弦)値の集合である「Gram行列(Gram matrix)」に着目した。問題を、巨大な表(行列)の空欄を特定の数学的ルールに従って埋めていく「2プレイヤーの行列補完ゲーム(two-player matrix completion game)」として再定義したのである。
このゲームには、2つのAIエージェントが登場する。
- Filler(フィラー:埋める者): 既知の配置パターンを基に、行列の空欄に新たなコサイン値(球体の配置候補)を確率的に生成し、埋め込んでいく。
- Corrector(コレクター:修正する者): Fillerが埋めたデータの中で、全体として幾何学的な矛盾を引き起こすものや、最適でない(密集度を下げる)要素を大局的な視点から特定し、削除・修正を行う。
この2つのエージェントは、最終的な行列のサイズ(接吻数)を最大化するという共通の報酬に向かって、協調しながら強化学習を繰り返す。このアプローチの最大の利点は、座標を計算する際の数値的な不安定性を排除し、GPU(画像処理半導体)の超並列計算能力を極限まで引き出せる点にある。さらに、探索中に発見された有望な部分構造(サブマトリックス)を抽出し、次の探索のベースキャンプとして利用することで、天文学的な広さを持つ探索空間を効率的に圧縮することに成功したのだ。
人類の想像を超える発見:13次元と25〜31次元におけるブレイクスルー
人間の事前知識(ヒューリスティクス)を一切与えられずにゼロから学習したPackingStarは、数学界を震撼させる数々の未知の構造を提示した。
13次元における半世紀ぶりの「有理構造」の記録更新
最も注目すべき成果の一つが、13次元空間における発見である。高次元幾何学において、すべての球体ペア間のコサイン値が有理数(分数で表せる数)で構成される「有理構造(Rational structures)」は、数値的な近似に頼らず解析的な証明が容易になるため、極めて高い数学的価値を持つ。13次元における有理構造の最大接吻数は、1971年に1130個が発見されて以来、半世紀以上にわたって更新されていなかった。
しかしPackingStarは、この壁を軽々と突破し、1146個の球体からなる全く新しい有理構造を発見した。さらに驚くべきことに、この構成の中には、従来の幾何学的設計の常識であった「対蹠点(たいせきてん:中心を挟んで反対側に配置されるペア)」の概念を持たない、完全な非対称性を持つ特殊な構造が含まれていた。対称性を持たないにもかかわらず、各球体が均等に多数の隣接球と接するという高度な局所的規則性を持つこの構造は、人類がこれまで想像すらしていなかった未踏の幾何学的パラダイムである。
25次元から31次元の「絶対的な新記録」
次元がさらに上がり、組合せ爆発が極限に達する25次元から31次元においても、PackingStarはこれまでに知られていたすべての下限(Lower bounds)を劇的に更新した。
これらの次元では、長らく24次元の極めて高密度な「Leech格子(Leech lattice)」の部分構造を利用した構成が最適とされてきた。PackingStarはこの方針を踏襲しつつも、人間には見つけ出せなかった新たなアセンブリ(組み立て)のパターンを発見した。例えば25次元において、AIはLeech格子の最短ベクトルから幾何学的に極めて整った496個の要素からなる部分集合を抽出し、これまでの197,048個という記録を上回る「197,056個」の新たな接吻配置を導き出した。論文の著者らは、この配置の強力な収束性と明確な幾何学的構造から、これが25次元における究極の最適解である可能性が高いと示唆している。31次元に至っては、従来記録の232,874個から238,350個へと、5,476個もの大幅な記録更新を達成している。
一般化接吻数(Generalized Kissing Numbers)への拡張
PackingStarの能力は、標準的な接吻数問題にとどまらない。「隣接する球体同士の中心角が一定の角度以上でなければならない」という、より厳しい制約(内積が最大1/3または1/4など)を課した「一般化接吻数」の領域においても、AIは猛威を振るった。12次元、14次元、17次元、20次元、21次元など多岐にわたる次元で新記録を打ち立て、例えば17次元(内積1/3制約)では従来の546個を大きく上回る578個の配置を発見した。この578個の配置は、16次元における最適構造を2つ重ね合わせた性質を持つことが判明しており、AIが単なるランダムな探索ではなく、数学的な深層構造を捉えていることの証明となっている。
人間とAIの「知のロマンス」:協働による科学探求の未来
数千にも及ぶ新たな球体配置の発見は、幾何学や情報理論の分野に計り知れない衝撃を与えたが、重要な留意点がある。PackingStarは、最適解と思われる構成を「提示」することはできるが、それが「絶対的な最大値である」という厳密な数学的証明(Proof)を自ら生成することはできない。真の正しさを保証するためには、AIが発掘した未知の構造を人間が検証し、その背後にある代数的な法則や幾何学的なつながりを解き明かす必要がある。
実際、研究チームの報告によれば、PackingStarが発見した規則性に触発された数学者たちが、その構造から新たな一般構築原理を抽出し、22次元などにおいて人間の手でさらなる記録更新を達成するという好循環がすでに生まれている。
北京大学が公開したビデオの中で、研究チームはこのプロセスを「機械と人間が共に科学を探求するロマンス」と表現した。AIが人間の想像力が及ばない広大な暗闇(高次元空間)に光を当て、人間がその光の向こうにある真理を体系化していく。PackingStarがもたらしたブレイクスルーは、単に300年前の数学の難問に対する進展というだけでなく、AI時代の科学的発見がどのようなプロセスを経て進化していくのかを我々に提示する、歴史的なマイルストーンとなるだろう。
論文
参考文献
- South China Morning Post: ‘Romance’ between scientists and AI leads to progress on age-old maths problem
- ITmedia: AIが330年来の数学難問「接吻数問題」で“人類超え” 膨大な計算量を効率化 中国チームが発表



