北京大学を中心とする研究チームが、原子層をABCABCの順に重ねた菱面体晶グラフェンを、相純度99%超で成長させた。得られた領域は最大160×80µm、厚さは約15層から約120nmに及ぶ。これまで希少な薄片を剥離試料から探していた材料を、段差を設けた基板上で狙って作る方向へ進めた成果である。ただし、作ったのは量子チップではない。今回動いた前提は、量子現象を調べるための高純度な積層相を、再現可能な成長工程へ移せる可能性が出たことだ。
99%は化学純度ではなく積層相の純度
成果は、Mengze Zhao、Zhibin Zhang、Xin Suiら19人が2026年7月23日付の『Science』に査読済み研究論文として発表した。論文名は「Step geometry–guided growth of rhombohedral graphene」、掲載巻号は393巻6809号、ページは422〜427、DOIは10.1126/science.aed9202である。北京大学に加え、Suzhou Laboratory、ShanghaiTech University、Wuhan University、中国科学院物理研究所などが参加した。
論文の「phase purity > 99%」は、試料中の炭素が化学的に99%純粋だという意味ではない。グラフェン層のうち、狙った菱面体晶のABC積層が占める相純度を指す。元素不純物の濃度を測った値でもない。「99%純粋なグラフェン」と縮めると、成果の種類が変わってしまう。
論文が示した試料は、面内で最大160×80µm、厚さ方向で約15層から約120nmである。さらに、数層膜から約200層のバルクまで、ラマン分光の指紋と固有バンド構造を参照できるデータをまとめた。著者がZenodoで公開したデータには4〜10層と200層のABC、AB積層を比較したラマン指標も含まれる。一方、抄録と公開CSVは試料総数や各条件の反復数を示していない。99%超という値から、製造ラインの歩留まりまで読み取ることはできない。
段差がABCのずれを選ぶ
一般的なBernal積層では、グラフェン層がABABの順に重なる。菱面体晶では各層が同じ向きへ少しずつずれ、ABCABCと3層ごとに元の位置へ戻る。この違いは原子一層ごとの横ずれにすぎないが、低エネルギーの電子状態を大きく変える。ABC積層を持つ数層グラフェンでは、平坦な電子バンドのほか、超伝導、磁性、量子異常ホール効果が別々の実験で報告されてきた。
難点は、ABC積層が熱力学的に準安定で、層間のすべりによって安定なAB積層へ変わりやすいことだった。Zhibin Zhangは『South China Morning Post』の取材に、従来の機械剥離で目的の積層が見つかる割合は1%未満だったと説明している。これは剥離片を探した際の割合であり、今回報告された相純度と同じ母集団を測った前後比較ではない。「1%から99%へ改善した」という効果量には置き換えられない。
チームは、微細な段差を持つサファイア表面を銅–ニッケルで覆い、成長時の層間すべりと配向を段差形状で誘導した。実験で確認した成果は、そこで成長したABC相の面積と厚さ、ラマン・バンド構造、電子輸送である。著者公開データのFigure 2Jでは、角度θ=0°の条件で菱面体相の割合が0.991、標準偏差が0.008だった。5°では0.838±0.121、10°では0.773±0.238へ下がる相関が記録されている。ただし、公開CSVはθの物理的定義と各条件の反復数を収録していない。この相関をあらゆる基板で成り立つ因果則とはみなせない。
機構の説明には計算も使われた。公開データは、層が段差を越える際の曲げエネルギーを角度φ=75°、80°、85°で比較し、別の計算ではピコ秒単位のエネルギー変化を追っている。これらは段差形状が層間すべりを選ぶという解釈を支えるシミュレーション結果であり、相純度や輸送特性を直接測った実験値ではない。モデルの原子数や温度など全条件は公開CSVには収録されていないため、計算値を量産工程の最適条件として扱うのは早い。
160×80µmが変える実験材料の供給
最大160×80µmは、ウェハースケールには遠い。それでも、剥離片から目的の積層を一枚ずつ探す実験と比べれば、分光測定や電極形成に使う領域を計画して確保しやすくなる。2025年の『Physical Review Applied』論文が報告した赤外イメージングは、ABCとABAの積層を高速に見分ける技術だった。今回の成長法は、選別速度ではなく、目的相を作る段階へ手を入れている。
成長試料の価値は、構造観察で終わっていない。論文は電子輸送測定から層反強磁性状態と量子異常ホール効果を報告した。公開データには垂直磁場を−150〜+150mTで往復掃引した横抵抗・縦抵抗と、−6〜+6Tを含む測定系列がある。これは実験結果である。ただし、CSVだけでは測定温度やデバイス総数を確定できないため、現象がどの温度範囲で何台のデバイスに再現したかは、公開された数値から判断できない。
菱面体晶グラフェンにおける超伝導は2021年、量子化された異常ホール効果は2025年に、それぞれ別の査読済み『Nature』論文で報告済みだ。今回の論文が初めてこれらの現象を発見したわけではない。新しい点は、高い相純度と従来より大きな成長試料を使い、構造からバンド、輸送までをつなぐ参照材料を用意したことにある。厚い成長試料が、過去の数層デバイスと同じ性能を自動的に示すわけでもない。
量子チップより先に確かめる量産条件
今回の到達点と未実証部分を分けると、研究の射程が明瞭になる。
| 項目 | 今回確認されたこと | まだ確認されていないこと |
|---|---|---|
| 材料 | ABC積層の相純度99%超 | 元素不純物を表す化学純度99% |
| 寸法 | 最大160×80µm、約15層〜120nm | ウェハースケールの連続膜 |
| 物性 | 層反強磁性状態と量子異常ホール効果の電子輸送測定 | 量子ビット、ゲート忠実度、誤り率 |
| 再現性 | 1本の査読済み論文と著者公開データ | 別チームによる独立追試 |
この区分から、量子コンピューターへの距離も見える。今回の試料で量子ビットを符号化した実験はなく、量子ゲートも動かしていない。量子チップへの応用は、観測済みの物性を起点とする研究目標であり、今回の実験が直接示した結果ではない。
次の工程は面積を広げることだ。小片をつないだ際に境界でABC積層が乱れないか、成長基板から転写しても相純度を保てるか、電極や絶縁層を積んだ後も同じ輸送現象が出るかを測る必要がある。論文公開から2026年8月9日まで約17日しかたっておらず、独立した追試はまだ確認できない。160×80µmという最大寸法を量産技術と呼べるかは、複数バッチの試料数、面積内の均一性、加工後のデバイス歩留まりで判断することになる。
